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第十一話


 

 祭囃子が聴こえます。  お母さんに買ってもらったアサガオ柄の浴衣を羽織った私は、元気よく踊り続けてたんです。  地元の夏祭りで行われていた盆踊り大会。  大会なんて大層な名前はついてたけど、実際にはみんなで楽しく踊るだけ。でも、だからこそ、大人も子供も、おじいちゃんやおばあちゃんも、みんな幸せそうに踊っていました。

 そんな中、私も同じように溢れるような笑みを浮かべて踊っていたんです。私が笑いかけると、みんなも笑いかけてくれました。それが嬉しくって。  その笑顔を見たくて「もっともっと!」って私は踊り続けたんです。  浴衣を袖を翻し、いつの間にか歌を口ずさみながら。  そうして踊り終わった私に、友達はぴょんぴょんと飛び跳ねてこう言ってくれたんです。

 ――響子ちゃん、踊るの本当に上手だね!

 私の両手をしっかりと包み込んでくれていた友達の手の温かさ。  その温もりは今も記憶の中に……ううん心の中に確かにあったんです。  いつの間にか思い出さなくなっちゃってたんですけどね。  でも、そんな懐かしい友達の顔はだんだんと擦りガラスの向こうの景色のようにぼやけていきます。同じく消えていく夜店や夜空に花を咲かせていた花火。私の瞳に映る世界は次第にモノトーンになっていきました。  ふと気づくと私の足元に地面はありませんでした。無重力というのを体験した事はありませんが、きっと今の私はそういう状態なんじゃないかなと思います。動かしても何も掴めない手、どこを踏みしめていいのかわからない地面。全ての感覚が無になり、ただ暗く、黒く、そして深く。  不思議と怖くはありません。それどころか私はこの何もない空間に安らぎを感じていたんです。  ああ、ここなら、さっきの楽しかった記憶を抱いて眠れるって。

 すると真っ暗闇の中、私の手には暖かな光が灯っていたんです。その微かな光をのぞき込むと、その向こうには違う世界が見えました。  そこにはさっきと似たようなお祭りの風景があって、また祭囃子が聴こえてきたんです。

 そっか、まだやらなきゃいけない事があるんだった。

 私は瞼を閉じ光の先に向かって歌います。  届くのかな? あ、ダメか。この歌はきっと届かないものです。  そう、この歌は彼女の心には届かないんです。  それでも私はひたすらに唄います。  『ららら』と、歌詞のない歌を唄い続けるんです。  ひたすらに、ひたすらに。  ただ、ひたすらに――。

「……う、うん」

 静寂が支配する早朝の教室、私の世界は再び色彩を取り戻していました。  私の手を優しく包んでくれているのは。

「凛ちゃん……、ずっと握っていてくれたんだ」

 目の前で静かに寝息を立てる女の子。  その寝顔は、私がこの合宿所に来た初日に見たあの顔と同じです。  そうだ、あの時はこの無邪気な寝顔から逃げてしまったんだっけ……。  でも今は違います。  一晩中握ってくれていたであろう凛ちゃんの手を軽く握り返します。

『明日は、私が響子を守るよ』

 昨晩の凛ちゃんの言葉を思い出し、じんわりと涙が滲みました。

 全部私のせいなのに……。

 握られた手をそっとほどき、私は凛ちゃんの左肩を優しく撫でます。そこにはTシャツごしに伝わるテーピングのごつごつとした感触がありました。

「ほんとにごめんね、凛ちゃん……」

 頑張らなきゃ。  零れ落ちそうになった涙をグっとこらえます。  お腹はじんわりと傷み、右肩にも相変わらず違和感。でも、そんなことどうでもいいんです。こんなの心の痛みに比べれば。  私にはやらなくちゃいけない事があるんです。

 ――凛ちゃんを、あの満天の星空の下に立っていた『渋谷凛』に戻してあげなきゃ。

 パコン!

 奈緒ちゃんの撃ちだしたコルクの弾丸は、携帯ゲーム機の箱に見事に命中!  でも、案の定というか、なんというか……。

「くっそ~! なんで落ちないんだよ~!」 「やっぱムリだよ、奈緒ねえちゃん……」 「もっと小さいのでいいよ?」 「さすがに奈緒ねえちゃんのおこづかいが心配だよぉ」 「いいや、ミリ単位では動いてんだよ! あと四、五発当てればあるいは!?」

 夜店の射的に果敢に挑む奈緒ちゃん。すでに放たれた弾丸は十発を超えています。奈緒ちゃんの周りには五人の子供たち。神社で私と凛ちゃんが鬼ごっこで遊んだゆうくん達です。  そんな様子を少し離れた場所で見ている私と凛ちゃんと工藤さん。

「奈緒ってどんな人でも仲良くなれるんだね。アタシでもあそこまで早く打ち解けるのは無理だなぁ」

 工藤さんがそう言うと、凛ちゃんもウンウンと頷きます。  半日でゆうくんたちと仲良くなった奈緒ちゃんは、すっかり子供たちのリーダー格のようになっていました。確かに奈緒ちゃんのあれはもう才能と言ってもいいんじゃないかって思います。

