アウトロダクション
「うーーーーん!」
椅子に座ったまま大きく手を挙げ背伸びをします。 やっぱり背筋を伸ばすのは気持ちがいいですね。
「お、そろそろ読書はおしまいか?」
テーブルを挟んで向かいに座る笑美ちゃんは、リズミカルにスマホを叩きながらそう言いました。ポプステをプレイしながら話せるなんて器用なもんです。
「凛ちゃんたちのインタビューもあらかた読み終えましたし」
音楽雑誌をテーブルの上に置き、飲みかけだったアイスティーへと手を伸ばします。 雑誌の表紙には『ニューカミングレース一周年ライブ直前~独占インタビュー~』と大きな文字が。そうなんです、もうすぐ凛ちゃん達のツアーが始まるんです。全国ツアーかぁ。きっとまた凛ちゃんはトップアイドルとして一回り大きな存在になってしまうんでしょうね。
「しかし響子もわざわざこんな回りくどい接し方せんでも、LINKで直接話せばええやん。調子どう? って」 「あははっ! まぁ、そうなんですけどね~」
ストローでちゅーちゅーと紅茶を吸いながら、私は曖昧な返事をします。 実はみんなには話していませんが、私と凛ちゃんはLINKでのやり取りを止めてしまっています。
「友達」の機能もお互い切っちゃってますしね。 なんとなく二人でそう決めたので、もう経緯は忘れちゃいました。ただ、きっとそれが私たちにとって一番大切な距離なんだろうって。 とまぁ、自分たちですら説明できないことを明かして色々聞かれても困っちゃうので、みんなには内緒にしているというわけです。
さて。 私、五十嵐響子が短くも長い夏休みを終え、いつもの日常に戻って早二ヶ月弱。 日常と言っても、私も一応アイドルですので、普通の女子高生のような日常ではないですが……とりあえずここは日常と言っておきましょう。 あれからの私は、仕事と学業に大忙し。あの夏を懐かしむ暇なんか全くありませんでした。そんな中やっと取れた三連休。これは大事に使いたいですよね! と、言いつつも――
「ところで、せっかくの連休なのに346カフェ来てるのもなんだかなぁって感じせぇへん?」 「今まさに私もそれを考えていたところです。でもここが一番お財布に優しいので……」 「それなー。響子のアイドルらしからぬ価値観に、ウチもすっかり染められてもうたわ」 「倹約、大事」
346プロダクション、その一階にあるカフェ。 お手頃価格で美味しいケーキセットが食べられるのに、お値段はファミレスと一緒。みんなでお話しようってなったらここに来ちゃうのもしょうがないですよ。 そんなことを考えながら壁掛け時計を見ると、ちょうど針は午後五時を差したところでした。そろそろ奈緒ちゃんも帰ってくる頃かな?
「あー、もうスタミナ切れやー」 「いやいや、石割ってたじゃないですか。もう三十分近くもやってましたよね?」 「その言葉そっくり返すわ。凛はんの記事だけ何回読み直してんの。そのせいで響子が相手してくれへんから」 「五回ぐらいですかね?」 「そこは躊躇せえへんのかい!」 「だってここで恥ずかしがるとからかってくるんでしょう……」 「バレとったか」
笑美ちゃんと他愛のない会話をしながら、私はテーブルの上の雑誌に再び目を落とします。 真っ白なお揃いの衣装を着た凛ちゃん、忍ちゃん、藍子ちゃん。あー、やっぱりかっこいいなぁ。とくに凛ちゃん、本当にかっこいい。
「なんか、いざこうやってお互いの立場を知ると、一緒に唄ったなんて未だに信じられないなぁ……」
雑誌の表紙を手でそっと撫でながら呟きます。 目を閉じると、そこには天の川を背にした凛ちゃんの笑顔が鮮明に蘇ります。
「てい」 「ふぎゃっ!?」
