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第三話


 

「う、うーん……」

 うっすらと目を開くと、小さな穴がいっぱい空いた白い天井が見えました。  ……なんの穴ですっけこれ?   えーと、音を吸収する……そんな機能があったような。そうそう、学校の天井なんかがこの天井だったはずです。  でも、なんでそんな天井が?  学校?  学校……学校……学校……。

「あっ」

 体を起こすとお腹にかかっていた薄いタオルケットがズルズルと落ちました。  まだ眠い目をこすりながら周りを見渡します。そこはどう見ても学校の教室。  お布団は板張りの床に直接敷いてあり、起き上がった私はその上でちょこんと座っているのでした。周りには大きなバックと、飲み終わったお茶のペットボトル。さらに年期の入ったパイプ机の上にスマホとお財布。そして中村プロデューサーから預かった赤いデジカメ。

「そうだ、昨日は教室で寝たんだった……」

 カーテンの隙間から入る光は頼りなく、朝日も昇り切っていない時間なのでしょう。優しく覗く光は、目覚めたばかりの私には幻想的に感じられ、教室という異質な空間も相まって現実感が全くありません。まるでまだ夢の中にいるような。  少し離れた壁沿いにある冷蔵庫。そこからブーンと鳴る小さな機械音だけが、この静かな教室にこだまします。そんな人工的な音ですら今の私にはとっても心地が良くて、ずっとまどろんでいたい、と心から思いました。

 ……でも、私は気付いています。これが夢ではないと。  気付いてはいたけれど、出来るだけ気付かぬようにしていたいんですけど……。

「あー」

 いつまでも夢心地でいるわけにもいきません。私はこれが現実であることを確認するために視線を横に移しまます。  そして。

「ああ、やっぱり夢じゃない」

 そこには、布団の上で小さな寝息を立てている女の子が一人。  これからの一ヵ月、私が一緒に生活することになった――

「渋谷凛さん……」

 彼女の屈託のない寝顔は、テレビや雑誌などでよく見るトップアイドル渋谷凛のものではなく、普通の女の子そのものです。

 なんだか可愛いですね……。

 不思議な感じがします。この顔を知っている人間が一体どれだけいるんだろうと考えると、今の私は物凄くレアケースを味わっているような。

「あ、そうだ。せっかくだから」

 こんな不思議な寝顔はカメラに収めておかなきゃ。  机の上にあったデジカメを手にすると、眠気でしゃっきりしない脳をなんとか回転させ起動スイッチを押します。  シャンと涼やか音色と共に、画面には教室の風景が映し出されました。  えと、たしかこれがシャッターで。  ゆっくりと渋谷さんに近づき、シャッターに指をかけたところで、

「あれ? 私何やってるんだろう?」

 デジカメの画面に写る渋谷さんの寝顔を見ていたら、急に目が覚めました。  モニター越しに見る渋谷さんが別人に感じられ、自分がとてもいけないことをしてる気分になってきて。

「だ、だめ、だめだめ! 何してるの私は!」

 私は両手で持ったデジカメを額にコツンとぶつけました。  その時。

「う、うん? あれ……?」 「!」

 しまった! 私のセルフドタバタ劇で渋谷さんが起きてしまいました!  急いでデジカメを背中に隠します。ば、バレてないよね?   さ、さすがに言い訳できませんよ!?

「……えーと」

 のろりと起き上がった渋谷さんは、虚ろな目で髪の毛をかきあげながら私の方を見ています。  な、何か言わなきゃ。

「い、五十嵐響子です」

 思わずまた自己紹介をしてしまった……。

「ああ、うん。おはよう、五十嵐さん」

 私の盛大なボケをなんなくかわして挨拶を返してくれる渋谷さん。  彼女は「うーん」と大きく背伸びをして、

「それじゃまた……」

 再びゴロンと布団に寝転がってしまいました。  そのままスースーと寝息を……って、え、ええ!? 