「でも、すごいって素直に言うのもちょっとなぁ……」

 射的場のおじさんに小銭を渡して弾丸を貰っている奈緒ちゃんを必死で止めるゆうくんたちに、カメラマンさんは大笑い。先ほどから、すっかり『夜店の奈緒ちゃんショー』絶賛開催中です。ですが、確かに内容的に素直にすごいとは言いづらいですね……。

「まぁ、私たちの本番はこの後のライブだからね。ここは奈緒に任せよう」 「そうですね。適材適所って言いますし」

 ――食甚祭(しょくじんさい)当日。  時刻は十六時を回り、いよいよもってミニライブも近づきつつあります。  開始まであと四時間弱。午前中は最後のレッスンと本番を想定したリハ―サル。その後はスタッフの皆さんと打ち合わせ。そしてとうとうお祭りの始まりとなったわけです。  私たちはお揃いの月海高校の制服で、それぞれメガネやアクセサリーなんかで、ちょっとだけ変装済み。PV撮影も兼ねているとは言え、カメラマンさんも一人だけなので、個人撮影に見えないこともないのか、あまり周りからも注目されてない感じです。  かな子ちゃんと高森さんは、プロデューサーさん達とステージの準備のお手伝い。そんなわけで今は私と凛ちゃん、奈緒ちゃんに工藤さんの四人で、始まったばかりのお祭りの出店を回ってる最中なんです。  もっとも先ほど言った通り、ほぼ奈緒ちゃんに見せ場が持って行かれている状況なんですが。

「だぁぁ! いい加減落ちろぉぉぉ!」

 そうしてまた奈緒ちゃんの悔し気な叫び声が夕闇に轟くのでした。  あれは、きっと落ちる景品じゃないよね……。

「それにしても私たちほったらかしで、奈緒ばかり撮ってていいのかな」 「ですよね。仮にも私たちのPVなはずなのに」  奈緒ちゃんがあまりにフィーバーしちゃってるせいで、妙に冷静な私と凛ちゃん。私たちは顔を見合わせると、互いにやれやれといった具合に肩を少しあげました。  すると工藤さんはクスリと笑いこう言ったんです。

「アンタたち本当に仲いいよね」 「そう?」 「そうですか?」

 ……ハモってしまいました。  これじゃわざわざ説明しなくても仲が良いよと言ってるようなものじゃないですか!  息が合うのは嬉しいけど、これはちょっと恥ずかしいかなぁ……。

「ま、まぁ、二週間一緒に暮らすとね。い、色々とあるんだよ」

 やっぱりちょっと顔を赤くしている凛ちゃんに、工藤さんがニヤニヤとした笑みを浮かべ彼女の脇腹をつっつきます。

「なーにどもってるのよ。らしくないなぁ」 「う、うるさいなぁ」 「ふーん? ねぇねぇ。凛はこれからアタシにもそういう感じで接していくってのはどう?」 「……もう、本気でそんな事思ってないくせに」

 その言葉に満足気にアハハと笑う工藤さん。そんな彼女を見て安心したように苦笑いする凛ちゃん。  多分、この二人の関係は私が思っているよりずっと複雑なんだと思います。  友人、仲間である前に、きっとライバルみたいな。

「でも、五十嵐さんもすごいね、この堅物とこんなに仲良くなれるなんて。ちょっと羨ましいな」 「へ!?」

 急に話題を振られて、今度は私の方が焦ってしまいます。

「わ、私は、ほら、凛ちゃんに手助けてしてもらってるだけで、全部凛ちゃんのおかげでして、全然なんにも、私からは、何にも!」 「……響子、どもりすぎ。それ私の比じゃないから」 「あはは、五十嵐さんも面白いなぁ~!」

 うう、つっこまれてしまった。  どうしても工藤さんや高森さんが近くにいる凛ちゃんとは上手く話せません。格が違うというのは分かっていますが、それ以上にあの晩の屋上での風景は忘れられなくて。  それにしても「羨ましい」ですか……。  工藤さんの言葉は私の心に小さな棘となりチクりと刺さっていました。  だって私からすれば、羨ましいのは工藤さんの方なんだもの。  ニューカミングレースの渋谷凛の隣に立っても、なんの遜色もない工藤さんの堂々とした佇まい。ステージでだって凛ちゃんと一緒にキラキラと輝くこともできる。  本当、羨ましい。  私がもし、一年早くアイドルを始めていて、中村プロデューサーにスカウトされていたら、工藤さんみたいに凛ちゃんの隣に立っていられたのかな。  ……何を考えてるんだろう、私は。  そんな「もしも」あるわけないのに。

「あ、ねぇねぇ、凛! 金魚すくいあるよ!」

 工藤さんがそう言いながら一つの屋台へと駆けていきます。その後をついて歩き出す凛ちゃん。

「金魚はさすがに飼うところがないよ」 「お? もうゲット前提で言っちゃうところがいかにも凛だね」 「いや、そういうわけじゃないけどさ。仮に取れちゃったらどうするのって話」 「はいはい、んーと、それじゃ水風船ならどう?」 「まぁ、それなら……」

 前言撤回。  十分仲がいいように見えます。ライバル関係とは一体……。  私はなんとなく二人から距離を置くと、デジカメを取り出しシャッターを切ります。

 しゃららん。

 モニター越しに見る工藤さんとお話しする凛ちゃんの横顔は、いつも私が撮っていた凛ちゃんとはどことなく違った感じがします。  やっぱり、私と工藤さんじゃどこか接し方も変わっちゃうのかな。私の時はよそよそしい感じなっちゃうのかな?

