第二十二話
「運命が変わる……ですか?」 「プロデューサー。それって、どういう意味?」
レッスンの総仕上げを終えた私たちにかけられた言葉。 ある意味いつも通りの突拍子の無さではある。 だけど運命なんて、日頃からまるで信じていない人の言うことだ。それなりの意味や用意があるのは、容易に想像がつく。
「ま、オレからの誕生日プレゼントってとこだ。気に入るかどうかは、お前たち次第だけどな」 「……変なモノじゃないだろうね」
訝しがる私を、忍と藍子は微笑ましそうに眺めていることに気付く。
「もしかして、二人はそのプレゼントってのが何か知ってたりするの?」 「どうだろうねー?」 「凛ちゃんも響子ちゃんも、きっと気に入ると思いますよっ」
なるほど。今回はこの二人もプロデューサーサイドってわけね。
「どうする、響子?」 「謙譲の美徳って言葉もありますけど……」 「貰えるものは貰っておくって言葉もあるよね」
僅かな目配せでお互いの意思を確認する。
「とりあえず、受け取らせてもらうよ。腐るものだったりしたら、勿体ないし」 「心配しなくても大丈夫だよ凛。この期に及んで、誕生日プレゼントまでリンゴだったりしないから!」
にやつきながら忍がそう言うと、
「凛ちゃん、リンゴ嫌いなんですか?」
と、響子は不思議そうに訊ねてくる。 まぁ、確かに私はリンゴが嫌いって雰囲気には見えないだろうけどね……。
「忍の実家って、青森にあるんだけどさ。いっつもたくさんリンゴ送ってくれるのはいいんだけど、正直食べ飽きちゃって……」 「そんなこと言いながらいっつも食べてはくれるんですけどね。凛ちゃん、優しいから」 「フォローどうも、藍子」 「ま、まぁリンゴの旬にはまだ少し早いですしねっ!」 「響子のフォローも大概謎だね……。で、肝心のプレゼントが何なのか、そろそろ教えてくれてもいいんじゃないの?」 「よし、それじゃ早速お届けするとしようかね。ナナちゃん、頼むぜ」 「了解ですっ!」
さっきからずっと、にこにこと私たちを眺めてくれていた菜々……さんはそそくさと教卓の裏に回り込み、そこに隠してあったCDコンポを恭しく取り出した。
「もしかして、ナナちゃんもプレゼントの中身を知っているんですかっ?」 「はいっ! ここに来る前、中村プロデューサーから教えてもらいましたので!」 「えーっ、ずるいですっ! 他の人ばっかり!」 「あ、えと、響子。その、ナナちゃんって……」 「えっ?」 「いや、その何て言えばいいのかな。呼び名は一応、気を遣った方が――」 「あーーーっ! ナナはナナですっ! だから全っ然、ナナちゃんで構いませんよっ!?」 「……?」 「そう……。でも、私は菜々さんのこと『菜々さん』って呼ぶね……」 「はうっ!!」 「??」
響子と橘さんは不思議そうな顔をしてるけど、今日一日一緒に打ち合わせをしていた私にはわかる……。 あえて何がとは言わない。これはきっと、私が誰かに伝えるべきことじゃなく、その人がその人のタイミングで気づくべきことなんだと思うから……。
「うぅっ……! ナナ、お仕事はちゃんと果たしますっ! なんたってナナは、プロのアイドルなんですからっ! それじゃ、スイッチオン!」
何はともあれ、コンポの再生ボタンが押し込まれる。 すると教室中に、優しくて、暖かくて、美しいメロディーが流れ始めた。 この曲――聴いたことのない曲だ。
「わぁ……。素敵な曲です……!」
橘さんも、うっとりした表情で流れる音に聴き入っている。 しかもこの曲、歌詞が入ってない。本当にメロディーだけの状態だ。 要するに未だ不完全な、未完成品ってこと。 そしてこのプロデューサーが、このタイミングでこんなものを持ってくるということは――。
