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第九話


 

「なぁ、響子」 「はい?」 「何度も言うけど、あたしたち合同レッスンの為にここにきたはずなんだよな」 「だから……私に言ってもしょうがないですってば」 「それもわかってるんだけど、やっぱり愚痴らずにはいられないだろぉ……」

 教室の窓際で向かい合わせにくっつけられた四つの机。  私の斜め向かいの席から、本日五度目の奈緒ちゃんの泣き言が飛んできました。彼女の手元に広げられた数学のプリントは、ところどころ答えが抜けた状態で放置されています。奈緒ちゃん、完全にやる気なくなっちゃってる。

「はぁ」

 私と奈緒ちゃんの会話を黙って聞いていた凛ちゃんでしたが、ついに彼女の口からも小さなため息が漏れます。

「まさか宿題が持ち込まれるとは思わなかった」

 シャーペンを親指の付け根で器用に回しながら、凛ちゃんからも本日一発目の愚痴が漏れました。

「私だって、なんでここまで来て勉強しなきゃいけないんだって気持ちなんですけどね」

 月海のセーラー服に身を包んだ私たち。早朝より開催されている勉強会が始まって早二時間。私もいい加減疲れてきたので、机の上で頬杖をつくとシャーペンのお尻で額をカリカリとかきました。  奈緒ちゃんの事を言えないというか、私の手元の古文のプリントも一向に進んでいません。調べものをするために手元に置かれたスマホも、情報サイトを無慈悲に表示するだけ。  そりゃやる気もでませんよ。だって――

「ほらほら、集中集中。ぶーたれてないで手を動かす」

 少し離れた場所で椅子に腰かけている皆口さんの楽しそうな声。その隣にはカメラマンさん。  さっきから二人は、ジュースやお菓子をつまみながら雑談しっぱなしなんですよね。この状況で集中できるわけありませんよ。ていうか、あれ本当に仕事中なんですかね?

「ほんとに、別に勉強のフリだけでもいいじゃんかよー」

 奈緒ちゃんのその意見に同意してコクコクと頷く私と凛ちゃん。でも。 

「そう、その顔! それは宿題に疲れた時にしか出ない顔なのよ!」

 皆口さんはパチパチと拍手をしながらそう返してきました。  あ、ああ、凛ちゃんもすっかり目が据わっちゃってて。きっと凛ちゃんのこういう表情が撮りたかったんだと思うと……本当に悪い大人だなぁ。

「まぁ、今日からしばらくはレッスンは極力少なくしてPV撮影が主になるから。これが前哨戦みたいなもんよ」

 私たち三人の白い目を軽く受け流す皆口さん。私と凛ちゃん、そして奈緒ちゃんの年齢を足せば、皆口さんより年上になるはずなのに全く勝てる気がしないってどういうことなんでしょうか。

「ふぅ、終わったぁ~!」

 チョコレートを食べながらひたすら手を動かし続けていたかな子ちゃんが、大きく背伸びをしました。

「ええっ、かな子、終わったのかよ!?」 「こういうのはお菓子に集中していれば結構終わっていくもんだよぉ~」

 奈緒ちゃんのツッコミに平然とそう答えるかな子ちゃん。お菓子って一体。

「ねぇ、響子。かな子って頭いいの?」

 小声で訪ねてくる凛ちゃんに、私は「糖分パワーすごいですよね」と答えました。もう私も何を言ってるかわかりません。

「ああ、なんだよぉ。かな子の裏切者~」 「まぁまぁ、イライラする時は甘いものに限りますよ。チョコ食べません?」 「いや、おま……。まぁ、もらうけどさ」

 かな子ちゃんから差し出したお菓子の箱からチョコを取り出した奈緒ちゃんは、パクリとそれを口に放り込むと「甘っ」と呟き項垂れました。

 勉強会が終わった私たちは、ぐったりとした足取りで昼食を取るため家庭科室へと向かいはじめました。何故かレッスンよりも疲れた気がします。

「しかし、本当に学校なんだなぁ」

 私と凛ちゃんの後からついてくる奈緒ちゃんは周囲をキョロキョロと見まわしています。

「昨日はもう夜だったし、あんまりよくわかなかったんだけど、この施設? まだほぼ学校のままなんだな」

 昨晩、教室の床に直置きの布団で寝ることを知った奈緒ちゃんは、皆口さんにそのことを随分問い詰めていましたっけ。

 ですが、黙々と布団を敷き始めた私と凛ちゃんに絶句すると、すごすごと自分の布団を敷き始めたのはちょっと面白かったです。  いやぁ、人間なんにでも慣れちゃうもんですよね。

「響子ちゃん響子ちゃん、お昼の献立はもう決まってるんですか?」 「昼食は大体お弁当ですよ。朝ごはんと晩ごはんは自炊してるんですけど……」 「さすがにお昼まで作ってたらレッスンする時間なくなるからね」