ななな、何事? 唐突にチョップをされた後頭部を押さえながら振り返るとそこには―― 「恋する乙女みたいな遠い目しおってからに、見てるこっちの方が恥ずかしいわ」 「……奈緒ちゃん、暴力はいけない」
頭をさする私を無視して、奈緒ちゃんは笑美ちゃんに軽く片手をあげ挨拶をしながら席に座ります。
「はぁ~、疲れた。二人ともお迎えご苦労」 「重役かいな。で、仕事の方はどうやった?」 「どうもこうも、いつもと同じ。早苗さんの暴走を止めるのがあたしの役目だよ」
プレイアデスのサブリーダー片桐早苗さん。 なんと元婦警というエキセントリックな経歴をお持ちで、星空組では通称大人組と呼ばれているメンバーの一人です。
「大体、なんで早苗さんの利き酒ブラり旅のパートナーがアタシなんだよ。つか、誰だよあの企画通したの、もっと適任がいるだろうに……」
と奈緒ちゃんは愚痴りながらメニュー表を見始めました。
「まぁ、奈緒には悪いんだけど……」 「あの番組好評ですよね」 「むしろ奈緒しか無理やろ、アレは」
私と笑美ちゃんは、奈緒ちゃんに聞こえないように小声で話します。 そうそう早苗さんは普段はしっかりしてるお姉さんなんですが、お酒が入るとかなりぶっ飛んだ性格になりまして。その状態になった早苗さんにとって奈緒ちゃんは最高の玩具……んんっ、最高の相棒なんですよね。
「すいませーん! 注文おねがいしまーす」
奈緒ちゃんは私たちの憐憫の眼差しに気付かず、やたら姿勢よく手をあげるとウェイトレスさんを呼びます。
まるで「いつものヤツを頼むと」いった感じで、ウェイトレスさんにミルクティーを注文する奈緒ちゃん。そのくせ毎回メニュー表見るのは矛盾してません?
「ケーキの注文せえへんの?」 「当たり前だろ? 響子がせっかく私のために料理作ってくれるってんだから、お腹は空かしておくに限るってもんだ」 「ふっふっふ、それは腕の振るい甲斐がありますね」 「頼むよ~、もうおつまみばっかり食わされるの御免なんだよ~」
げっそりとした顔でそう言う奈緒ちゃん。まぁ、お酒のレポート番組なのに実際に飲むのは早苗さんだけですし、そりゃこうもなりますよね……。
「で、早苗さんはまた例のメンバーなんですか?」 「そそ、アフターファイブのメンツ。あの人ら本当に懲りないよなぁ」 「ははっ、若者は若者だけでパーティ―しとけってことやろ?」
う、うーん。 パーティーってほど豪華なものでもないんですが……。まぁ頑張りましょうか。
「お待たせしました~」 「あ、どもども」
顔なじみのウェイトレスさん奈緒ちゃんの前に紅茶のカップを置くと、いつものような笑顔を見せ話しかけてくれます。あ、でもなんかちょっと今日は意地の悪い笑顔のような。
「奈緒ちゃん、観たよ、あのPV」 「なっ!」 「奈緒ちゃんの子供らしく無邪気なところが凝縮されてて良かったわー」 「それ褒めてないだろ!?」 「えー、褒めてるつもりだったんだけどなぁ。まぁいいや、あ、響子ちゃんは百点満点。超可愛かったわよ」 「あ、ありがとうございます!」 「この差! この差はなに!?」
笑いながら去っていくウェイトレスさんに、奈緒ちゃんは真っ赤な顔で何かを訴えようとしましたが、さすがに周りのお客さんに迷惑と思ったようで言葉を飲み込んだようです。
「しゃあない。あの奈緒は面白かった」 「時間にすると十五秒ないのにすごいインパクトでしたよね?」 「……くそ、あの編集をしたやつとっちめたい」 「どうせ中村プロデューサーなんじゃないの?」 「知ってるよ! 知ってたよ! あの人しかやらないよ、こんなこと!」 「はははっ! 奈緒は迂闊すぎるんやわー!」 「ホントですよ、もうちょっと普段からセーブしてくださいよ、ぷぷっ」 「お、おまえらぁ……」