「あったあった。ここですね」

 早朝五時半。  普段ならまだまだ布団の中で熟睡状態なのですが、今の私は完全に目が覚めています。それもこれも渋谷さんの可愛らしい寝顔を録画しようとしたから。あんなドキドキ感を味わったら、そりゃもう寝られませんよ……。  私は昂った気持ちを抑えこんで、自制も込めて朝ごはんを作る為に家庭科室へとやってきました。幸い場所は昨晩皆口さんから聞いていたのですぐにわかりました。朝から迷子は、さすがに恥ずかしすぎますもんね。  とは言うものの、教えてもらったのは家庭科室とシャワー室の場所だけ。学校……ではなくって、合宿所の作りはまだまだ全然わかっていません。今日は皆口さんやスタッフさんに聞いて色々と確認しなきゃ。

「おじゃましまーす」

 一応早朝ということで引き戸をそっと開けます。

「うわぁ、本当に家庭科室っ」

 そりゃ元は学校なわけですから、こんな感想しか出ませんよ。私のボキャブラリーが少ないって話はしてほしくないです。  大体さっきまで寝ていた部屋だって教室そのものでしたし? どうせどこへ行っても「ここは学校だなぁ」程度の感想しか出ないと思いますよ。  まぁ、それでも「ここは346の合宿所だ」という場所に出会えてもいいのに、とは思いますけどね。ここは学校ではない、という実感が欲しいというか……。  なんて考えながら、家庭科室に隣接している準備室に入ります。そして。

「……広いし、大きいし、豪華だし、なんですかこれ。あ、あはは」

 そこにはどう見ても一般家庭でお目にかかることはないであろうピッカピカで豪華なキッチンが。私の考えなど見透かされてるかのように「ここは合宿所です!」という光景が現れたせいか、変な笑いが出てしまいました。  ……それにしても、なんで346ってこういう意味不明なお金のかけ方するんだろう。  よし、と気持ちを切り替えます。  いつまでも状況にびっくりしてたら話も進みません。  まずはご飯、ご飯っと。周りを見渡してっと……うん、ちゃんと米袋はありますね。

「って、コシヒカリぃ!?」

 また高いお米を……。本当に346のお金の使い方の基準がわかりません。節約って言葉がないんでしょうか? 羨ましいっていうか、腹立たしいというか。  でもとりあえずこれでご飯は炊けますね。あとは炊飯器だけど……って別に捜すまでもなくテーブルの上に置いてある炊飯器を確認。うんうん。これでご飯は炊けることがわかりましたよ。  そういえば、なんにも気にしてませんでしたけど、スタッフさん達はどうするんだろ? とりあえず私たちが食べる分だけ作ればいいのかな?

「うーん、とりあえずお昼の事も考えて三合でいいか……って、あっ」

 あぶないあぶない、ここは他人の台所。  冷蔵庫に適当に食材が入っていると実家や寮の冷蔵庫とは違うんですから、まずはおかずは何が作れるか、その確認を先にしておかないと。

「……となると、いよいよこれの出番ですね」

 私の視線の先には、銀色に光る業務用の大きな冷蔵庫。正直この大きさの冷蔵庫を作る必要あるんでしょうか? 謎です。  あ、でもこの学校もいつしかちゃんとした合宿所になるってことは、このキッチンも寮の食堂みたいになるんでしょうね。まぁ、今は私だけのキッチンなわけですが。……あれ? そう思うとなんか楽しいかも?  唐突に生まれた優越感にちょっぴり浸りながら、私は冷蔵庫と呼ぶにはあまりにも大きなドアを開けます。が――!

「うわ、見事になんにもない!」

 あー……。  そういえば、スタッフさんが今日は買い出しとか言ってましたもんね。  これは明らかにスタートダッシュ失敗って感じ。どうしようかな。  仕方がない、と私はジャージのポケットからスマホを取り出し時間を確認します。 

「まだ六時前かぁ。ちょっとコンビニでも行ってみようかな。あ、でもなぁ……」

 そうです。今の私ってパジャマの代わりに着てていたTシャツとジャージのままなんです。  どうしよう。これから教室に戻って着替えてからってのもなんだかなぁって感じだし。

「……まぁ、いいか」

 結局、面倒になのでそのままの恰好で出かけることにしました。  アイドルの自覚ないって言われるかな?  でも……今ぐらいは別にいいよね?

 そんなわけで表へ出るために下駄箱へ向かうと、そこには見かけない女の子が靴を履き替えているところでした。  背は私とあまり変わらないか少し小さいぐらい。多分、歳も一緒ぐらいかな。肩口でウェーブのかかった茶髪と少し焼けた健康的な肌。セーラー服が可愛らしいです。  確か昨日この場所でスタッフさん達にご挨拶した時に、この子も一緒にいたはず。

「あれ、五十嵐さん早いですね! おはようございます!」 「え、あ、はい、おはようございます!」

 元気よく挨拶をしてくれた彼女に、私も慌てて挨拶を返します。  アイドルが元気で負けるわけにはいきませんしね!