「どうよ、驚いたか?」 「中村さん、これって……?」 「……まさかここに来て、もう一曲増やすとか言わないよね」 「さすがうちのエース、いい察ししてるじゃねぇか」 「え、えぇーっ!?」 「はぁ……」
溜め息の一つや二つ、許してほしい。 最後の最後に、もう一つ無茶振りを残されていたアイドルの立場になってもらえれば、きっとわかると思う。
「も、もしかしてまだ入っていない歌詞は……」 「響子ちゃんもわかってきたじゃねぇか。そう、明後日までに二人で考えるんだ」 「そ、そんなぁーっ!!」 「ただし、だ」
プロデューサーは一度言葉を切って、あえて少し間を作った。 それはおそらく、次の言葉に私たちを注目させるために、だ。
「もしもこの曲の歌詞を完成させることができたなら、来年もう一度、月海という舞台をお前たち二人のために押さえてやる」 「プロデューサー、それ……」 「本当ですかっ!?」
瞳を爛々と輝かせる私と響子。
「あぁ、約束は守るぜ。出来たら、な」 「また最後の最後に意地が悪いのねぇ中村くんは。私から見ても、この子ら相当頑張ったわよ? 舞台くらいタダで抑えてあげればいいじゃない」 「姉さん、ここがプロデューサーとして一番美味しいところだぜ? ここで業突く張らずにいつ張るよ?」 「呆れた。好きにするといいわ。渋谷さん、響子、応援だけはしてあげる。頑張ってね」
半ば投げやりな態度の皆口さんを他所に、私たち二人の心は既に来年へと向かっていた。
「絶対にやってみせる! ここまで色んな事を乗り越えてきたんだから」 「頑張ろうね凛ちゃん! 中村さんの言う通り、これが最後の最後だよ!」 「違うよ響子。最後なんかじゃない。この曲を私たちの来年に繋げる、最初の一歩にするんだ」
ぎゅっと響子の左手を握り締める。響子もそれに、力強い反応で応えてくれる。 残された時間は確かに少ない。けど、やってやれないことはない。 今の私と響子なら、どんなことだって乗り越えられる。 私たちの絆。それを信じて、ただただ突き進めばいいんだ。
*
「うーーーーーーーーーん……」 「そんなに長いこと唸ったって、どうにかなるもんじゃないよ響子」 「作詞って、何すればいいのぉ……?」 「さぁ……」
翌日の午後一時。 私と響子は普段寝起きしている6‐1教室で、クーラーをガンガン効かせながら、二人で机を二つ挟み、向かい合わせでうんうん唸り合っていた。 傍から見れば、おそらく異様な光景だろうけど、この状態こそが今の私たちの現在地なのだから仕方ない。 まったく。残り日数あと二日で、とんだ断崖絶壁がそびえ立ったものだ。
「中村さんも皆口さんも、ノーヒントなんてひどいよぉ……」 「わからないよね、作詞のやり方なんて……。さすがにちょっとくらい教えてくれてもいいのにな」
昨日は勢いで意気込んでは見たものの、私自身これまでずっと、人が書いた歌詞を歌うばかりで、自分で詞を書いた経験は一度もなかった。 しかもそれを、たった二日――いや、実質一日でなんて……。 だけどそれでも、この曲が来年に繋がる種になるのなら。 やらない理由はない。来年も、響子とライブをするためなのだから。 そのことは後悔していない。断じて、絶対に。 でも、今のこの煮詰まった状況は如何ともし難いものがある……。 徐々に減っていく残り時間、削がれる集中力、襲い掛かる眠気。 やばい、やっぱりかなり追い込まれてしまっている。
「もうこうなったらズルしちゃおうよ~。凛ちゃん、楓さんの連絡先知ってるんでしょう? あんなにすごい人なら、きっと作詞のやり方も優しく教えてくれるよ~……」 「さっきLINK送ったんだけどさ……。『凛ちゃんの曲、楽しみです。頑張ってくださいね』って言われちゃって。ぶっちゃけもう、何かアドバイスを貰える雰囲気じゃなかったよね……」 「そ、そんなぁ~~~」 「響子、昨日からそればっかり」 「だってぇ……そんなぁ~とも言いたくなるよぉこんなの」