私と笑美ちゃんが大笑いしたもんだから、奈緒ちゃんはいじけたように紅茶をすすり始めていました。
*
「うわ、もうこんなに暗くなってる」 「まだ六時前なのにな」
346プロダクションから出た私たちを包み込む緩やかな残照。
「寒っ。なんかやたら冷えへん?」 「ちょっと前まで冷房がないと、この時間でもしんどかったんですけどね」
ひんやりとした風を身体で感じながら、私たち三人は346を後に会社の女子寮へ歩き始めました。
「で、買い物はどこ行くんだ? 私は寮暮らしじゃないから、よくわかんないぞ」 「あれ、奈緒ちゃんって寮来るの初めてなんですか?」 「そやで。そうじゃなきゃ、わざわざ奈緒なんかを会社まで迎えになんていかへんわ」 「なんかって言うな、なんかって」
ああ、なるほどそうだったんですね。 私はてっきり奈緒ちゃんにも買い出しの手伝をさせるとばかり。 かな子ちゃんはよく寮に遊びに来るから、奈緒ちゃんも来た事あると思ってましたよ。
「これまで別に用もなかったしな~。今日だって響子が手料理食わせてくれるなんて言わなきゃ来てないぞ」 「奈緒ちゃんのお誕生会なのに?」 「料理込みじゃなきゃなー」 「現金な話ですねぇ……」 「へっくしょい!」 「うわ、びっくりした!」
会話を遮る笑美ちゃんの盛大なくしゃみ。 結構冷えてきたので、半袖Tシャツの笑美ちゃんは辛そうですね……。
「うう、失敗や。上着持ってくるんやった」 「さっきまで結構暑かったですからねぇ」 「寒暖差ありすぎやで、ホンマ」 「んじゃまぁ、風邪引く前にさっさと買い物済ませて帰りましょうか」
そうやな、と笑美ちゃんはオーバーアクション気味に震える仕草を見せました。 今日は九月三十日金曜日。 プレイアデスのメンバーは今日から三連休だったのですが、奈緒ちゃんと早苗さんだけは仕事の関係上明日から休みです。 え? 学校はどうしたって? ま、まぁたまには休まないとと身体が持ちませんし。け、決してさぼってるわけでは。
というわけで、奈緒ちゃんは今日から笑美ちゃんの部屋でお泊りです。 色々ドタバタとしていた九月、知らない間に奈緒ちゃんの誕生日が終わってた事を知ったのは三日前。 奈緒ちゃんは「誕生日会なんて照れくさいから別にいい!」と断ってきましたが、あんなにもだらしなく笑いながら断るものだから、逆にやらないわけにはいかなくなりまして。
どうでもいいですが、奈緒ちゃんのあまりにもなニヤけ顔に、私の意地の悪い部分が「じゃ誕生日会はやらないくていいね」って言いそうになりましたよ。なんとか堪えられましたけどね。なんだかそれを言っちゃうと、私も皆口さん化が進んでしまいそうだったので……。
「で、何作ってくれるんだ?」 「なんだと思います?」 「むぅ、質問を質問で返すとは、やるようになったな響子」
奈緒ちゃんにそう言われて私は首を傾げます。 別にそんな事ないと思うけど。ていうか、何を満足そうにウンウン頷いてるですか、奈緒ちゃん。
「まぁ、急がんでもええやろ。むしろ出来てからのお楽しみやで?」 「そりゃそっか」 「そうそう、楽しみにしていて下さい」
すっかり日も沈み、だんだんとネオンの灯りが際立ってきた東京の街。 初めて来た時は夜になってもまるで暗くならない街並みに圧倒されましたが、今となってはこの光が逆に安心できちゃうので、人間の慣れってものは怖いものです。 しばらく大通りを歩き横道に入ると、街が裏通りの姿を見せ始めます。 会社から寮までは徒歩で僅か十五分。と、近いわりには裏道に入っちゃうと結構静かなんですよ、大都会って不思議です。表通りと裏通りでは二つの顔があるみたい。 どっちが本当の顔なのかな?