「そういえば、私たち二人で撮った写真ってほとんどないや……」

 お互いを撮り合うことしかしてないんだから当たり前ですが。自撮りはなんとなく苦手だったせいもあり、一緒に撮った写真が全然ない事に気付きました。  今、撮ったばかりの凛ちゃんと工藤さんの写真を見ていたら、なんだかすごく胸が苦しくなってきて。

 ――もっと、凛ちゃんと一緒に撮っていれば良かった。

 まだ八月十日までは半月。

 一緒に撮ることは十分に出来ます。出来ますが、それでも今の私になる前……二日前までの私のまま、凛ちゃんと一緒に写真を撮りたかったな。  凛ちゃんのデジカメに残っている私の笑顔。それは今の私にはもうできないはずだから。

「痛っ」

 下腹部に鈍い痛みが走りました。  私はお腹を押さえます。痛み止めが切れてきたのかな。こんなに早く効き目が切れるなんて……。  うう、これは早く手を打たないと。  高森さんから頂いたお薬は、随分と私に相性が良かったみたいで、持参したものより身体が楽になっていました。ですが、さすがに効果時間が切れちゃ意味ないですよね。

「えと……」

 ちらりと凛ちゃん達の様子を伺います。  水風船のヨーヨー釣りに夢中の工藤さん。それを呆れ顔で見守る凛ちゃん。大丈夫、気付かれていません。これなら誤魔化せそう。  スカートのポケットからスマホを取り出すと、Linkアイコンをタップします。  よし、皆口さんに宛にメッセージを入力……っと。

〈すいません、また腹痛が酷くなっちゃって。もう少し薬の効果時間あると思っていたんですが……。今からもらいに行きたいんですが、どこにいらっしゃいますか?〉

 痛みがひどくなりつつあるお腹を抑えながら、私の口からは変な笑いが出ていました。きっと自分を嘲笑ってるんだと思います。

「……私、本当にダメダメだぁ」

 昨日中村プロデューサーは、凛ちゃんの肩の怪我を知った時、どんな些細な事でも、体調に関しては報告しろと叱ったばかりです。  でも、私はまた隠そうとしています。  だって……だってしょうがない。しょうがないんです。

「……っ」

 額を触るとうっすらと脂汗が滲んできています。  スマホで時間を確認するともうすぐ十七時。本番まであと三時間。  大丈夫、今から皆口さんと合流してお薬を飲めば十分間に合う。

「ごめん、凛ちゃん」

 約束、守らない悪い子で。  それでも……それでも凛ちゃんにこれ以上余計な心配はかけたくないの。  寒くもないのに身体がぶるぶると小刻みに震えだした私は、人混みから少し離れるとスマホをじっと見つめます。  早く、皆口さん。  早く、お願い。

 ピコン♪

 願いが通じたかのようにスマホから通知音が鳴りました。  急いでメッセージを確認すると、どうやら穂含月神社に作られた盆踊り会場で、ライティングの最終調整をしてるみたい。ということは。

「あの階段上らなきゃいけないんですか……」

 しんどい……。  でも、行かなきゃ。このままここで立っているだけじゃ余計に傷みが酷くなるだけ。  再びアプリを立ち上げると、今度は凛ちゃん宛てにメッセージを入力します。

〈急に御手洗いに行きたくなっちゃったので学校に戻ります。後でどこかで合流しようね〉

 するとすぐさま〈了解。気を付けて〉と返信がやってきました。  うん、これなら多少時間が稼げるはず。  私は少し前かがみになると、重い足を引きずるように人波の中へと歩き出しました。

 祭囃子が聴こえます。  そういえば、今朝もどこかで聴いたような気がします。  あれはなんだったんだろう?  いやいや、今はそんな事を気にしている状態じゃないです。

「どうしよう……」

 私は今神社へと続く階段の途中で力尽き、隅っこで情けなく座り込んでいます。  案の定というか、詰めが甘いというか。自分にガッカリです……。  まだ盆踊りの開始までに時間があるので、神社へ向かう人はほとんどいないのは不幸中の幸いだったかな。それでも早く移動しないと道行く人の邪魔になっちゃいます。

「がんばらなきゃ」

 私は足とお腹に力を入れると立ち上がりました。 「~~っ!」

 やっぱり痛い。  どうしよう、さっきより全然痛い。  一回休んだから余計に痛くなっちゃったのかな?