 かな子ちゃんの質問に答える私と凛ちゃん。  別にルールというわけではないのですが、いつの間にか習慣になってしまっている私たちの生活サイクル。流されるがままの二週間に思えましたが、実は私たちもその流れを作っている一人だったんだと、今更ながらに実感します。

「まぁ、なんでもいいけど腹減ったー」

 奈緒ちゃんはそう言いながら、大きく欠伸をします。眠いのかな? お腹が空いてるのかな?  そんな様子にクスクスと笑うかな子ちゃんと呆れ顔の凛ちゃん。なんだかとっても素敵な雰囲気。って、そうだ、せっかくこんな人数が増えてるんだから、もっと写真撮らなきゃ。

「ほいっ……と」

 私はスカートのポケットからデジカメを取り出すと、ステップを踏むようにみんなより少し前に出てデジカメを構えながら後ろを振り向きます。

「あ、写真撮るのか!? ち、ちょっと待ってくれ!」

 奈緒ちゃんが慌てて前髪を弄り始めます。ふっふっふ。そんな事を気にしてたら、この先この合宿所では生きていけませんよ?

「凛ちゃん、笑顔笑顔!」 「何言ってんの。普段そんな事言わないのに」 「えへへ、せっかくみんながいるから、ちょっと記念撮影っぽい感じでもいいかなーって」

 凛ちゃんは相変わらずのぶっきらぼうな言葉使い。  きっと気難しくてとっつきにくい人だと思われてるんだろうな。本当はすごく気配りの出来る優しい女の子なのに。  二週間、凛ちゃんと一緒に過ごしてわかったこと。それは凛ちゃんの言葉はそのまま受けとってはいけないって事です。言葉そのものの意味よりも、大切なのはその言葉に乗っている感情のほう。イントネーション……というのは何か違う気もしますが、声の柔らかさこそが彼女の心情を表しているんだと思うんです。  そして、それを読み取るのは決して難しい事ではないってのもわかりました。彼女をちゃんと見てればわかります。  いつだって……そう今みたいに、彼女は優しく微笑んでくれているのだから。

 しゃららん。

 そんな彼女をフレームに収めると連続してシャッターを切り続ける私。  凛ちゃん、奈緒ちゃん、かな子ちゃんの表情が目まぐるしく変化するその一瞬を切り取り、小さな魔法の箱へと閉じ込めていきます。病みつきになっちゃいますね、これ。 「んー、もうちょっと引き絵で撮りたいかなぁ」

 みんなの全身が入った構図も撮ってみようかと、私は少しだけ早歩きでバックをしはじめました。  でもそれがよくなかった。  ゴムの上靴がツルツルな廊下の上で、何かに引っかかってしまったかのように、キュっと独特な音を立てたんです。

「わわっ!」

 そのまま私は後ろ向きに倒れ込んで……あ、これ、まずくないですか!?

「響子!」

 私の右肩にガクンと強い衝撃が走ります。  倒れて背中を廊下にぶつけてしまうかと思ったのですが、どうやら宙に浮いてる状態のようです。それもそのはず。私の右手首をしっかりと掴んで支えてくれている人がいたのだから。

「ふ、ふう」

 凛ちゃんが安堵の溜息を洩らしました。

「あ、ああ、ごめんなさい!」 「いいって。ほら、立てる?」

 凛ちゃんに引き寄せられるように私は起き上がります。  う、またやっちゃった……。  ダンスのレッスン中にぶつかるだけじゃなく、プライベートでも転んで助けてもらってちゃダメですよね。もっと気を付けなきゃ。  でも、とりあえずお互いに怪我がなくて……って、ん?

「響子ちゃん大丈夫?」 「大丈夫……かな?」

 かな子ちゃんが心配そうな顔で覗き込んでくれます。苦笑いで返事をしたものの、なんだかちょっと右肩に違和感。  一方の奈緒ちゃんは凛ちゃんの肩を叩くと、「やるじゃん!」とにこやかな笑顔をみせています。そんな奈緒ちゃんの称賛になんとも居心地が悪そうな凛ちゃん。  そ、そうだ、お礼を言わなきゃ! 「あ、あの、凛ちゃん、ごめんね。あとありがとう……」 「気にしないで。こっちはなんともないから」

 そう言いながら私を助けた時に使った左腕を軽く回す凛ちゃん。よかった、本当になんともなさそう。  腰に手を当てた奈緒ちゃんが、よかったよかったとウンウンと頷くように首を上下にふっていましたが、その後ちょっとだけ真剣な眼差しで私を見つめてきました。

「それにしても、響子は写真撮るのに熱中しすぎなんじゃないか? 本当に怪我したら大変だぞ」 「う、ごもっともご意見です……」 「もうちょっと周りに気を付けて歩かなきゃダメだ」

 うう、大反省。  確かに最近の私は写真を撮るのが楽しくて仕方ありません。  でもそのせいでレッスンに支障が出たり、怪我なんかしてライブが出来なくなったりしたら、それこそ本末転倒ですもんね。