ふふ、きっとどっちも本当の顔なんでしょうね。 「あ、見えてきたで」
隣を歩く笑美ちゃんが指差すのは、古びた中規模サイズのスーパー。さすが裏通りにあるだけあって、生活感溢れる老舗の店舗であることが外見からもヒシヒシと感じられます。 私たちは慣れたものですが、初めて見る奈緒ちゃんはさすがに驚いた様子。
「なんか華やかなアイドルには似合わない店だなぁ」
わからなくもありません。でもこういうお店だからこそ、ろくに変装もしてないアイドルが買い物に来ても、騒ぎにならないというメリットもあるんですよね。 それにしても慣れ親しんだ実家のある街でも、ここでも、月海町でも、どうにも私はこの手のお店にご縁があるようです。 自動ドアをくぐって中に入り、年季の入ったカートを引っ張り出しプラスチック製の籠を押し込みます。
「さ、手早く買っちゃいましょうか!」 「あいよー」 「了解やー」
私の号令のもと買い物が始まります。 しかしこんな事ばかりしてるから皆口さんの言ってた通り、どんどん私の肩書がしっかりしてきちゃった気がしないでもありません。
「材料は何人分やっけ?」 「えーと……」
笑美ちゃんにそう言われて私は指折りをしながら数を数えます。 まずは私でしょ? でもって奈緒ちゃん、笑美ちゃん、かな子ちゃん。周子さん。あとは――
「七人ですね」 「結構いるな!」 「いるなぁ。まぁ、だから買い出しも三人の方が効率がよかったって話やね」 「え? あたしを迎えに来てくれたわけじゃないの?」 「半分は荷物持ちや」 「嘘だろ、主役にこの仕打ち……」
ああ、やっぱり奈緒ちゃん荷物持ちだったんだ。さすが笑美ちゃん、こういうところはしっかりしてます。
「あたしの扱い、日に日に酷くなってるような……」
ショックで立ちすくむ奈緒ちゃんを置いて、私と笑美ちゃんは笑いを堪えながら店内を歩き始めました。
*
「奈緒、誕生日おめでと~」 「おめでとさん!」 「奈緒ちゃん、おめでとう」 「おめでとうございます!」 「ん~、ハッピーバースデー!」 「おめでとう!」
みんなの祝辞と拍手に照れる奈緒ちゃん。 本当、なんでこんなに表情豊かなんだろう……。
「ま、まぁ二週間も過ぎてるだけど。なんだその、ありがとう」
照れ照れの奈緒ちゃんに、食卓からも笑い声が溢れかえります。 うん、やっぱりお誕生日会のこの雰囲気好きだなぁ。
「それじゃ、乾杯するよー、みんな用意してー」
周子さんの合図でみんなのグラスが高く掲げられ、チリーンと心地の良い音色を響かせました。中身はウーロン茶ですけどね。 こうして寮の共通リビングを貸切らせてもらっての、奈緒ちゃんお誕生日会はスタートしました。こういう事を寮でするのって初めてで、ワクワクしますね!
「あ、美味い!」 「ほんと、美味しい!」
と、みんなが早速私の料理に箸をつけて感想を口にしてくれました。 やっぱりこういう時にはこの料理しかない! っていう渾身のものにしたので、そう言ってもらえると素直に嬉しいですね!