「どうしたんですか? 朝のお散歩ですか?」 「そんなところです。ちょっとコンビニに行こうかと思いまして」 「あ、それじゃ私案内しますよ!」 「え?」 「私、地元民なんです。今回は短期アルバイトということで。今もちょっと様子を見にきただけで、特別用事があるわけでもないですし」

 なるほど、どうりで346では見かけない子なわけです。確かに地元の方が居ると安心しますもんね。さすが皆口さんの采配です。こういうところはぬかりない。

「それじゃ案内してもらってもいいですか?」 「勿論です!」 「よろしくお願いします。えーと……」 「あ、すいません自己紹介がまだでしたよね。私、金元です!」 「はい、よろしくお願いします金元さん! 私は……」

 改めて自己紹介をしようする私の前で、彼女はぶんぶんと手を振ると嬉しそうな顔でこう言いました。

「やだなぁ、五十嵐さんのこと知らないなんて、そんなわけないじゃないですか!」 「え!?」 「テレビで何度も見てますし、プレイアデスのCDだって持ってるんですよ!」 「そ、そうなんですか!? あ、あ、ありがとうございます!!」

 彼女の言葉に感激した私は、思い切り頭を下げて御礼をします。

「ちょ、ちょっと五十嵐さん、頭を上げてくださいよぉ!」

 金元さんは慌てていますが、今はちょっとこのままの恰好で。顔がニヤニヤとしっぱなしなんで。  とてもじゃないけど顔は上げれなさそうです。は、恥ずかしい……。  で、でもしょうがないですよ!  アイドルとして、こうやって直接褒められることって始めてなんだもん!

 しょうがない、しょうがないんですよ!  だ、だから戻って! 早く私の顔、元に戻ってー!

 その後ちょっとドタバタしましたが、金元さんに連れられてコンビニには無事到着しました。歩いて五分という目と鼻の先でしたね。  で、到着したのはいいんですが、私はまたもや呆然としていました。ううん、東京での生活に慣れてきたせいですね。この感覚は忘れていただけ。

「開店は七時……」

 デイリーヤマグチと書かれたガラスのドアは全く開きません。  入口にある背の低い看板に書かれた営業時間は、朝の七時から夜の十一時まで。うん、田舎のコンビニってこういうことありますよね……。

「まだ一時間近くもあるんですね……」 「あ、でもでも、ここの奥さんは六時半ぐらいにはもうお店開けますよ。あんまり営業時間とか関係ないんで。夜だってシャッター叩けば出てきてくれますしね!」 「ず、随分アットホームですね」 「はい! いいですよね!」

 良いか悪いかイマイチ判断しかねますが、その件はともかくあと二十分でお店には入れるわけですね  朝八時に皆口さんと朝のミーティングなので……うん十分間に合います。

「それじゃちょっと座って待ちましょうか」 「はい!」

 金元さんと一緒にコンクリートの道路に座ると、朝の空を眺めます。  さっきより少しだけ昇った太陽は、夏の暑さ届ける時間に突入してるようで、すでに首元がちょっと汗ばんできていました。

 つまり、暑いです。

「暑いですよねぇ、まだ七月だっていうのに」

 私と同じことを金元さんもそう思っていたようです。

「でも、私って夏好きなんですよ」

 金元さん夏は苦手なのかな? と思ったらそうでもなさそう言葉。ニコニコと話してくれる彼女は、なんだかとっても楽しそうで、私もつられて元気になってしまいます。

「私も夏、好きですよ。生まれが八月だからでしょうか? なんか特別な感じがしちゃうんですよね」 「あ、八月なんですね、誕生日! おめでとうございます!」 「ありがとうございます! って、まだ一ヵ月も先の話ですよ~」

 そんなノリで思わず吹き出してしまいました。なんだか金元さんとは息が合います。  なんていうか同級生って感じでしょうか? アイドル仲間とはまた違った感じの。

「あ、そういえば五十嵐さん、今回は渋谷さんと一緒に活動されるんですね! 私びっくりしちゃいました!」

 その言葉にハっとしました。  そ、そうですよ、私の同級生は金元さんではなく、渋谷さんですよ!  現実逃避もいいところですね、まったく……。

「あ、あはは、私が渋谷さんの同級生役なんかでいいのかなぁ……って心配してるんですけどね、あは、あはは」

 金元さんにそう答えながら、私はひきつった笑いをします。この笑い方は他人に見せるものではないですよね……。

「ええ、私はピッタリだと思いますけど!?」 「そ、そう?」

 自信満々にそう言い放つ金元さん。  何故か彼女は私を買ってくれてるようですが……。ごめんなさい、肝心の私には全然ピンと来ていなくて。  ……でも、そうですね。そうですよ。