「あ、じ、時間は?」

 慌てて時間を確認すると、まだ凛ちゃん達と別れて十五分しか経っていませんでした。  とりあえずホッと一息。体調が悪い時は時間の流れが遅く感じちゃうので、きっとそれだったんでしょう。  体感的には一時間ぐらいここで座り込んでいた気がしましたが、実際には五分ぐらいだったみたい。  うん……とにかく今は少しでも早く皆口さんのところへ。  私は再びよろよろと階段を上り始めます。

「もう……なんで、今回に限って、こんな、辛いんだろう……」

 いつもの私なら大したことないのに。やっぱりメンタルの問題なのかな?  そういや私、お腹痛いのもあるけれど、思い切り背中丸まっちゃってる。

「背中……丸まってると、胸を圧迫……して、呼吸が、上手くできなくなる……だっけ?」

 一段一段踏みしめるように階段を上りながら、私はテレビで見たうんちくを口にします。

「わりと、本当のことみたい……ですね」

 軽い酸欠状態になると、思考能力が奪われるですっけ? 案外テレビで得られる知識も捨てたもんじゃないです。かと言って、今それを知っていたところで背筋を張れる余裕はどこにもないんですが。  そんな事を考えていると、遠くから聞こえる喧噪に混ざって何かが聞こえました。  最初は空耳かと思ったんですが、その何かは次第に大きな音となり、しばらくして自分が誰かに呼ばれている事に気付いたんです。 「お~い!」

 周りをキョロキョロと見回すしていると再び「お~い!」と呼ばれ、その方向が階段の下だと気づきました。

「あ」

 振り返ると少し急ぎ足で階段を上ってくる女の子が一人。

「ちょっと待って~!」

 夕暮れの中現れたショートボブの少女。  ひょいひょいと軽い足取りで階段を上ってくるのは、先ほどまで凛ちゃんと一緒にいた工藤さんでした。

「ふぅ、やっと追いついた~! 五十嵐さん、どうしたの? 学校に戻るって凛から聞いてたけど」 「あ、その……」

 まさかこんな所を見つかるなんて……。  そりゃ、こんな人気のない場所を一人フラフラとしてたらおかしいって思っちゃいますよね。  んー……。あ、そうだ! こういう時の必殺技、質問は質問で返しちゃえ!

「く、工藤さんこそ、どうしたんです? まだ盆踊りは始まっていませんよ」 「え? ああ、中村さんから呼び出されちゃってね。人手が足りないから手伝ってさ」

 そう言うと、工藤さんは自分のスマホを振りながら困ったもんだという顔をしました。

「そうだったんですか……。あ、凛ちゃんはどうしたんです?」 「凛なら奈緒と子供たちに連行されていったよ。ゲーム機ゲットできたみたいでさ、さっき大はしゃぎしてたから」 「え!? あ、あれって、落とせるもんなんですか!?」 「ねー。びっくりだよね。五千円ぐらい使い込んでたみたいだけど」

 奈緒ちゃん、やっぱりすごいですよ。ある意味才能の塊ですよ……。

「まぁ、それはともかく、五十嵐さんはどったの?」 「あ、えと……」

 ダメだ、全然誤魔化せてない!  って、痛っ!? あ、足に力が……。

「ありゃ!? 五十嵐さん大丈夫!?」

 お腹を押さえ座り込んでしまった私に、オロオロとする工藤さん。  うう、みっともない……。どうしてこう上手くいかないんだろう。

「あーあーあー……。痛み止め切れちゃってた?」 「…………はい」

 これ以上は隠しても無駄だと観念した私は、「凛ちゃんには言わないで欲しい」と縋るように彼女を見上げました。

「んー、そっか。事情は中村さんから聞いてるから大丈夫だよ。だからそんな捨てられた子犬みたいな目で見ないでよ」

 工藤さんは困ったように頭をポリポリと掻きます。

「ごめんなさい。どうしても、凛ちゃんには知られたくなくて……」 「ふーん。でも確かに今の五十嵐さんを見たら、ライブ自体やめるとか言い出しそうだもんね、あの子」

 勿論二人でやりたいと気持ちは凛ちゃんにもあると思います。  でも、きっと最後の最後で凛ちゃんは私の体調の方を優先しちゃうと思うんです。

『明日は、私が響子を守るよ』

 あの言葉が再び脳内でリフレインします。  ダメ。これ以上は絶対にダメ。  ううん、イヤ。これ以上、彼女の足を引っ張るのはイヤなんです。

「しょうがないなぁ。よし、ここはアタシに任せてもらおうか」 「え?」

 工藤さんは「よいしょ」と掛け声とともに、私に肩を貸し起こしてくれました。

「あ、あの。大丈夫ですよ?」 「いーから。黙って寄りかかってなさい」

 そう言った工藤さんは、階段をゆっくりと登り始めます。  ああ、もう! 凛ちゃんに内緒にしようとしたばかりに、今度は工藤さんにも迷惑かけちゃってる!  本当に、本当に私は……!

「気持ちわかるよ。凛には言えないよね」 「……」 「凛の足を引っ張りたくないとか、凛の邪魔をしたくないとかさ。アタシも一緒なんだ」

 私は黙って、工藤さんの言葉に耳を傾けます。

「ほら、アタシってそんなに才能ないから。ガムシャラにやってないと、凛にはすぐ置いていかれちゃうんだ。だからアタシも、自分に何かがあっても凛には言わないようにしてる」 「え……?」 「お、意外そうな顔してくれる? あはは、ありがとありがと」