「ああ、なんだよ、こんなに美味しかったのか、このハンバーグ!」 「ほんまやん、これやったら月海の時にちょっとでも凛はんにわけてもらえればよかったわ!」 「うわぁ、美味しい!」
奈緒ちゃん、笑美ちゃん、かな子ちゃんがガツガツと食べてくれます。 ふふふっ、私だってどんどん腕を上げてますからね。凛ちゃんにご馳走した時のハンバーグよりも美味しくなっていると思いますよ。
「ん、これは本当に美味しい。ちょっと前に作ってもらったオムライスも美味しかったけど、それ以上だねぇ」
周子さんはいつもと変わらずマイペースな感想。
ですが「さすがじゃん」といった感じでウインクを送ってくれます。……ズルいなぁ。凛ちゃんもそうだけど、カッコイイ人のそういう仕草は反則ですよ。 と、そんないつものメンバーの中、私の隣に座るのは――
「響子ちゃん、サラダよそってもらえるかな?」 「あ、はいはい。どのくらいです?」 「ふふ、結構ドバーっといっちゃっていいよ♪」
ニコニコとした顔で座るのは、ウェーブのかかった茶色の髪に優しいそうな表情を持つお姉さん――有浦柑奈さんです。
「はい、どうぞ~」 「うん、あんがとね!」
凛ちゃんの時もそうだったのですが、こうして憧れだった柑奈さんと食事をしていることが未だに信じられません。
「ん? どうかした?」
私の視線に気付いたのか、柑奈さんはフォークを口に咥えたまま首を傾げます。本当、TVで観てた時のままのナチュラルさなんだもんなぁ。
「いえ、こうやって話すのも随分慣れたなぁと思いまして」 「あはは! 最近は結構一緒にお茶とかするしね~!」
有浦柑奈さんは、美城芸能事務所が346プロダクションとして生まれ変わった三年前から在籍する古参のアイドルです。どちらかというとアーティストって言った方がしっくり来る気もしますが。私が中学時代によく聴いていたのも柑奈さんの歌だったんです。 その歌声の主と友達になってるなんて今でも現実感ないですよ、本当に。
今までほとんど接点がなかった他部署の面々。 でもあの夏の日から、その垣根が少しづつ崩れ出しています。それというのもキングダムの中村プロデューサーや、ワンダーランドの神谷さんが何か裏で色々やってるみたいで。
柑奈さんが「私の歌どうだった?」と肩を叩いて挨拶してくれたのは、九月の頭だったので、もう一ヶ月前でしょうか? うーん、早いものです。 そうそう、彼女には『ハイビスカス*シリアカス』としての私用のソロ楽曲を提供してもらったんです。柑奈さんは滅多に他人に曲を提供しなかったこともあり、他人がどう自分の歌を唄うのか興味津々だったみたいですね。 それで私にも声をかけてくれた、とそんな経緯です。
「今日はこの後、まだ一仕事あるんだから響子ちゃんはあんまり食べたらダメだよ~」 「あははっ、わかってますよ。腹六分目ぐらいにしておきますね」
私の言葉に柑奈さんは「まぁ、私は食べちゃうけどね!」と再びハンバーグを食べ始めました。ああ、こんなにも美味しそうに食べてもらえると本当に嬉しいなぁ。そんな事を思っていると、今度は向かいの席の女の子が「あ!」と小さく声をあげました。
「しまった、こんなに美味しいハンバーグならドーナツに挟んでもよかったのでは……」
そう呟くのは柑奈さんと同じ部署に所属している椎名法子ちゃん。ポニーテールが可愛らしい十三歳の女の子です。無類のドーナツ好きで有名なちょっと変わった子ですが、実はかなりの実力者らしく、幼少組では注目株です。
「よし、少し残して後で試してみよう」
そのよからぬ作戦に反応したのは、我らが星空組が誇るパティシエかな子ちゃん。
「法子ちゃん、さすがにお菓子とお料理は別モノと考えたほうが良いんじゃないかな」 「いやいやそんな事ありませんよ、こういうアイディアが明日のドーナツを作るんです!」 「それはお菓子にもお料理に失礼だよ~!」
仲良きことは美しきかな。 二人は熱心なお菓子談義を始め、私たちはその様子に声をあげて笑うのでした。
*
「さて、それじゃそろそろやりましょうかね」