「自信はありませんけど、とりあえず出来る限り、がんばってみようかな……とは思ってます」

 そう言えたのは、昨晩の彼女のイメージが私の瞼に鮮明に焼き付いていたから。  天の川を背に立っていた渋谷さん。あの姿に私は魅せられてしまっていたのでしょう。

「はい、私応援しますよ! あの渋谷凛さんと、私のイチ推しの五十嵐さんが一緒に活動するなんて、ちょっと夢みたいな事ですし!」 「い、イチ推し!?」 「そうですよ、私、五十嵐さんのファンなんです!」 「……っ」

 あああああっ!  だめです、これは顔から火が出るほど嬉しいですよ!? で、でも同時に滅茶苦茶恥ずかしくって、ええっ、何これ!?  ありがとうございます、と震える声で返しながら、また私は俯いてしまいました。  勿論顔はニヤニヤと緩みっぱなし。  だ、だらしないです……。  本当にこんなことで渋谷さんの隣に立てるのかな?

「で、わざわざ響子はコンビニでおにぎりを買ってきてくれたわけだ。うん、渋谷さんの分もある。えらいえらい」 「…………」

 朝ごはんタイム兼ミーティング。  私と渋谷さんが寝室に使った教室が6-1。その隣、6-2の教室が作戦会議室。どうやらさっき決まったようです。  私たち三人は、パイプ机を六つほど並べ大きなテーブルにした後に、朝ごはんを食べようと準備をしていたのですが、何故かテーブルの上には大量のおにぎり。明らかに三人で食べきれる量ではありません。

「まさか、響子が早起きして勝手に朝ごはんを調達してくるとは。さすがというかなんというか……」 「す、すいません」

 どうやら皆口さんは昨晩の内に、朝食になるおにぎりを用意してくれていたみたい。  なんで家庭科室の冷蔵庫に入ってなかったんだろうって思いましたけど、よく考えたら私たちの部屋にも小さな冷蔵庫ありました。だったら皆口さんの部屋にもありますよね。はは……。  というわけで、私と皆口さんがそれぞれ奮発して買ってしまったおにぎりが六人分。絶対に食べきれないですよね、これ。

「とりあえず私は、かつおおかか貰うよ」

 しゅんとしている私に構わず、渋谷さんはおにぎりの山へと手を伸ばします。

「渋谷さん、渋いところ食べるね。それじゃ私は鮭。基本よね」 「あ、じゃ私はツナで……」

 一様におにぎりをムシャムシャと食べ始める女3人。中々にシュールです。

「んじゃまぁ、食べながらでいいから聞いて」

 皆口さんは、おにぎりを一つ食べ終わった後、話を切り出しました。  私は「ふぁい!」と、食べかけの口元を隠しながら答え、渋谷さんは、静かに「はい」と返事をしました。

「まず、ライブでやる曲数だけど、二人も知っての通り十曲ね」

 渋谷さんが頷き、私もそれに倣うようにコクコクと首を縦にふります。  さすがにもう驚くこともないですしね。

「でも実質二人で歌う曲は六曲だけ。残りの四曲は、渋谷さんと響子がそれぞれ二曲づつソロを担当してもらうことになる」 「むふっっっ!?」

 思わず変な声が出ちゃった!  隣には少し困った顔しながらも、それも日常茶飯事といった具合に渋谷さんが再び頷いていますが……今度は倣うことはできません!  ソロ!?   ソロ曲ですか、!?  私が!?

「んんっっっっ!!!」 「いいからまずおにぎりを飲み込みなさい。吐き出しそうよ」 「~~~~っっ!!」

 ああ、この淡々としたやりとりが恨めしい!  でもこのままで喋れないのは全くもってその通りなので、私はお茶をゴクゴクと飲み干す勢いで口に含みました。

「ぷはぁ!」

 ペットボトルを叩きつけるようにテーブルに置き立ち上がります。  一方、渋谷さんは隣で三つ目のおにぎりに手を伸ばしていました。朝から沢山食べますね……。  じゃなくて! そんなことより!