「まぁまぁ、響子ちゃんも反省してるみたいだし」

 しゅんと縮こまる私の両肩に、かな子ちゃんがそっと手を乗せながらそう言ってくれます。  うう、私のせいで変な感じの空気になっちゃった……。

「ん、それもそっか。滅入ってる響子にこれ以上追い打ちかけても意味ないしな。んじゃ、この話はこれで終わりっと!」

 奈緒ちゃんはパンッと手を叩き場の空気をリセットしました。  ありがとう、奈緒ちゃん、かな子ちゃん。

「話は終わったみたいだね。それじゃ、早くお弁当食べに行こう」

 凛ちゃんの言葉に私はぎこちなく笑うと、コクリと頷きました。

「なんだ、凛その恰好は……って、みんなお揃い!?」 「うわぁ、セーラー服着てるなんて聞いてませんよ! いいですねー!」

 家庭科室に到着した私たちを待っていたのは、ショートボブで活発な服装の女の子と、長い髪をお団子にしたゆったりとしたワンピースを着た女の子。  その二人は先にお弁当を食べ終わっていたようで、すっかりとくつろぎムードになっていました。ですが、私たち四人が部屋に入ると同時に驚いたように立ち上がると、部屋の入口で呆然としている私たちへと駆け寄ってきました。

「あ、あんたたちどうして……」 「あはは、何言ってんの凛、夏休みだよー。プロデューサーが遊んで来いってさ!」 「はい、先ほど到着して、スタッフさんにここまで案内してもらって、凛ちゃん達が来るのを待ってたんです」

 凛ちゃんをつっつく二人。  え、どうしてこの方達が!?

「お、おい、響子!!」 「ふぇ!?」

 私のセーラー服の襟もとを引っ張る奈緒ちゃん。く、首がガクンってなりますよ!

「な、なんですか!? いえ、言いたい事はわかりますけど!」 「わかってるなら、どういうことか説明プリーズだ!」 「知りませんよ! 私だってびっくりしてるんですから!」

 突然な出来事に取り乱す私と奈緒ちゃん。それもそのはず、だってこの二人は……。

「あ、ごめんなさい。挨拶まだでしたね」 「は、はい!?」

 お団子の女の子が、私たちに丁寧にお辞儀をしてくれます。

「私、ニューカミングレースの高森藍子です。今日は中村プロデューサーから休暇を頂き、凛ちゃんの様子を見にきました。どうかよろしくお願いしますね」

 優しく微笑むその姿はまるで女神様のよう。  てか、この人って確か私と同年代のはずなのに、この落ち着きようは何!? あ、でも凛ちゃんも同年代だし、え、うそ、私のほうがダメなの?

「あ、ど、どうも、星空組、プレイアデスの神谷奈緒です! ……って、かな子、いつまでフリーズしてんだよ!」 「はっ! ああ、ああ、初めまして! 同じくプレイアデスの三村かな子です!」 「え!? あれ、かな子ちゃんずっと静かだと思ってたら、ああ、そうじゃなくて、私は五十嵐響子、やっぱりプレイアデスの所属です!」 「はい♪ みなさん自己紹介ありがとうございます」

 高森さんは私たちにこれまた満面の笑みを見せてくれます。こ、これはまずいですよ。破壊力抜群じゃないですか。なんで、プレイアデスのアイドルが三人揃って、同性にキュンキュンしちゃってるんですか!

「おっと、私も自己紹介しなきゃね!」 「え、いや、えと、何この状況は……」

 凛ちゃんと話していたショートボブの女の子も、私たちへと手を差し出すと、元気よく挨拶をはじめました。

「アタシ工藤忍! 所属はキングダムのニューカミングレース、だよ! 三村さんとは前に一度トーク番組でお話したよね! お久しぶり!」 「あ、はい! その節はどうもありがとうございました!」 「えええ!? なんで!? かな子知り合いなの!? あたし聞いてないよ!?」

 奈緒ちゃんの批難にも似た悲鳴の後、慌てて私も自己紹介をしましたが、なんかもう、しっちゃかめっちゃかだぁ……。  でも、そりゃそうですよね、私もIQが限りなく低くなってますもん。

 ニューカミングレース。通称NG。  現346プロダクションにおける、最強最高のアイドルユニット。  上層部の考案したプロジェクト名を背負わない、唯一無二の部署「ザ・キングダム」の懐刀。  たった一年前に結成されたばかりのユニットだというのに、現在の芸能界でこの三人の名前を知らない人はいません。

 つまり――  もう、何から何までかっこいい!  なんですかこの物語の主人公一派みたいな肩書の満漢全席は……。  それに引き換え、あわあわと動揺するだけの私たち三人。  同じアイドルなのに、この差は酷い。