食事が終わり雑談に花が咲いてる中、柑奈さんは私の肩をポンと叩きながら立ち上がりました。「そうですね」と返すと私も続いて席を立ちます。
「お、待ってました!」
笑美ちゃんの声にちょっとはにかみながら、私はみんなの座るテーブルから少し離れたソファーへと向かいます。 そこに立てかけられたのは一本の古びたギター。
「さ、爺っちゃん。はりきっていきましょうか!」
ソファーに座り颯爽とギターを構えた柑奈さんは、楽しそうにジャジャーンと音を鳴らしました。
「やった! 待ってました! あたしもこういうのやってもらいたかったんだよね!」
拍手をしながらはしゃぐ奈緒ちゃん。 どうやら藍子ちゃんの誕生日の時、中村プロデューサーのギターで唄った事が忘れられない様子だったようで。なんとか自分もそういう誕生日会やってほしいという無茶な注文をつけられたのですが。
「~~♪」
隣でギターを楽しそうに弾く柑奈さんと、寮長の二十一時までならOKというご厚意により、このプチライブは開催されることとなったのでした。
「でもいいの、奈緒ちゃん。自分で唄わなくて?」 「ああ、いいよいいよ。月海町であたしはカラオケ大会堪能したしな!」
中村プロデューサーを捕まえてカラオケ大会と言ってしまえる奈緒ちゃん、恐ろしい子……。
「響子ちゃん、がんばー!」 「柑奈さん、がんばー!」
かな子ちゃんと法子ちゃんのお菓子コンビの応援に私と柑奈さんは軽く手を振ります。 さて。 大きく深呼吸。
……懐かしい。 あれから口ずさむことはあっても、大きな声で唄うことはなかったから。 そう、ハイビスカス*シリアカスの楽曲は、あの夏だけの歌だったから。
上手く唄えるかな? 目を瞑ると、小さな声で「大丈夫だよ」と聞こえてきました。 それは柑奈さんの励ましの声。 だけど私の心には、懐かしいあの声で。
「うん、そうだね、凛ちゃん」
小さく呟いた私は、柑奈さんへと視線を送ります。 彼女はニコリと笑い―― 「ラブ&ピース!」
そして始まる今宵一夜限り、一曲だけの青いハイビスカス*シリアカス。
『青空にかざした手、隙間から顔を出す夏雲』
柑奈さんの優しいギターに乗せて私は唄い始めます。 あの夏の思い出を。
『後ろから君が呼ぶ、いつもより無邪気な笑顔で僕を見る』
テーブルに座るみんなの優しい笑顔。 ああ、奈緒ちゃんの誕生日なのに、これじゃ私にとってのプレゼントみたい。 今振り返れば、すぐ後ろに凛ちゃんが「がんばれ響子」と言ってくれてるみたい。
『あれからどれくらいの時が経ち傷ついてきただろう、それでも僕たちは歩き続けるの? 探し続けるの?』
ふふ、柑奈さんに言われたっけ。 この歌詞は、三年後ぐらいに唄うと味が出るよって。 たしかに、今の私にはまだこの歌詞の内容は分からないことだらけです。だってあの夏の日からそれほど時間は経っていないんだもの。 でも、きっと歳を取れば取るほど私はこの歌を好きになっていくんだろうって予感はあります。来年の夏にはもっともっと上手く唄えるかも?
『裸足で駆け抜けてふたりで笑いあった、ちょっとだけ振り向いて、遠い記憶に描いた未来』
目に浮かぶのは、凛ちゃんと走ったキラキラと輝く海辺の風景。 突き刺さるような夏の日差しと、私たちを包み込んでいた懐かしい潮の香り。 それを全部胸にしまい込んで。
『僕の目に映るもの 君の眼に映るもの、きっとそれはひとつだよと』
あの時の私と凛ちゃんには、お互い見える世界があまりに違いすぎてて、それを埋める為に私たちはぶつかって、泣いて、叫んで……。
『風が頬をなでる』
でもそんな苦い記憶も、月海の星と風が、全部さらっていったんだっけ――
楽しい。 唄う事って楽しいね、凛ちゃん。
ソファーに座りギターを弾く柑奈さんが、綺麗なハーモニーを私の歌声に被せてくれます。それは凛ちゃんの声じゃないけれど。 だけど本当に楽しくて、嬉しくって、幸せで。
ああ、凛ちゃん。 私、アイドルの事、大好きになったよ。
*