「ソロなんて聞いてませんよ!」 「教えてないもん、そりゃそうでしょ」 「皆口さぁぁぁぁん!!」 「うん、イケるイケる」 「何がイケるんですか!? もっと早く言いましょうよ!」

 私はよろよろと椅子に腰を下ろすと項垂れます。  本当だったら涙が出るほど嬉しいソロ曲。でも今は状況が状況なので喜びよりも不安の方が圧倒的に強く、正直足が震えてきています。

「あれ? 五十嵐さんはソロ曲ってはじめてなんだ。おめでとう」 「あ、ありがとうございます」

 渋谷さんの素直な祝福が心に刺さります……。

「響子はユニット曲に慣れ過ぎる前に、一人で歌う事を覚えた方がいいと思ってね。やっぱソロは大事だよ? もっと自分をアピールしないとね」 「は、はぁ……」

 確かに私はユニットメンバーとしてデビューしたので、そもそもソロのステージは未経験です。誰の手も借りないでステージをやりとげた事はありません。  そういう意味で皆口さんの言うことはわかります。私に自信と度胸をつけようと、そういう魂胆なんでしょう。けどさ。

「それはもうちょっと後でも……」

 二人には聞こえないぐらいの小さな声でつぶやく私。  何もわざわざ渋谷さんと一緒の時にやらなくても。どうやっても比較されちゃうし……。

「それじゃ話を戻すわよ。その一か月後のライブについてね」

 そ、そうです。  一体どこでやるんでしょうか。あんまり大きな舞台だとさすがに逃げ出したくなっちゃいます!  さっき金元さんにはがんばるって言いましたけど、場所次第ではごめんねって感じです!

「ライブ会場は、元、北月海(きたつきみ)小学校、現、346合宿場。つまりここ」

 皆口さんは、窓から見えるグランドを指差します。

「ここ? ここってこの場所ですか?」

 彼女は頷き、私たちにコピー用紙を手渡してきました。

「なになに……北月海の地域活性化を狙った町おこしライブ……ですか」 「そ。まぁ、このライブ自体はお祭りみたいなもんと思ってもらっていいよ。ほら、町内でやる盆踊り大会? あれみたいなもんね」 「へぇ~……」

 なるほど、と隣で渋谷さんが頷きます。なんだかちょっと楽しそうな表情。  そして私は、というと「ちょっと面白くなったきた!」とか思っちゃってます。なんか足の震えも止まっていますし。……むぅ、良いように気持ちをコントロールされてる気がしないでもありませんが。

「じゃ、ライブ自体もそんな大きなものじゃないってことです?」 「そうね。常務にはPV撮影がメインって事で中村くんは話を通してるみたいよ」

 へぇ。中村プロデューサーって面白い事考える人だなぁ。  でも感心している私とは逆に、渋谷さんは急に渋い顔になります。

「……じゃ、中村プロデューサーは、このライブ自体の申請してないってわけですね?」 「ま、そういうことでしょうね。あくまで申請はPV撮影だから」 「え?」

 申請してない?  どういう事?

「中村くんお得意のゲリラライブね。本当、あの人こういう事好きよねぇ」 「あの人、絶対頭おかしいよ。なんで会社に対してゲリラ活動するんだろ。ゲリラライブの意味全くわかってない」 「彼がどうかしてる事については全くの同感ね。ま、今回は私も共犯だから、立場的に相当やっちゃってるんだけど」 「あの、一体なんの話を……」

 私が会話の内容が掴めずに困っていると、渋谷さんの四つ目のおにぎりに手を伸ばしながら答えてくれました。

「中村さんは自分のやりたいことがあると、上層部に申請しないでイベントやっちゃうんだよ」 「え、なんですか、それ……?」 「今回のターゲットは五十嵐さん。完全にババ引かされちゃったね」

 皆口さんも苦笑いしながら二つ目のおにぎりの封を切ります。

「中村くん、PVのクライマックスで学園ライブっぽい演出をするって常務に言っちゃってんの。でも実際はライブっぽいじゃなくて、本当にライブをやりたかったってわけ。あなた達二人でね」

 無言でおにぎりを食べだした渋谷さんと皆口さんを交互に見つめます。

「つまり……これって」 「そ、今回のライブは公式じゃないの」 「別に普通に常務にライブやるって言えばいいんじゃないですか!?」

 そんな私の真っ当な質問に渋谷さんは「全くだよね」と答えます。

 ええ……。  ああ、なるほど。理屈じゃないんだ。だからゲリラなんですね……。

「だからってあんまり気は抜かないでよ? 公式ライブじゃなくてもPVは公式なんだから。ちゃんと予算も多めに取ってきてるんだからね。……そうね、あなた達次第でこの合宿所の未来が決まるって感じかしら」


 諦めた、そんな表情で渋谷さんは「了解」と皆口さんに返事をしました。  私はと言うと。

「……はい、なんだかまだ頭がついていけてないのですが、わかりました」

 そう答えるのが精一杯で。  本当、これどうなっちゃうんだろう?