「ああ、もう! よくわからないからちゃんと説明してよ、藍子!」 「ちょっとぉ、そこでアタシじゃなくて藍子選んじゃうのは、つれないんじゃない?」

 工藤さんが凛ちゃんのほっぺをつっつきます。  そんな様子を見守りながら、高森さんが私たちにも説明をしてくれました。

 二週間前、私と凛ちゃんがこの月海町にやってきたのと時を同じくして、工藤さんと高森さんも346プロダクションに泊まり込みで合宿をしていたそうなんです。

 学校も一足早く夏休みを頂いたそうで。その辺は私たちと一緒ですね。  そして今日から五日間、彼女達は完全にオフ。学生としての夏休みとしてはとっても短いですが、アイドルとしては破格の連休です。ニューカミングレースみたいな売れっ子なら、この休みはひょっとするとデビューして以来かもしれません。  NGの活動が小休止ということは、ネットでも告知済みみたいですし、なんだか工藤さんも高森さんも、伸び伸びとしてるのもわかります。  そんわけで、彼女達は連休を利用して、わざわざここまで遊びに来てくれたみたいなんです。  ところで、中村さんの「凛のやつをからかってこい」という指令を、工藤さんは忠実に守っているそうで。その話を聞いた凛ちゃんが苦虫を噛み潰したよう顔をしていたのは、ちょっと可笑しかったです。

「話はわかった。でもここに住んでる人達には悪いけど、ここって別に遊ぶところなんてないよ?」

 凛ちゃんはそう言いながら、から揚げを口に放り込んでいます。  そんなNG組から少し離れたところに座った私たちプレイアデス組は、何故かひそひそと会話をしていました。  だ、だって、なんかあっちの組とじゃオーラみたいなものが違い過ぎて。 「あ、このから揚げおいしい」 「でしょでしょ? 商店街にあるお弁当屋さんのなんですよ」

 かな子ちゃんのその言葉で、何故か自分が作ったかのように喜んでしまう私。これじゃ私、まるで地元の普通の女の子みたいです。  奈緒ちゃんはから揚げの下に敷かれたナポリタンをズルズルとすすりながら、凛ちゃん達の様子を伺っています。……挙動不審だなぁ。 

「くっそぉ、凛だけならまだあたしのキャパシティも耐えられたんだけど、さすがに三人揃うと尻込みしちゃうな」 「本当ですよ。ニューカミングレースはあんまり他の部署との関わりがないですし。正直、現実感ないですよね」

 かな子ちゃんも私の言葉にコクコクと頷きます。  遊びに来た、って話ですが本当のところ何をしにきたんだろう……。

「ねぇねぇ、そっちの三人~!」 「ふぁい!?」 「ごふっ!」 「は、はい!」

 急に工藤さんがこちらに声をかけてきたので、思わず変な声をあげてしまう私たち三人。奈緒ちゃんなんか、ゴホゴホと咳込んだ拍子にパスタが口からはみ出てますよ!? かな子ちゃんが慌ててペットボトルを奈緒ちゃんに渡しているの見て、高森さんがオロオロとしています。あ、お構いなく……。  それはそうとして――

「あ、あの、な、なんでしょうか?」 「いや、一緒に食べようよ。なんでそんな離れたところに座るの?」 「え、その……」

 それは当然、お二方に気後れしたから、なんですが。  さすがにそれを口に出すのは奈緒ちゃんもかな子ちゃんも、勿論私も出来なかったんです。知名度でいくら負けていても、同じ会社に所属するアイドルなわけですし……。

「せっかく仲良くなったんだから、こっちに来なよ。あからさまに避けられると、なんだかちょっと寂しいよ」

 凛ちゃんの瞳が憂いを帯びた色に染まっています。  あ、ああ、そんなつもりではなかったんだけど!

「ご、ごめんなさい。えと、じゃ、そっちの席座っていいですか?」 「ドウゾドウゾ~」

 工藤さんが三つ分のパイプ椅子を座りやすいように、わざわざ引いてくれます。これはもう行かざるを得ませんね。

「ど、どうも。改めまして……五十嵐響子です」

 から揚げ弁当を両手に持ったまま、しずか~に腰かける私。  奈緒ちゃん達も私に続いて、そわそわとしながら座ります。

「同級生なんだし、そんなに緊張しなくてもいいですよ? なんか私たちまで緊張しちゃいますし」 「そ、そうか?」

 高森さんの言葉に、奈緒ちゃんは少しだけ安心したようです。かな子ちゃんは……相変わらず緊張してるみたいで、いつもの柔らかな笑顔ではなく、どことなく引きつった表情。無理もないですけどね……。

「えと、それで、もう一度聞くんだけど、忍たちはここで何するつもり?」 「ちょっと凛、それは冷たいんじゃない? せっかく遊びに来たってのに」 「いや、だから遊ぶところがないんだってば……」

 そういう凛ちゃんに工藤さんは不敵な笑みを浮かべると、一枚のチラシを出しました。

「アタシたちを誤魔化そうったってそうは行かないよ、凛。プロデューサーから聞いてるんだからね。これこれ、この……なんて読むんだろう、なんとか祭り? が明後日あるのは知ってるんだから!」

