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エピローグ


 

「奈緒、かな子、忘れ物はない?」 「大丈夫かなぁ。大して荷物も多く持ってきてなかったし」 「私も大丈夫でーす。お財布とスマホがあればなんとかなりますしね」

 皆口さんに返事をしながら、奈緒ちゃんとかな子ちゃんはショルダーバックを肩にかけると教室の中を見渡します。

「五日間かぁ。長かったような短かったような」 「私はすっごく長いバカンスに感じましたよ~」

 私と凛ちゃんは、そんな二人の後ろ姿を見つめます。  これはあくまで私がそう思っているだけなのですが、その後ろ姿はとっても名残惜しそうで、それが寂しくもあり嬉しくもありました。  私はすっかり月海町の事が好きになっていました。

 だから、この地に居たという思い出が楽しいものであったと感じてもらえるのが何よりも嬉しくて。

「まぁでも、二週間後にはまた来るんだけどな!」 「そうだよ、響子ちゃん。だからそんな悲しそうな顔しないで?」 「え?」

 いつの間にか二人は私の頭を交互にぽんぽんと叩いていました。

「……凛ちゃん、私って悲しそうな顔してる?」 「そりゃもう、この世の終わりってぐらい」

 そっか、私寂しいんだ。  最初は凛ちゃんと私の生活に奈緒ちゃんとかな子ちゃんが加わる事が少しだけ、ほんの少しだけ嫌な感じがしちゃって。  でもいつの間にか、もう二人は私の生活に溶け込む存在になっていたんですね。

「私、悲しいみたいですよ?」 「なんで自分の感情に疑問形なんだよ」

 そう言って奈緒ちゃんが笑います。ホントですね。笑っちゃいます。

「さ、それじゃ行きましょうか」 「はーい」 「はいよ~」

 皆口さんの言葉に二人は教室を後にしました。  私と凛ちゃんも見送りのためにその後をついて教室から出ました。今は奈緒ちゃんやかな子ちゃんが居ない教室を見たくなくって、私は振り返ることができませんでした。  まだ時刻は朝の十時なのに、真夏の空気は肌にまとわりつくよう。でも、何故かそれは心地良く感じられてしまって。  開けっ放しの窓から聞こえる蝉の鳴き声。それと混ざり合う廊下を歩く私たちの靴音。

 コツコツ、コツコツ。

 靴音は私の心をざわつかせます。  それを振り払うように、私は小さく頭を振りました。

「あ、忍たち、ちゃんと電車乗れたってさ」

 スマホを弄る凛ちゃんがそう言います。ああ、間に合ったんだ。良かったぁ。 

「一本逃すと、次の電車が三十分後ってのは痛いね」 「そこは田舎ですし、しょうがないですよ」 「しかし、ここからラジオ収録とか。休み明けからハードなスケジュールだなぁ」

 そうなんです。工藤さんと高森さんは月見町から、そのままパーソナリティーを務めるラジオ番組の収録の為にスタジオへ直行。売れっ子って、すごいなぁ。

「私が今ラジオも休んじゃってるしね。二人には申し訳ないって思ってるよ」

 凛ちゃんはそんなことを口にしながらもどこか楽しそう。その感情は言葉に乗っていたようで、先を歩く皆口さんは振り向くとニヤリと笑いました。

「渋谷さんもここでの生活が気に入ってきちゃったかしら?」 「まぁね」

 自然に。本当にごく自然にそう答える凛ちゃん。  皆口さんはちょっとだけ驚いた表情を見せると、その後優しく微笑み「良かった」と一言告げると再び前を向きました。  その背中は、なんだかすごく頼りがいがあるように見えて。  この合宿中は凛ちゃんからだけじゃなく、皆口さんという大人の女性からも、色んな事を学んだ気もします。  そうこうしていると、あっという間に下駄箱のある入り口までやってきていました。

「あ」

 かな子ちゃんが自分の上履きを脱ぐと、それをいつものように下駄箱に入れようとして止まっていました。

「皆口さ~ん、これってここに入れておいていいものなんですか?」 「え? ああ、靴か。いいんじゃない? そこはもうかな子の永久下駄箱ってことで」 「えへへ、それはいい案ですね」