「はい、おっけー」

 いつもお世話になっているベテランのトレーナーさん。そんな彼女の一声でブレストレーニングは終了。  彼女は私たちのレッスンをサポートする為に、わざわざ合宿所にやってきてくれていました。

「ふ、ふぅ……」

 大きく深呼吸。  346でもよく行われてるトレーニングなので慣れてはいるのですが、今日の私は汗でびっしょり。隣にいるのは渋谷さんでは、そりゃ汗も出ますよ。ひょっとしたらこれって冷や汗なのでは?

「うん、五十嵐さんもいい声だね」 「え? そ、そうですか?」

 隣で水を飲む渋谷さんが私の声を褒めてくれました。  私、声出てたかな? そんな気は全くしないんだけど。あ、ひょっとして気を遣ってくれたのかな。

「デビューからまだ四ヵ月とは思えなかったよ。やるね」 「あ、ありがとうございますっ」

 そう答えたものの、それはまだ4ヵ月の声量しかないって事。それじゃ素直に喜べないですよ……。  だって渋谷さんはたった一年で346のトップまで駆け上った人ですよ?  彼女のデビュー四ヵ月の時点での実力。そこに私が辿り着つくには一体何年かかるんでしょう。ううん、そもそも私はその場所に辿り着くことは出来るのかって話です。

「逆に渋谷はあんまり声出てなかったぞ? 喉の調子でも悪いのか?」 「え、うーん。そうかな?」

 トレーナーさんにそう言われた渋谷さんは軽く首をかしげました。  え、今ので調子悪いの?  さすがにそれはちょっとへこみますよ……。

「なんだ五十嵐その顔は。おまえはいつもより声出てたんだから、もっと元気そうにしとけばいいぞ」 「は、はい」

 自分では必死だったから何も感じなかったけど。二人からそう言われると、確かにちょっとだけいつもより声は出てたような気がしないでも……。気だけかなぁ。

「それじゃ歌の方に行くわけだが、今回は曲数も多いしな。まずは自分達でどの曲から歌うか選んでみるか?」 「ああ、そうですね。サンプルデモってもうある?」 「あるよ、はい楽譜も」 「ん、どうも」

 トレーナーさんから数枚の楽譜が入ったクリアファイルを手渡された渋谷さんは、中身を取り出し楽曲の確認をし始めました。私は床に座り込んでそんな彼女の様子を眺めているだけ。いや、テキパキしてるなぁって。

「こら、五十嵐何をぼーっとしてんだ」 「あ、はい」 「ほーら、おまえもちゃんと目を通せよ」

 トレーナーさんは私にもファイルを渡してくれました。  そ、そうですよ、私も一緒に歌うんだから感心してる場合ではないですよね!  急いで楽譜を取り出すと目を通していきます。  まずは私の初めてのソロ曲を……。緊張もありますが、やっぱり楽しみってこともありまして。  さて、どんな曲でしょう?

「えーと、これだ。曲名は……Chasing hearts」

 作詞作曲は……って、これ有浦柑奈さん!?

「え、これって? 柑奈さん?」

 トレーナーさんに質問すると、彼女は「自分は楽曲に関してはノータッチ」と苦笑いします。仕方なく再び楽譜に目を通します。うん、どう見てもこれ柑奈さんの歌だ。

「五十嵐さん、どうかした?」 「あ、はい、これ楽曲が有浦柑奈さんになってて」

 渋谷さんに楽譜を見せると彼女はそれを覗き込んできました。うわ、顔近い……。

「あ、本当。柑奈さんが他人に曲作るなんて珍しいね」 「で、ですよね。これって一体?」 「さぁ、楽曲はいつも中村プロデューサー任せだし。私も詳しくは」

 皆口さんの曲じゃないことにちょっと動揺してしまいましたけど。でも――

「…あの、私、柑奈さんの曲好きなんですよ」 「へぇ、そうなんだ」 「はい。なんか優しいメロディーと歌詞で……」

 有浦柑奈さんはアイドルでありシンガーソングライター。  プロジェクト・バタフライエフェクトに所属するアイドルで346のアイドル部門創設から所属しているベテランの方です。  私も346のアイドルになる前に、よく聴いていたアーティストの人で。あ、今も聴いてますけど。

「嬉しそうだね、五十嵐さん」 「え?」 「顔。すごくニヤけてる」 「っっっっ!」

 ああ、またですか!  どうも色々と不意打ち気味にやってくる喜びと驚きが多すぎて!  なんかちょっと感情のコントロールが上手くできてない気がします……。

「私が柑奈さんのファンだって、中村プロデューサー知ってたんだ」

 別に私も柑奈さんのファンである事は隠していませんし、ちょっとプレイアデスのメンバーや皆口さんに聞けば分かることですもんね。  それにしても、私が嬉しいと思う事が、こうも鮮やかに手元にくるなんて。