 だ、だって、ニューカミングレースみたいな売れっ子の工藤さんがそんな事言うなんて。

「凛の隣に立つ以上、何かを言い訳にしたくないしね」 「わ、私は別にそんなつもりじゃ……」 「まぁ、聞きなさいって」  

 口を挟む私を、工藤さんは優しくたしなめます。

「五十嵐さんはそうじゃないかもしれないけど、まずはアタシの話から聞いてよ。ほら肩も貸してることだし?」 「は、はい」

 そう言われてしまったらこちらもこれ以上の事は言えません。私は静かに彼女の言葉を待つことにしました。

「それでもアタシ、凛に負けてないところ持ってるんだよ。それがあればなんとかなるんじゃないかなって」

 そう言った彼女はニヤリと不敵に笑いました。

「根性っていうの? 女の子が言うには泥臭い長所かもしれないけど、アタシの一番の武器って、根性だと思うんだ」 「そ、そうなんです?」 「残念だけどそうなんだよねー。笑っちゃうよね? 根性が取り柄のアイドルとかさ」

 一旦ずり落ちそうになった私の肩を再び担ぎなおすと、工藤さんはまた一歩階段を上ります。

「凛は不思議なヤツでさ。あの子の周りに居ると、あの子の色に染められちゃうの。知らない間に、あの子のためにアイドルやってるみたいになっちゃうんだ」

 ムカツクよね、と工藤さんは笑います。  でも、なんとなくわかります。あの凛ちゃんのカリスマ性はただ事じゃないって。

「でもアタシぐらい反骨精神旺盛だと『染まってやんないぞ!』ってなるんだよ。あの子に隣に立てるのは、自慢じゃないけどアタシぐらいだと思ってる。あ、でもこう言ったら自慢になっちゃうか」

 彼女はアハハと笑いながらも、誇らしげに階段の上に零れる神社の光を見上げます。

「凛が五十嵐さんとユニットを組むって話。アタシ、最初に聞いた時、カチンと来ちゃったんだよね」 「え! あの、え!?」 「あはは、そんな怖がらないでよ」

 優しくそう言ってくれる工藤さんですが、ニューカミングレースの一人にそんな風に言われたら委縮しちゃいますよ!

「……五十嵐さん、顔がマジで怖がってるのわかるから、ちょっとツライ」 「ご、ごめんなさい」 「ううん。まぁ、そんなわけで、アタシより根性あって凛の隣に立てるヤツはいないだろうって思ってたからさ。それでちょっと腹が立っちゃってね」 「あ、あの、でも高森さんは?」

 ん?、とちょっと不思議そうな顔をした工藤さんは照れくさそうに笑いました。

「そうだなぁ。藍子はNGのバランサーなんだ。正確にはアタシと凛のバランスを取ってくれてる感じかな。あの子がいるおかげでアタシ達はライバルという関係でいられるんだと思う。じゃなきゃとっくの昔に解散してるかもね」

 か、解散って。さっきはあんなに仲良く見えたのに。ますます、凛ちゃんと工藤さんの関係がよくわからなくなってきます。  ちょっと一休み、と彼女は私を降ろすと階段に座らせてくれました。その隣に一緒に座る工藤さん。

「藍子の話は、あの子本人に聞いたほうがいいかもね。きっとアタシから話したのを知ったら、藍子照れちゃうと思うから」 「機会があれば……」 「いやぁ、凛に負けず劣らずあの子も面白いからさ。是非話してみてよ!」 「は、はい」

 私の返事に満足したように笑った彼女は、さて、どうしようかなといった感じに、ちょっと考え込みます。  すると少し間を置き、彼女はぽんと手のひらを握りこぶしで叩くと私を見つめると、嬉しそうに言いました。

「うん、つまりさ! 凛の友達になってくれてありがとうって言いたかったんだ!」 「へ!?」

 ど、どういうこと!?  全然話が見えてこないんですけど!

「あー、いけないいけない。はしょっちゃった。んとね、凛はアイドル活動にわりと命がけでさ。だから、あの子プライベートとかほとんどないんだよ。学校の友達ともあんまり連絡とってないみたいだしさ」 「へ、へぇ」 「あ、これ、内緒ね。こんな事言ってたのがバレたらケンカになりそう」

 工藤さんは自分の口に指をあて、内緒のポーズをとります。なんだか、この人は元気いっぱいなのに、こういう可愛い仕草がすっごい決まる人ですね。

「で、アイドル活動の話に戻るんだけど。さっき言った通り、あの子の周りには人が集まってこないんだよ」 「どうして……ですか?」 「うん。みんな凛が怖いんだよ」

「っ」

 ああ……。

 だから、彼女はいつも一人前を向いて。

 一人だけ前を見据えて。

「五十嵐さんも最初ちょっとあったんじゃない? 凛に呑まれる感覚」 「……はい」

 自分で感じたからこそ、今の工藤さんの言葉の意味がわかります。  あの七夕の夜、はじめて出会った凛ちゃんに、私は魅せられたんです。  でも、その瞬間「この人と私は違う場所にいる人間なんだ」って、無意識にラインを引いてしまったんです。

「凛はそういうところ無自覚すぎるんだ。全く、もうちょっと周りも見てほしいよ」

 工藤さんはまるで不器用な妹の事を話すように「しょうがないよね」と言いました。  そっか。  そうだよね。凛ちゃんだって私と同じ十五歳なんだもの、何かを犠牲にしなきゃ、あんな力を得ることなんてできないんだ。  凛ちゃん。  そうだよ、凛ちゃんが犠牲にしたものって。