 かな子ちゃんは、ちょっとはにかみながら下駄箱へと靴をそっと入れました。奈緒ちゃんも同じように上履きを入れると、その靴を見てなにやら頷いています。

「永久に使える下駄箱ってすごいお得感だな」 「永久に留年してる気持ちが味わえるかもね」 「やめろよー」

 茶化す凛ちゃんにジト目の奈緒ちゃん。この二人も本当に仲良くなりましたねぇ。

「さて。それじゃ外は熱いし、見送りはここまででいいよ」 「そうですね、響子ちゃん、凛ちゃん。がんばってね」

 奈緒ちゃんとかな子ちゃんは、眩しく光る玄関を背にそう言いました。逆行に浮かび上がるシルエットになった二人に、私は「がんばります」と力強く答えます。

「二週間後、奈緒とかな子がびっくりするようなライブを見せてあげるよ」 「おお、楽しみにしてるよ。そんじゃまたな」 「またね~」

 手を振る二人に、私と凛ちゃんも手を振ります。

「また」 「またね!」

 二人は皆口さんの車へと歩いていきました。その後ろ姿を見送る私たちに、皆口さんが声をかけます。

「それじゃ私も行くよ。二人を送ったら、一旦346に帰る。色々とこっちに持ってきておきたい資料もあるし。それにいい加減、部署の方も心配だもの」 「川島さんが居れば大丈夫だと思いますけど」 「うーん……まぁ、普段通りならねぇ」

 微妙に信用されてない川島さん、かわいそう……。

「それじゃ響子、渋谷さん。今日は自主レッスンしておいてね。明日からまたビシバシいくわよ」 「了解」 「わっかりました~」

 軽いわねアンタ達、とそんな言葉を残し皆口さんもまた346プロダクションへと帰っていきました。

 教室に戻った私たちを待っていたのは、ガランとした風景でした。  今日の朝まで、ここには奈緒ちゃん、かな子ちゃん。工藤さん高森さんも居たのに。何十倍にも大きくなってしまったように感じられる教室は、今の私と凛ちゃんでは持て余してしまいそう。

「……なんか寂しいですね」 「……そうだね」

 教室に入ることもできず、しばらく私と凛ちゃんは入口で立ち尽くしていました。  そんな時、その音は鳴ったんです。

 ピコン♪

 私と凛ちゃんのスマホの通知音が、静かな教室に鳴り響きます。

「あれ、グループチャットかな?」

 二人してスマホの画面をのぞき込みタップしてメッセージを開きます。  そこには高森さんからのメッセージが――

 ピコン♪ ピコン♪ ピコン♪

「わわ、どんどんくる!」

 とめどなく送られてくるのは、私たちの六人の写真! 写真! 写真!  あははっ! すごい! これなら全然寂しくなんかありません!

「こんなにたくさんの写真、一体いつの間に!?」 「もう……頑張りすぎでしょう、藍子」

 そこに写る私と凛ちゃんは本当に楽しそうで、キラキラと輝いていて。  ああ、私たちのデジカメにはお互い、一人ずつの写真しか入ってなかったのに。  高森さんが私たちを一緒のフレームに収めてくれていたんだ!

 ピコン♪

〈中村プロデューサーから、この四日間でできるだけたくさんの写真を撮るように言われていました。みなさんのお気に入りになるような写真が撮れていたら嬉しいな〉

 最後に付け加えられたメッセージ、私と凛ちゃんは顔を合わせました。

「プロデューサー、たまにはやるじゃん……」 「中村プロデューサーって、意外にかっこいいこと考えるんですね」 「え?」 「へ?」

 私たちは同時にそんな事を言い、その評価があんまりだということに気付くと可笑しくなって笑いました。  それが本当に心の底から可笑しくって。

「ふふ、響子、今から何か唄う?」 「いいですね! それじゃ二人だけのカラオケ大会しましょうか!」 「いや、私たちの持ち歌なんだからカラオケじゃないでしょ」

 そんな言葉と共に私たちは教室へと入りました。机の上にあるコンパクトスピーカーにスマホを繋ぎ私は凛ちゃんを見ます。当然のように彼女も私を見ていてくれて、その微笑みが本当に嬉しくって。

「うん! スイッチオーン!」

 私たち流れ出るメロディーに乗せて唄います。  ああ、この瞬間がいつまでも続けばいいのに。

 いつまでも、いつまでも――

 コツコツ、コツコツ。  でも。

 そんな楽しい時間を奪うような音が、いつしか私の中に生まれていました。  真夏の廊下に鳴り響いたあの靴音。  奈緒ちゃん達が去って行った時に聞いたあの足音。

 コツコツ、コツコツ。

 私と凛ちゃんの時間もいつしか終わりを告げます。

 その時には、あの靴音を鳴らして月海から去って行くのでしょう。

 ――その時から、私たちは同じ時間を分かち合うことができなくなって。

 コツコツ、コツコツ。

 その音を掻き消すように私は叫びました。

「凛ちゃん、楽しいね!」

 凛ちゃんの笑顔を瞼に裏に焼き付けて、今は何もかも忘れて唄おう。  あの夜の続きを。この一夏の物語を。

 

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2017/05/12

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