「よかったね」 「はい……」

 渋谷さんの声に私は静かに答えました。

「注目~!」

 トレーナーさんは手を叩いてと、私のぼーっとした心境を打ち消してくれました。


「いいか、おまえら。最初は二人で歌う曲から行けよ? ソロ曲は後回し。今必要なのはまずはチームワークだからな?」

 その言葉に私たちは「ハイ」とハモった返事をします。  そうですね、この柑奈さんに書いてもらった歌を唄うためにも、まずはユニット曲をがんばらなきゃ。

「うん、いい顔だ。じゃ、サンプルデモはこのPCに入ってるから、スマホに落とすかなんなりしてくれ。明日までにまずは一曲。とりあえず歌えるように」

 彼女はそういうと机の上にあるノートパソコンをポンと叩きました。

 ブレストレーニングを終えたあと、ひたすらに楽曲のサンプルを聞き楽譜をチェック。その後は、体力の基礎作りにとグラウンドを走り込み。渋谷さんのペースがあまりに早すぎて周回遅れにされてしまった事はもう忘れましょう。  さらにその後は、合宿所の探索にあて、汚いところをお掃除。  そんなことをしてると、アッという間に一日は終わっていました。太陽はすでに傾き、そこには昨日と同じような夏の夕焼け空が広がっています。

「まさかたったの二十四時間でこんなことになっているなんて」

 スーパーの買い物袋を両手にした私はそう言わざる得ません。  それにしても。

「アイドルなのにジャージにTシャツ。こんなんでウロウロしていいのかな……」

 早朝ならまだしも、こんな人通りが多い時間に。

「まぁ、田舎だしいいんじゃない?」

 隣を歩く渋谷さんが素っ気なく答えます。

「むしろこんなところでお洒落してたら余計に目立っちゃいますよ?」

 そう答えるのは金元さん。

 彼女も私たちと同じくジャージ姿。ただ、金元さんのジャージは学校指定のものでしょうね。胸元に金元って名前が刺繍してありますし。

「別にお洒落はするつもりないですけど、なんか不安で」

 金元さんの案内で近場のスーパーへの買い出しを済ませた私たち。今は再び合宿所に戻っている最中です。  そして、そんな私達の前方を後ろ歩きで撮影をするカメラマンさん。

「それにしても、アイドル自ら買い物をする企画ってのも、中々レアで面白いもんだ」 「ですよね! 346のアイドルさんってこういうことあんまりしませんよね!」

 三十過ぎぐらいでガッシリとした男性のカメラマンさんがそう言うと、金元さんが嬉しそうにそう答えます。

「でもやっぱり私は心配です。随分目立ってましたし、大丈夫なんでしょうか、これ」

 カメラマンさんは大丈夫だろって笑っていますが、そう思ってしまうのも仕方ありません。だってスーパーでの買い出し中もずっと撮影をされていたんですから。勿論、他のお客さんからは不思議な目で見られていましたよ?  私はロケの仕事がしたことがないので、ああいう目で見られることの居心地の悪さに驚いてしまって…。あ、渋谷さんはどうだったんでしょ?  ちらりと渋谷さんの様子を伺いますが、彼女は何を考えてるかわからない無表情。  昨晩出会った当初は、ちょっと可愛らしい面もあったのですが今日はずっと素っ気ない感じで。  うう、初日にして私に失望しちゃってるとか……?

「五十嵐さん、買い物の手際良かったね」

 私がウジウジしていると、なんと先に渋谷さんの方が話題をふってくれました。

「え? あ、はい。慣れてるんで」 「そっか。私、ああいうの全然ダメでさ。感心しちゃったよ」

 渋谷さんが申し訳なそうな顔をします。  なんで?

「それにさ……今朝、起こしてくれたのに私また寝ちゃったよね? 朝食の用意も全部五十嵐さんに任せちゃったし」 「え? ええまぁ」

 朝食を作ろうとしたことは、皆口さん的には余計なお世話だったのであまり褒められるようなことでもないのですが。

「お昼だって、五十嵐さんが用意してくれてさ。私はただ楽譜見てただけなのに、知らない間に机の上に弁当があったからさ。すごいなって」 「あれはスタッフさんから受け取ってきただけですし、大したことじゃ……」

 真剣に楽譜とにらめっこしている渋谷さんの姿は集中力の塊みたいな感じで、私が声をかけられなかったというのが正しいので、実は情けない話なんですけどね。

「ううん。今の私って周りがあんまり見えてないんだよね。ちょっとハードなレッスン続けてきちゃったせいで、一度歌の事考え始めるとスイッチが切れなくてさ……。だから、その……五十嵐さんのおかげで、今日はすごく助かった」