 工藤さんが意気揚々と掲げたそのチラシを、凛ちゃんと私は眺め――

「あー……」 「あー……」

 と、哀れみの含んだ声が見事にハモリました。

 食甚祭(しょくじんさい)。  双子の巫女の伝承が伝わっている、この月海の地。

 その言い伝えが残されている穂含月神社で催される、お祭りのことです。

 現地の人は、ちょっと遅い七夕祭りだと思っているようなのですが。

 穂含月神社で小山さんのお話を聞いた私と凛ちゃんには、特別な儀式のように感じられます。  そしてその食甚祭があるのが、七月二十四日。工藤さんの言う通り明後日なわけで、つまりどうやら彼女達はそこで遊ぶために来たようなのですが……。

「あのさ、忍」 「ん? なに? お祭りの存在を隠してたことへの言い訳かなぁ? うーん?」 「いや……。非常に言いにくいんだけど……」

 困った顔で私に助けを求める凛ちゃん。  え、ええ、ここで私に振るんですか!?

「響子、頼んでいい?」 「え、じ、自分で言ってくださいよ、凛ちゃん!」 「凛ちゃん?」

 工藤さんが不思議そうな顔で私を見てきました。  あれ、高森さんもびっくりしてる。これって中村さんの時と一緒?

「あ、ごめん。なんか私たち以外の346の人が、凛のことを名前で呼ぶのに慣れてなくて。で、言いにくいことって?」

 工藤さんは気を取り直して、私へともう一度質問をしました。

「あ、あの。そのお祭りなんですが。私たちのところに来たのって、多分その……」

 あちゃー、という顔の奈緒ちゃんとかな子ちゃん。  彼女達はその話は聞かされた上で、この合宿所にやって来たというのに。  やっぱり中村さんって、すごく意地が悪いんだなぁ……。

「食甚祭のスタッフなんですよ、私たち」 「へ?」 「多分、工藤さんたちもお手伝いに駆り出されたんじゃないかなって……」 「…………あ、はい」

 気まずい沈黙。  工藤さんは一気にテンションが下がったのか、ストンと椅子に座り込むと同時に、がっくりと項垂れてしまいました。

「まぁ、なんとなくこうなる気はしてましたけどね」

 工藤さんの目の前に置かれた紙コップへ、ペットボトルのお茶を注ぐ高森さん。彼女の「それでこそ中村さん」といった苦笑いで、いかに凛ちゃんたちが普段大変な思いをしているのかが察せました。  なんていうか、おつらいですね、これは……。

「うわぁ、すごーい」 「本当に体育館をレッスン場にしてるんですね」

 驚きの声をあげる工藤さんと高森さん。  そんなセリフを聞くたびに、自分がはじめてここに来た時の事を思い出してしまいます。まだ二週間前のことなのに、酷く懐かしく感じてしまいますね。

「エアコンないから暑いんだけどさ」 「確かに、中々蒸しますね」

 そう説明する凛ちゃんの隣で、高森さんは長いスカートをバタバタとさせます。  よーし! 今こそ月海合宿場の先輩として、威厳を見せるときですよ!

「高森さん、扇風機ならありますよ!」 「あ、そうなんですか?」 「はい!」

 元気よく返事をする私ですが、奈緒ちゃんの不憫な子を見るような視線が痛いです。やめてください、ホントこのぐらいしか、今の私にはできないんですから。

「なんだもう集まってたのか……って、随分大所帯だな」

 私たちの後から体育館にやってきたトレーナーさんが、驚きの声をあげます。  確かに、これまで二人だったのが一気に六人ですもん。三倍ですよ、三倍。

「あ、どうもお久しぶりです、聖さん」

 高森さんが深々と頭を下げます。

「お久しぶりです! いやぁ、プロデューサーに騙されて来ちゃいましたよ」 「なんだ、君らのプロデューサーはまた何か企んでるのか?」 「企んでない事の方が少ないですからね、あの人は」

 凛ちゃんや工藤さんも加わり、親しそうに話し始める四人。  そっか。トレーナーさん、普段はニューカミングレースのレッスンも受け持ってるんだ。ってことは、同じトレーナーさんからレッスンを受けているのに、ここまで力の差が出ちゃってるんだ。ちょっとへこんじゃうなぁ……。  そんなやり手であるトレーナーさんは、手持ちのファイルを見ながら今日のメニューを発表します。

「えー。今日のレッスンは『五十嵐がプレイアデスの曲をちゃんと覚えてるかどうか』の抜き打ちテストらしいぞ」 「えええ!?」

 いきなり何を!?  突然そんなの出来るわけないじゃないですか!

 み、皆口さんの鬼ーっ!

「あ、合同レッスンってそういうことだったのか。納得」 「納得ですね」

 奈緒ちゃんとかな子ちゃんが余裕をもってそう答えます。もう、他人事だと思って!