都会から眺める夜空はとっても明るくて、星空は全然見えません。 でも今の私にはこの見えない星空はなんだか安心するものとなっていました。 どうしてかっていうと――
「黄昏てんね、響子」
寮の中庭にあるベンチに座り、空を見上げる私に声をかけてきたのは周子さんでした。 相変わらず神出鬼没と言うか、いつの間にかそこに居るんですよね、この人。
「ちょっとセンチな気分になりまして」
周子さんは苦笑しながら、立ったまま私と同じように空を眺めます。
「夏ももう終わりかー」 「はい、終わっちゃいます」
時刻はもうすぐ二十二時。あと二時間で十月になっちゃうんですね。
「月海の空に比べると雲泥の差?」
周子さんがちょっとだけ意地の悪い顔でそう言います。 ですが私はゆっくりと首を横に振りました。
「この空はこの空で好きですよ。どんな空だって、それはあの時の夏空に繋がってますから」 「詩人だなぁ。凛ちゃんに影響受けちゃった感じ?」 「そんなところです」 「言うねぇ」 「ま、親友のことですからね」
笑いながら「ひゅ~」と口笛を鳴らす周子さん。 まぁ、確かにちょっと臭いセリフなんですが、これ隠してもしょうがない事なので。
「いいねぇ、本当。そういうこと恥ずかしくなく言えるようになったのは大人になった証拠だよ」 「え、そうなんですか?」 「さぁ?」
ケラケラ笑う周子さん。もう、ホントに掴みどころないなぁ。
「よいっしょっと」
周子さんは私の隣に座ると、上着のポケットから缶コーヒーを取り出しました。パキンっと軽い音を立てプルタブを開けると「ホイ」と、その缶を私へと差し出します。
「え、私に?」 「ふふ、シューコも、さっきのプチライブにちょっと感動しちゃってね。これはいい歌を聴かせてくれた事へのお礼」 「安いですね~」 「あ~、酷いなぁ、あげないよー?」 「嘘です嘘です、ありがたく頂戴しますよ」
周子さんからコーヒーを受け取ると、まだ熱い缶の表面が冷たくなりはじめていた手をジンワリと温めてくれました。
「ああ、それとさ響子」 「はい?」 「PV再生数、五百万おめでと」 「あ、ああ……はい、ありがとうございます……」
う、不意打ちの祝辞は勘弁してください。こういうのに私は一番弱いんですって。
私は照れ隠しにコーヒーをズズッとすすりました。
「いやぁ、あのアワアワと走り回っていた新人の響子が、レジェンドユニットの仲間入りとはねぇ」 「ま、まぁ、どちらかというと凛ちゃんの功績ですが」
ニッコリ動画で生放送された私と凛ちゃんの誕生日ライブは、楓さんの公共電波を私物化してしまった広告とツイッティ―から一気に拡散されました。 まさか中村プロデューサーの言っていた通り、八月十日に私たちが日本の音楽シーンを騒がせることができるなんて。今でもちょっと信じられない夜だったなぁ。
「でも、響子もあれから仕事増えたんでしょ?」 「うーん、まぁそこそこは。どちらかというと料理番組とかの方が多くなってますが」 「あはは! あのPVのカカァ天下っぷりを見ればなぁ! なんだっけ、お嫁さんにしたいアイドル候補だっけ?」 「うう、その肩書き嬉しいようなそうでもないような」
『お嫁さんにしたいアイドル、五十嵐響子』
これが今の私の肩書。 初めて月海町に向かう時、車の中で皆口さんは言いました。アイドル活動に家事全般の能力を転用することは可能だって。 あの時はできるわけがないって噛みついたのですが、まさか現実になってしまうとは。 ……でもね、本当に変わったのは凛ちゃんの方。 彼女の歌声は、より一層力強く、そして優しく、そしてより伸びやかに。
「私はともかく最近の凛ちゃんは本当にすごいですよ。ますます遠い存在になっちゃった感じしますもん」
再び夜空を見上げます。 今日は快晴だったので、今だって雲はほとんどないはずなのにやっぱり星は見えません。それでもあの空の向こうには。
「だけど凛ちゃんは、この夜空の見えない星と同じ。見えなくても居るんです」
いつでも目を閉じれば、あの天の川が思い出せるように。
「……なるほどねぇー」