 え?  なんですか、この展開。

「さっきの買い出しも、私だったら適当に買っちゃってたと思うんだ。五十嵐さんがいなかったら、もっと大変だった。ありがとう」

 私とは視線を合わせないまま、前を見据えて歩く渋谷さん。  でも、その横顔は星空の下で見た彼女の表情で、私はまたもやドキリとしてしまいます。  ああ、このトップアイドルという顔の下に、彼女は一体どれほど普通の女の子としての顔をもっているんだろう。そんな事を思って。

「ううん、いいんですよ、私の家って大家族だったのでああいうの本当に慣れてますし」

 すると金元さんがパーっと明るい顔をして私に話しかけてきました。

「あ、だから五十嵐さんあんなに手際よかったんですね! アイドルさん達ってああいう家庭的な事って、実は苦手なのかなぁって勝手に思ってたんですけど、全然そんなことなくって、って……あ、気を悪くしたらごめんなさい!」

 金元さんが慌てて渋谷さんに頭を下げますが、渋谷さんは気にしないでと笑いました。

「そう言われても仕方ないかな。私は実際にああいうこと苦手なんだ。こう見えても一年前まではそこそこ家の手伝いもしてたんだけどさ……。まぁ、それでも五十嵐さんの手際の良さと私とではなんだか縮まらない差、みたいなものを感じたよ」

 私は無言になってしまいました。  今日一日、渋谷さんと比べられる自分がイヤでイヤでしょうがなかったのに、彼女は彼女でこんな事を考えていたなんて。

「あの……ありがとうございます。そんなふうに言ってもらえて、嬉しい、です」


 私はそう答えたものの、その後にどう会話を続けていいのかわからなくなっちゃって、ただただ歩き続けることしかできませんでした。  なんだか渋谷さんも少し気恥ずかしそう。どうやって話をしていいのかわからなくなってしまったようで。

「あ、そうだ!」 

 その空気を察してくれたのか金元さんが元気よく声をあげました。

「そこの角を曲がると見晴らしのいい公園があるんですよ! せっかくなのでちょっとだけ寄っていきません?」 「お、画になるなら素材はどんどん欲しいところだからな。寄ってこう」

 カメラマンさんも乗り気になったので、私はコクリと頷きます。隣で渋谷さんも「うん」と小さく答えました。  小走りで先を行く金元さんの後をついていくと、大きな公園があってそこからは――

「うわぁ、海だ!」

 高台からは少し離れた場所にある海がよく見えました。  夕焼けの太陽に染められた海は赤く輝き。  夜を告げる深き蒼は静かに空を覆っていました。

「綺麗だね」

 渋谷さんの言葉に私も頷きます。  本当に綺麗。

 どうしてこんなに素敵なことが色々と起こるんでしょうか。  とにかく大変な注文が多い合宿でのトレーニング。  まだそれほど親しくなれてるわけでもない渋谷さんとの関係。  トップアイドルと新人アイドルとのどうしようもない実力差。

 でも、そんなの全部吹き飛ばすぐらいに、素敵なことばかりが起こってしまって。

「青と赤、ですね」

 私の言葉に渋谷さんはハっとして顔を起こし、少し遅れて私も「あ!」と声が出てしまいました。  そうです、このワードさっき見たばかり!

「し、渋谷さん、この言葉ってさっきの歌にありましたよね!」 「うん、確かにあったよ! ちょっと待って!」

 渋谷さんは急いでスマホを取り出すと、イヤフォンをとりだし耳につけはじめました。わ、私も聴かなきゃ!

「待って、こっちで聴けばいいよ」

 スマホを探してる私に、渋谷さんは片方のイヤフォンを差し出してくれました。

「あ、ありがとうございます!」

 私と渋谷さんは片方づつイヤフォンをつけ、そしてその曲を聴きだします。  そうそう、これ! これですよ!  私が渋谷さんを見つめると、彼女も「うん」と頷きます。その顔はすごく楽しそうで。  金元さんとカメラマンさんが、私たちの急に上がったテンションに呆然としている中、曲はとうとうサビにさしかかりました。

 ~君に会って、笑いあって♪ 

 そうして私たちは、その歌詞を一緒に口に出したのでした。

「「真っ赤なブルーだ!」」

 Summer Song。  それは夏休みが始まる歌。  私と渋谷さんが最初に選んだ歌。 

 

第三話 了

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