「今の凛にとって必要なものは、委縮しちゃうアイドル仲間じゃないし、アタシみたいに力を比べ合う人間でもない」

 そこまで言われたら、私にだってわかります。  どうして、凛ちゃんが私にこんなに優しいのか。

「凛にとって必要だったのは、『友達』だったんじゃないかな?」

 その言葉を。  たったの一言で終わる、その言葉を、私は信じることができなかったんです。

 ――だって、あまりにも孤高の人だったから。

 私なんかじゃ、そう、私なんかじゃ無理だって諦めてたんです。  きっと今、凛ちゃんと一緒に居る時間も一時の夢にすぎないって。  でも。  でも、もしも、凛ちゃんが私の事を……。 「……凛ちゃん、私のことを『友達』って思ってくれてるのかな」

 消え入りそうな声で吐き出したその言葉に、工藤さんはウインクで返してくれました。  それは「あなたが一番わかってるんでしょ?」というサインだったのかもしれません。

「……うっ」

 ふいに、瞳から涙がぽろぽろと零れました。  それは全然悲しい事なんかじゃなくて。  ただただ流れ落ちるそれは、優しく頬を濡らしていくだけ。 「え、ちょ、五十嵐さん、なんで急に泣き、え、情緒不安定すぎぃ!?」 「はい……はい……」

 そんな私に工藤さんは呆れたような顔をします。  でも、その表情には凛ちゃんにも感じた微かな優しさがあったんです。  だから、私の涙は止まらなくなっちゃって。  そんな子供のような私の頭を軽く撫でてくれる工藤さん。

「ま、嬉しくて泣くのは、別にいいんだけどね!」

 その言葉に、私の心に刺さっていた棘は音もなく消えていったんです。

「うわぁ、五十嵐さん、渋谷さん、すっごいかっこいいです!」

 巫女装束の着付けをしてもらった私と凛ちゃんが控え室から出ると、スタッフの金元さんが迎えてくれました。相変わらず元気一杯。パワー爆発って感じです。  彼女とも出会ってもう二週間。時間が流れるのって早いですね。  あ、そういえば月海町に来た初日、金元さんからライブ楽しみだって言われたんですよね。それで私が小さな声で「頑張ります」って頼りなく答えて。  そっか。もう私、こんなところまで来ちゃったんだ。  今日はまだ一曲だけだけど、とりあえず金元さんとの約束は守れたのかな?  うん、だったら私の言うことは、あの時と同じセリフですよね。

「今日は頑張りますね!」

 私は握りこぶしを作ると、金元さんにガッツポーズをとります。隣にいる凛ちゃんは穏やかな顔のまま私と同じように「頑張るよ」と静かに答えました。

「お、似合ってるじゃん、凛!」

 金元ちゃんの隣にひょいっと現れたのは奈緒ちゃん。手には綿菓子とチョコバナナ。頭には戦隊ヒーローのお面。……何が奈緒ちゃんをここまで駆り立ててるのでしょうか。

「……ありがとう。奈緒も似合ってるよ」 「お、そうか? やっぱり祭りといえばこのぐらいやらないと正装とは言えないしな!」

 凛ちゃんの皮肉もまるで通用せず。お祭り仕様の奈緒ちゃんは無敵ですか。  そんな私たちのやりとりを見ていた金元さんは口をパクパクとさせます。

「え、奈緒さん……って、プレイアデスの神谷奈緒さん?」 「お、響子や凛の友達か? はじめましてだな、神谷奈緒だよ、大正解!」 「え、ええ、プレイアデスのメンバーが二人も!?」

 あ、そうでした。金元さんって私たちプレイアデスのファンだって言ってましたもんね。  ということは、これはひょっとして。

「響子ちゃん、渋谷さん。皆口さん達がテントの方に早く来いって言ってますよ~」

 大量の村おこしライブのチラシを抱えて、かな子ちゃんも登場。なんというタイミングの良さ。金元さん愛されすぎでしょ。

「ひ、ひえええ、三村かな子さんまでぇ!!」 「ふぇ!? なんですか!?」 「ああ、この子、響子と凛の友達なんだってさ。えーっと、そういや名前聞いてなかったな」 「か、金元です! 金元寿子です! よろしくお願いします! あ、あれ? じ、じゃぁ、塩見さんも来てるんですか!?」 「ぐっは、やっぱり周子が一番人気かよー!」

 そう言いながらもなんだか嬉しそうな奈緒ちゃん。  まぁ、今の346の方針上、あんまりファンと直接触れ合う機会ってないですもんね。  ところで奈緒ちゃん。残念ながら金元ちゃんの一番の推しは、何を隠そう、この私『五十嵐響子』なんですよ! 自分で言うのは恥ずかしいので言いませんけどね……。  あれ、でも金元さん自分がスタッフサイドだって言わなくてもいいのかな?  まぁ、そんな疑問も奈緒ちゃんとかな子ちゃんに挟まれ飛び跳ねるように喜んでいる金元さんを見ていると、どうでもいいかって気分になってきますが。  ただ、これはちょっとーー

「ああ、これはダメだよ、響子。付き合ってたらすっごい時間かかりそう」 「ですよね……」

 凛ちゃんの耳打ちは、私の危惧している通りのものでした。  いつの間にか、奈緒ちゃんに餌付けされるかのように綿あめをもらっている金元さんを見ていると、ニューカミングレースのメンバーも全員揃っているなんてとても教えられません。きっと金元ちゃんのテンションが爆発しちゃうはず。うわぁ、目に浮かぶなぁ。