「まぁ、出来なくてもいいだろう。そもそも今日のレッスン自体がオリエンテーションみたいなものだ。久しぶりに元々の持ち歌を歌ってみるのも、いい気分転換になるだろうしな」 「そ、そうなんですか?」 「ああ、だから今日はお前らも制服のままなんだよ。汗かかない程度でいいぞ」

 ああ、良かった。またみっちり指導されるかと思って、少し身構えちゃいましたよ。  と、安心したのも束の間。

「はぁ、間に合って良かったわね」 「ですね、もう始まってるかと思いましたよ」

 トレーナーさんの後ろから現れたのは、皆口さんとカメラマンさん。う、なんかイヤな予感がする……。

「あら。工藤さんと高森さんも、もう到着してたのね。中村くんから話は聞いてる?」 「はい、聞いてませんでした♪」 「やっぱりー?」

 高森さんの答えを聞いて、何故か満足そうに頷く皆口さん。もう何をもってして正解なのかわからなくなってきますよ。

「で、皆口プロデューサー。明日お祭りの手伝いをするまでの間なら、アタシたちは好きなようにしててもいいんですか?」 「ええ、そうよ、良かったらウチの子達の面倒も見てほしいところだけどね」 「ち、ちょっと待った皆口さん、あたしら一応先輩だぞ!」

 皆口さんの提案にツッコミをいれる奈緒ちゃん。まぁ先輩と言えども、実力は凛ちゃん達の方が圧倒的に上ですしね……。

「いいじゃない、この際先輩後輩とか堅い事言いっこなしよ。こんなチャンス滅多にないんだから、聞けること全部聞いちゃいなさいよ」 「ぐ、そう言われるとそうなんだけど」 「あはは、確かに! ニューカミングレースのみなさんに色々教えてもらったって言ったら、きっと部署のみんなも羨ましがるだろうなぁ」 「いや、かな子。その後輩に教えを請いてもらって羨ましいと思われる状況が、既におかしいということに気付け? な?」 「圧倒的な実力差があるから大丈夫だよ~」 「ぐぬぬっ」

 そんな二人の会話に、工藤さんと高森さんは楽しそうに笑っています。  でも、なんとなく場の空気に乗れていないのが私です。なんでだろ?  そんな事を思っていると、みんなから少し離れて立っていた私の元に凛ちゃんがやってきて、小さな声でつぶやきました。

「なんだか賑やかで楽しいけれど、ちょっと複雑な気分かな」 「え?」 「ほら、ずっと二人だけだったからさ。その空気に慣れ過ぎてたのかな」

 凛ちゃんはそう言いながら、私と同じように少し遠い目をしています。  ああ、そっか。私たち、二人だけの時間が長すぎたのかも。他の人が私たちの生活圏内に居る事に、まだ慣れてないんだ。きっとこれが違和感の正体なのかも。  おかしいですよね。たったの二週間でそう思っちゃうなんて。

「みんなと居るの別に嫌じゃないんですけどね。なんかちょっと……」 「うん」

 でも、凛ちゃんが私と同じように思ってくれてることはなんとなく嬉しかったり。  だって、私だけがこんなこと思ってたら、嫉妬深い子だって思われちゃいそうで……。  って、ああ!  私、昨日浜辺で凛ちゃんにそういう事言っちゃったじゃん! 言っちゃったよね!?  あ、あああああ~~~!

「ちょ、ちょっとどうしたの、響子!?」 「い、いえ、なんでも……!」

 真っ赤になった顔を抑えてその場にうずくまる私。ひ、ひぃ、これは恥ずかしい!

「あー。凛、五十嵐さんを苛めちゃダメだよー!?」 「ち、違うってば!」

 工藤さんに指を差された凛ちゃんが、必死で否定しています。ご、ごめんなさい、さすがに今は誤解を解く余裕が。  そんな私を見て、皆口さんが優しく語りかけてきました。

「ふふ、わかるわよ響子。渋谷さんとの蜜月の日々を邪魔されたことで……」 「う、うわああああ!!!」

 や~~め~~~て~~~!  急いで立ち上がった私は皆口さんの口元を抑えに行きましたが、ひょいっと避けられてしまいました。なんて素早い!

「どう、白石くん、撮れてる?」 「バッチリ。さっきから面白い画が撮れまくりですよ」 「いやー――!」

 ニコニコと皆口さんと話すカメラマンさん。  私の独り芝居劇場、全部撮影済みですよ! もう勘弁してください!

「あー、お取込み中悪いんだけど、皆口さんそろそろレッスンを……」 「ああ、そうだったね」

 トレーナーさんが、沈み込む私を見かねたのかやんわりと助け船を出してくれました。助かります……。

「よし、それじゃ、始めるか。さぁ、並んだ並んだ」 「はーい」 「わかりました~」 「了解です……」

 トレーナーさんの声に従い、私と奈緒ちゃんとかな子ちゃんは、それぞれ定位置につきます。すると隣のかな子ちゃんがニッコリと笑いかけてくれました。うわぁ、その「それ以上言わなくても大丈夫だよ~」という表情が突き刺さります。

「ドンマイ」

 と、反対に立つ奈緒ちゃんからも励ましの声が。  これは本当にいたたまれない……。

「メンバーが全然足りないので、カラオケみたいにパート分け関係なく全部歌っていいからな。それじゃ、ミュージックスタート!」

 トレーナーさんのはじめの声で、聴きなれた私たちのユニット曲が流れ始めます。そして私の身体は自分でもびっくりするほど滑らかに、自然と動き始めました。  あれ?  身体が……軽い!  ホップ、ステップ、ジャンプで1、2、3!