周子さんの言葉に私は頷きます。
だから今の私は寂しくない。 この空も。 これから始まる秋も。 変わりゆく全てが。 もう一度、あの夏に繋がっているから。
「なぁ、響子」 「ん?」 「アイドル楽しい?」
うん。 これがあの夏、私が得た一番の宝物。
「楽しいですよ!」
この宝物を胸に抱き私は唄います。
これが私の選んだ道。 私と凛ちゃんが、あの夏の夜から分かれた道。
そして一年に一度だけ交わるための道。 私たちはその一度の為に、季節を越えて別々の道を歩き続けるんだ。
*
双子の巫女。 そのもう一つの伝承。
姉である太陽の巫女は、唄えなくなった妹の月の巫女の為に、日食の月海の地を駆け抜けました。 だけどそれは穂含月神社に伝わるもの。 海沿いにある睦び月神社には伝わる伝承はちょっと違っていたのです。 あの長い夜を超える前日、小山さんが私に教えてくれた最後のピース。
姉である太陽の巫女も妹に会えない為、実はもう限界が来ていたのです。 歌えなくなっていたのは月の巫女だけではなかったんです。 月の巫女は、決して太陽の巫女に守られるだけの存在ではなかったのです。
じゃ月の巫女はどうしたかって? それは、太陽の巫女は必ず来てくれると信じて祈る事だったんです。 その祈りが、争い合っていた山と海の神様の心を動かしたんです。 あの時の私に必要だったのは、私たちは再び出会えると、凛ちゃんを信じることだったのです。
日が昇ると、月は隠れてしまいます。 その存在はとてもとても小さなもの。 だけど夜がなければ、また朝もやって来ません。
表があれば裏もある。 裏があれば表もある。
きっと、太陽の巫女にとっての妹は。 きっと、月の巫女にとっての姉は。 この世界の半分だったんです――
*
十月三日、月曜日。 今日はロケ地へ直行ということで、もうすぐ迎えの車がやってきます。 ドタバタと支度を済ませ時計を見ると集合時刻の六時になろうとしていました。
「やっぱり慣れない三連休はダメですね……っ」
愚痴りながらも手早く用意を済ませた私ですが、残念ながら朝ご飯を食べれる時間までは確保できませんでした。むぅ、途中でコンビニ寄ってもらえるかなぁ。
「よしっ!」
鏡の前でお気に入りのサイドポニーの位置を確認すると、バッグを抱え私は大急ぎで部屋を出ます。 するとそこには――
「うわっ!」 「きゃっ!」
廊下を走っていたと思われる笑美ちゃんとぶつかってしまいました。 まさかこのタイミングで!?
「大丈夫!? 笑美ちゃん!?」 「だ、大丈夫大丈夫~。響子こそ平気か?」 「私のほうはなんとも……」
結構思い切りぶつかってしまいましたが、幸い二人とも転ばずに済んだようです。
と、そうだ時間! 時間が!
「ご、ごめんなさい、あとちゃんと謝るから、今は急ぎましょうか!」 「そ、そうやな! 皆口さんに怒られてまう!」
部屋に鍵をかけると、私と笑美ちゃんは寮の駐車場に向かって走り始めます。 ひぃ、せっかく心機一転、十月のスタートがこれとは!
「ハァハァ!」 「ふぅ!」
二人揃って外に出ると、少しだけ強い風が私たちを迎えてくれました。 その風にはもう、夏の香りはしなくなっていて――
「コラ~! 二人とも遅刻よ~~!」
駐車場で手を振る皆口さんに、慌てて私達は駆け出します。
「アカン、あれは怒ってるで!」 「皆口さん時間には厳しいですもんね!」
と、ふいに秋風が優しく背中を押してくれました。
”さぁ、響子――”
風の中に聞こえる凛と透き通った声。 その優しい響きを胸に抱き入れて。
「おはようございまーす! 今日もよろしくお願いしまーす!」
大きな声で挨拶をします。 アイドルにとって挨拶は基本ですもんね!
後ろを振り返ることなく私は走ります。 だってもう、そこには何もないから。 全ては私の胸の奥に仕舞いこんだから。
サヨナラ、十五歳の私。 本当に楽しかったよ。
だから、最後にもう一度、魔法の言葉を。 私たちの約束の言葉を――
『またね!』
世界は夜を超えていく/アウトロダクション 了