「さ、さてと、私たちはプロデューサーのところに行きますので、またライブ後に!」 「じゃ、私と響子の初ステージ、よろしく」

 私たち二人がそう言いながら軽く手をあげると、左手の綿あめだけではなく、かな子ちゃんになすすべもなく右手のチョコバナナを食べられてる奈緒ちゃん。

 そんな姿が目に入りましたが……うん、見なかったことにしましょう。

「見ろよ! なんか言ってけよ!」

 奈緒ちゃんの叫びを背に、私たちは食甚祭スタッフの詰め所になっているテントへ歩き始めました。

「いよいよだね」

 凛ちゃんの言葉に「はい」と静かに私は返事をしました。  赤と青。  二色の巫女装束に身を包んだ私たちは、静かに決戦の場へ赴きます。  この境内を挟んだ反対側の広場は、盆踊りをする人たちで賑わいを見せています。たった、数十メートル向こうと、こちらの石畳はまるで別世界のよう。  私も半年前まではあちら側の人間だったのに。  隣を歩く凛ちゃんをチラリとみます。すると、すぐさまそれに気づいてくれたのか、彼女は私を見ると「大丈夫」と微笑みました。  二人で歩くこの石畳。それを踏みしめるたびにカツンと鳴り響く下駄の音。  段々と心が静かになっていくのを感じます。  凛ちゃんの言うとおり。大丈夫。  そうして辿り着いたその先で、私たちは――

「渋谷凛、いつでもいけるよ」 「五十嵐響子、準備OKです!」

 テントで待ち構えてた皆口さんと中村プロデューサーは、私たちの顔を見ると満足そうに頷きました。  さぁ、いよいよ私たちの始まりを告げるお言葉を、プロデューサー達から頂く時です。

「いやぁ、二人とも似合ってんじゃねぇか! まさに馬子にも衣装ってヤツだな!」

 開口一番、中村プロデューサーのいつもの冗談に凛ちゃんは眉をしかめました。

「それはちょっと酷い」 「なんだ凛、珍しくつっかかるな?」 「私はともかく、響子は普通に似合ってると思う」 「ええっ!?」

 凛ちゃん、怒るところそこ!?

「はっはっはっ! 違いねぇ、確かに響子ちゃんは最高に似合ってるよ!」 「うん、そう思う」

 凛ちゃんと中村さんが私をジロジロと見ながらそんなことを言います。勘弁してくださいよぉ……。  そんな私を庇うように立つのは。

「ちょっとちょっと、そんな抜群のコンビネーションでウチの響子を苛めないでくれる?」

 私達の頼れるプロデューサー皆口さん!  え? なんか待遇が今までと違う?  それは話が長くなるのですが。簡単に言ってしまうと、この二日間皆口さんには大変お世話になりまして……。

「で、響子は鎮痛剤ちゃんと効いてるの?」

 皆口さんが真剣な眼差しで私を見てきます。

 嘘はつかないで。

 皆口さんは、言葉にはしませんでしたが、その瞳は確かにそう告げていました。  普段、お仕事以外は本当にズボラな人だけど、こういう時は全然別です。  私は一度自分の下腹部に手を当て、ゆっくりと目を瞑ります。

 高森さんから貰ったクスリの効果時間を考えると、まだあと二時間はいけます。  ライブはトークを合わせても十五分程度。余裕でお釣りが来ます。  身体は少し怠いですが、痛みはもうほとんどありません。

「大丈夫です。今はすごく調子いいので」 「嘘……ではないみたいね」

 私が力強く「はい!」と返事をすると、皆口さんは安心した表情になり、私の横へと並びます。

「さて、中村くん。ウチの秘蔵っ子である響子を貸すんだから、ちゃんと成果は出してくれないと困るわよ?」

 そう言いながら私の肩にポンっと手のひらを乗せた皆口さん。  ああ、私の知っているやり手の女性プロデューサー。  意地悪で強引で、でもいつも私達を信じてくれているプロデューサー。  肩に乗せられた手から送られてくるような気合いをヒシヒシと感じ、私はこの人のアイドルであることを誇りに思えました。

「まぁ、こっちもエースである凛を出すんだ。最強ペアユニットになるに決まってんじゃねぇか」

 腕組みをした中村プロデューサーの自信満々の顔に、隣の凛ちゃんもコクりと頷きます。  やっぱりこの二人、芯の部分がすごい似ているのかも……。  それにしても、最強ペアユニットって、さすがに大きく出すぎなじゃないかな!?

「八月十日は月海の住人だけじゃなく、日本中の度肝を抜かせる予定だ。今日はそのためのプロローグ。頼むぜ、二人とも?」 「響子も渋谷さんも、ハードなスケジュールをよくここまでこなしてきたわ。今回のミニライブは中間テストなわけだけど……。なんてことないわよ、気負わずやりなさい」

 そう言った皆口さんは私の背を軽く押し出します。

「わっ!」

 そのまま一歩二歩と前進すると、すぐ目の前には凛ちゃんの顔がありました。

「あ、凛ちゃん……」 「大丈夫、プロデューサたちのお墨付き。私達ならやれる」

 その言葉に私は頷きます。  色々あったけど、ここまできたんだ。  凛ちゃんのその言葉を胸にしまい、私はゆっくりと大きく深呼吸をします。  肺の中に新鮮な空気を一杯いれて、背筋を伸ばして、脳にいっぱい酸素を!