 この四ヶ月間ずっと歌って踊ってきた曲なのに、まるで今はじめて歌ったかのような。  隣で歌うかな子ちゃんと奈緒ちゃんが私のことを驚いた顔で見てきます。  その反応、わかりますよ。だって私自身が今すごくびっくりしてるんですから!  腕が指先まで伸び、つま先はもう私の意志とは関係なく動き続きます。  私はただ自分の身体の動きに身を任せるだけ。  考えてなくても踊れてる! 歌えてる!

「ねぇ、私、少しだけ、大人になれた気がするの♪」 「イエーイ!」 「イエーイ!」 「イエーイ!」

 音楽が終わり、私たち三人のスカートがふわりと重力に引かれ、元の形へと戻っていきます。それと同時に体育館に拍手が響きました。

「なんだ、全然いけるじゃないか、五十嵐!」 「はい!」

 トレーナーさんの声に、私は元気いっぱいに答えます。  後ろでは皆口さんが不敵な笑みを浮かべ、凛ちゃん達は手を叩いてくれていました。

「何だよ、響子! 滅茶苦茶上手くなってんじゃん!? 本当に練習してなかったのか!?」 「すごいよ、前と全然違う! 声もすっごく出てたし!」

 奈緒ちゃんが興奮しながらそう言い、かな子ちゃんはその場で小さくジャンプして私を褒めてくれました。え、えへへ!

「はい、自分でもよくわからないですけど、すごく体が自由に動いてくれて!」

 そんなはしゃぐ私に皆口さんは上出来だと、頭をくしゃくしゃと撫でてくれました。ああ、髪の毛がぐちゃぐちゃになっちゃう! で、でも嬉しい!

「どう? 渋谷さんとダンスレッスンをしてきた感想は?」 「あ、はい、えと……」

 うまく言えないけど、前とは明らかに違うこと。  それはダンスの手順を考えてなかった事です。次はこうしなきゃ、その次はああしなきゃ、という意識が、今は全くなかったんです。メロディーや歌に合わせて、ダンスは一つの流れなんだなって。

「ダンスって……順番を考えて踊るよりも、音に乗った方が上手くいくのかな、って」 「うん。それでいい。響子は今まで難しく考えすぎだったからね。そのぐらい適当でいいんだよ。やっと一つ山を越えたわね」 「適当って……」 「でも、楽しかったでしょ?」

 私はその言葉にハッとしました。  凛ちゃんとのレッスン。彼女はいつも、私が楽しく踊れるように接してくれていました。具体的なアドバイスなんて、一度も受けたことはありません。

 ただ一言、「もうちょっと練習しよう」って。

 そう言って優しく微笑んでくれることが心地よくって。

 彼女の隣で歌って踊れることがどんどん楽しくなって。

 「がんばって」と言われる事が何よりも嬉しくて。  凛ちゃんが私にしていてくれたこと。  その意味がようやくわかりました。

「歌って……ダンスって、こんなに楽しかったんだね、凛ちゃん!」

 私は大きな声で、少し離れた場所の凛ちゃんに手を振ります。

「ふふ、今更何言ってるの。当たり前でしょ?」 「うん!」

 やらなきゃいけない。  出来なきゃいけない。  がんばらないといけない。

 そんな今までの私が、馬鹿みたいに思えました。  歌を歌うのって、楽しいんだ。  音楽に合わせてステップを踏むのって、こんなにも気持ちがいいんだ。  たったそれだけの事に、やっと私は辿り着いた気がしました。

「抜き打ちテストはこれで終了よ。百点あげちゃうわ」 「え、ええ!? そんなこと言われたのはじめてですよ!?」 「はじめて言ったわ」

 そんな言葉にがっくりとする私を、みんなの笑いが祝福してくれているようでした。

 よーし、私いけるかも!  凛ちゃんの横に並んで、絶対に町おこしライブ、成功させてみせるんだ!

「う、うーん……」

 真っ暗な教室の中、私は急に目を覚ましました。  枕元のスマホを手元に手繰り寄せロックを解除すると、眩しく光るディスプレイには“二十三時五十分”と表示されています。まだお布団に入ってから、一時間しか経っていません。今日は嬉しい事が多すぎたから、気持ちが昂って目が覚めちゃったのかな?