「よーし! がんばろう、凛ちゃん!」

 私にはニューカミングレースの『渋谷凛』を輝かせる力はありません。  でも、私は友達として『凛ちゃん』の力になろうと思います。  ううん、友達としてあなたの隣に並んでいたい。  我儘で、泣き虫で、嫉妬深くて意気地なし。

 そんな私でも、あなたに……友達と思われたいから。

「うあぁ、でもやっぱり緊張するよぉ、凛ちゃん!」 「あのさぁ、響子……」

 本番一五分前。  盆踊りも終わり、神社に集まった人たちのざわつく声が境内のこちら側にも聞こえてきます。  まずい、これはまずいですよ! 足がガクガクと震え出しちゃってる! だってあの人たち全員が私達を見るんですよ!?  つい三十分ほど前までは入ってた気合が、アッという間に霧散しちゃってるのははなんでなの!?

「ライブは初めてじゃないよね? もっとリラックス」

 苦笑いをする凛ちゃんに、私は「そ、そ、そ、そうですね」とガチガチで答えます。  プレイアデスとしてのライブは三回ほど行っていますけど、あれは一番隅っこで踊るいわばオマケみたいなもの。  メインで歌ったり踊ったりなんて初めてなんだから、緊張するのは仕方がないですって!

「落ち着きなって」

 凛ちゃんがそっと、左手で私の右手を握りました。  あ、そっちの腕は……。

「あ、ありがとうございます。あ、あの、凛ちゃん、肩の調子は……?」 「響子だって右肩痛めてるんだから、そういう事は言わなくていいよ。薬は効いてるとは言えお腹だって痛いだろうし、人の心配してる場合じゃないんだから」 「……う、うん」 「ここまで来たんだから、あとは一蓮托生だよ」 「え、そんな生きるか死ぬかなの!?」

 私の言葉に「さぁね」と微笑む凛ちゃん。  そうです、緊張なんかしてる場合じゃないんです。  緊張なんかしてる余裕なんてないんです。  やらなきゃ。私が、私達が主役なんだから!  だーかーらー!  収まって、この胸のドキドキ!

 その時、私たち二人の前に現れたのは――

「渋谷さん、五十嵐さん。準備は出来て?」

 スタッフでごった返す境内裏。  でもその初老のご婦人の周りだけは、まるで時が止まっているかのように静かでした。  まるで時間の狭間に迷い込んだかのような感覚。

 ああ、ステージに上がる前にこの人に会えて良かった。

「小山さん!」

 二人とも似合ってるわよ。そう言って、彼女は嬉しそうに目を細めました。

 穂文月神社の管理人である小山さん。  あの日、彼女と出会っていなかったら、今の私と凛ちゃんの関係はなかったでしょう。  今回も私たちが肩を負傷したことで正規のダンスを踊れなくなった時、双子の巫女になぞらえた演出はどうかと提案をしてくれたのも小山さんです。  彼女は私たちにとって、ううん、少なくとも私には恩人なのです。 「どう? 太陽と月の巫女、何か思うところあるかしら」

 その言葉に私は「はい」と神妙に答えました。  隣の凛ちゃんも同じく返事をします。凛ちゃんの左手は、さっき力強く、より暖かく。

「そう……。初めてあなた達に出会った時、何か楽しい事が起こるような気がしてたのよ」

 彼女は何かを懐かしむようにそう言いました。

「双子の巫女のお話、聞かせてくれてありがとうございました」 「あの時は、お世話になりました」

 私と凛ちゃんが揃って頭を下げます。

「ふふ、それじゃ、二人にはそのお礼を頂こうかしら」 「え、お礼ですか?」 「……あー、うん。私たちにできる範囲でなら」

 無邪気に笑う小山さんに私達は少し戸惑いました。  しかし彼女は、小さな子共に劇の発表会を応援するかのように言ったのでした。

「今日の舞台、私みたいなおばあちゃんも楽しめるかしら?」

 まるで「あなた達の楽しさを私にも分けてちょうだい」と。  その瞬間、止まっていた時間は急激に動き始めました。  ライブを待っているお客さんの声。  スタッフさんたちの慌ただしい声。  そして凛ちゃんの息づかいまでもがハッキリと。  ああ、はじまるんですね。  小山さんの向かって私は、そして凛ちゃんは答えました。

「できます!」 「できるよ」

 満足そうに微笑んでくれた小山さん。  まるで魔法にかかったかのよう。  私の緊張は完全に消え失せ、残ったのは心の中にある暖かな力。  心に刺さっていた無数の小さな棘は抜け落ち、ただただ優しく光るだけ。  それを抱きしめて。

「二人ともそろそろよ~!」

 皆口さんの声に私は歩き始めます。

 一歩、二歩、三歩。

 歩調を合わせるように凛ちゃんも。  祭囃子が聴こえます。  向かうは小さいステージ。  でも、確かに煌めくステージ。  さぁ、開幕の時です。  ユニット名も決まっていない、まだ名前のない私たちだけど。  はじめるんだ!  この夏の夜から――私たちだけのアイドルを!

 

第十一話 了

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