 今日はレッスンの後、月海公民館にみんなで出向き、食甚祭で行うミニライブの打ち合わせをしました。でもまさかその後、神社内に設置する簡易ステージ制作まで手伝うことになるとは思いませんでしたけど。  私や凛ちゃんはともかく、奈緒ちゃんや工藤さんはゲッソリとした顔で木材を運んでいましたっけ。「こんなのアイドルの仕事じゃない!」って叫んでましたけど、おかげですっかり仲良しになれたみたいで。結果オーライ、なのかな?  さらに夕食は食甚祭の実行委員の方達とスタッフの皆さんにバーベキューを振る舞い、正直私たちはクタクタでした。  そんなわけで、みんな一時間ほど前に布団へ倒れ込んだんです。これはもう朝までぐっすりのコースだと思っていたのですが。

「あれ?」

 目をこすりながら起き上がると、隣で布団を投げ飛ばして寝ている奈緒ちゃんの向こう、工藤さんや高森さんの姿はありません。慌てては反対側を見ると、そこにいるべきはずの凛ちゃんの姿もなく。

「三人とも、どこいったんだろ……」

 私はゆっくり立ち上がり、スマホの光を頼りに教室から出ました。  月明りに照らされている廊下は、まるで別の世界へと通じているかのよう。  そういえば、本来夜の学校って肝試しで使われる定番ですよね。さすがにここで暮らしているので、そんな事を考えた事もなかったんですが、今日に限ってはその見慣れた廊下が、普段と全く違うものに見えたんです。

 私は歩き始めます。  まるで何か見えない手に引かれるように、私は歩き続けます。  そして、その見えない何かがしばらくして「音」だと気づきました。  ううん、これは「歌」。知ってる、この「歌」を私は知っている。  穂含月神社に始めて行った時、小さな女の子がスマホで見せてくれた動画。  三人の女神が歌う最高のステージ。

 ああ、なんて力強くて、儚く、そして、美しい歌声なのだろう。

「どこ? 屋上?」

 私はいつの間にか駆け足になっていました。  音の鳴る方へ。歌の聞こえる方へ。  そして辿り着いたこの場所のことを、私ははっきりと覚えています。

 ここに来たのが、まだ昨日のことであるかのように。  屋上へと続くドア。

 ――楽しみなさい。あなたにとってこんなに楽しい夏はないはずだから。

 皆口さんが私にかけてくれた言葉を思い出します。  そうです、皆口さんの言った通り、私はこんなに楽しい夏休みを……ううん、こんなにも楽しい時間を過ごすことは始めてでした。  ひょっとしてこれから先、これ以上楽しい事って人生であるのかな? 大げさじゃなく、そんな事を思ってしまうぐらい。

 でも今、この扉を開けたら。  あの七夕の夜と同じように、私は凛ちゃんを素直に素敵な人って思えるのでしょうか?  胸が不安で押し潰れそうになります。  なに、これ? 私は……何を怖がっているの?

 そんな恐怖に駆られながらも、私はやはりその扉を開けるべくドアノブを回してしまうのです。

 そしてそこには。

 満天の空が広がり。  私に瞳に映ったものは。  零れ落ちる星と、優しく包み込む月の光に照らされた三人の歌姫たち。

「ああ……」

 その中央で歌う女の子。凛ちゃん……ううん、渋谷凛。  ニューカミングレース。"新たな時代を作る女神"という名のユニット。  その名に恥じないディーバたちの歌声とその姿。  それは天の川を背に立っていた凛ちゃんを、初めて見たあの時と同じ。  圧倒的なカリスマと神秘性。  そう、あの瞬間、私は確かに渋谷凛という女の子に憧れたんです。

 ――凛ちゃんの横に並んで、絶対に町おこしライブ、成功させてみせるんだ!  ……どうやって?  私が凛ちゃんの横に並ぶ実力を身に着けたとでも?  その資格を私が持ったとでも?  コンセプト次第ではいくらでも戦える?  全部、思い込みでした。  全部、思い上がりでした。  私なんか、まだ足元にも及んでいませんでした。

 あまりにも美しい、星空のステージ。  その姿を見るのが辛くなった私は、そっとドアを閉めました。  開けなければよかった。  なんて馬鹿なんだろう。こんなの知らなければよかった。  ううん、さっき目を覚まさなければよかった。  いいえ、それも違います。

 もっともっと前から私は間違えていたんです。  そう、私は――

「ここに、来なければよかった」

 ドアに背中を預け、そのまま地面にペタリと座り込みます。  凛ちゃん、全部私に合わせてくれてたんだ。  やっぱり私が、お荷物になってる。  凛ちゃんが、本気を出せない。

「私のせいで……凛ちゃん輝けないんだ」

 廊下で転びそうになった時、凛ちゃんが私を助けるために握ってくれた右手首。

 そこを撫でると、チクリと肩が傷みました。その肩を抱きしめるようにうずくまると、頬にはツーっと一筋の涙が流れ落ちました。   やがてその涙は星屑のようにポロポロと零れ落ち、私の膝元を濡らしていきます。  なんて綺麗な顔だったんだろう。  なんて美しい歌声だったんだろう。  346の誇るトップアイドル。  渋谷凛。

「ダメだよぉ、私じゃどうしたって釣り合わない……」

 悔しい。  私が彼女に追いつけない事がじゃない。  私が彼女の輝きを奪ってしまっていたことが。  あの七夕の日から始まった、忘れられない夏の記憶。  意地の悪い青春物語。  その第二章は、今静かに幕を上げました。

 

第九話 了

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