響子の言うことももっともだ。 何せ私たちは、昨日からノートに歌詞のような何かを書いては消し書いては消しを繰り返すばかり。 「そりゃ、来年もここで響子とライブはしたいけど……」 「あんな気軽に出された条件が、こんなに厳しいものだったなんて……」
二人で盛大に、溜め息をつく。本来なら今日くらいは、二人で残り少ない時間をゆっくり分かち合えるはずだったのに。 それが急に慣れないことをさせられて、まるでここに来た初日に逆戻りしたみたいだ。 これまではどちらかが得意なことを処理してきたところもあったけど、二人とも歯が立たないこととなるとまるで勝手が違う。 作詞に関しては、まぁいい機会と言えばいい機会なのかもしれないけど……やっぱりあまりにも、時間が少なすぎる。 ……あのプロデューサーめ。ここまで含めて全部筋書き通りってわけか。 ほんと、楓さんとかどうやってあんな歌詞を書いているんだろう。 やっぱり人生経験が違うんだろうか。 でも確か楓さんの部署の佐久間さんってアイドルも、最近作詞を始めたって聞いたことがある。 これまでとは全然違う優しい曲調で、新しい方向性を切り開くことに成功したとか。 彼女は確か、私や響子と同い年だったはず。 一体私たちに、何が足りないって言うんだろう。 ふと目の前の響子のノートに目をやると、もはや完全に作詞を放棄して、別のことを始めてしまっている。
「響子、何してるの?」 「見ての通り、お絵描きだよ」 「……来年も私とライブ、やりたいんじゃなかったっけ?」 「凛ちゃん。辛い現実を前に、人はいつでも前向きではいられないものなんだよ?」 「それ、何かのセリフ?」 「今思いついたことを言っただけだよ」 「そういうの、歌詞にすればいいんじゃない?」 「凛ちゃんは私と、今の歌詞で歌を歌いたいの?」 「いやだ」 「ほら! じゃあ凛ちゃんが何か思いついてよ!」 「そう言われてもね……」
さっきから、いや正確には昨日の夜からか。 私のノートには、やたらめたらに青臭い単語がつらつらと並ぶばかり。
『蒼穹』『昴』『果てしない空』『高鳴る鼓動』『走り出そう』
走り出そうって、一体どこへ行こうって言うんだ私は。 要するに、まるで歌詞の体を為していないということだ。 十年くらい前、こんなような歌詞でものすごく売れたアイドルがいたような気がするけど、今の私が懸命に捻り出した言葉は、どう考えても彼女の歌の歌詞とは似て非なるものだ。 痛い中学生が、国語の授業で提出したポエムじゃないんだから……。 うっ、急に頭が痛くなってきた。何年か前に学校で、適当に書いて出したポエム、こんな感じだった気がするし……。 だめだだめだ、こんなんじゃ。響子との来年がかかっているんだ。頑張らないと。
「できたーっ!」 「えっ、できたの!?」 「うん、絵がっ♪」
思わずがくっと肘から崩れ落ちる。 こんな時に、絵なんかどうだって……。
「見て見て凛ちゃん! かわいいでしょ?」 「……あのさ、響子」 「なに?」 「これ、何の絵?」 「さーて、何でしょう?」 「…………」 「これでも私、よく絵を褒められるんだよっ! すごく味のある絵だねって!」
なるほど、確かに味はあるのかもしれない。 なんていうか、その。美術室にある有名な、誰もが知ってる画家(名前が三文字の彼だ)の絵のような。 ある意味画伯と、呼べなくもないのかもしれない。
「うん、すごく上手なウサギだと思うよ。どことなく菜々さんに似てるような気もするし」 「ぶっぶー。これはネコです。かわいいでしょ? にゃーん♪」
何言ってるんだこの子は。 どこからどう見たって、型崩れしたウサギじゃないか。
「ふーん。それが響子の思う猫? まぁ、悪くないかな」 「何でそんなに適当なのっ!? しかも目逸らしてるし!」 「いや、一度直視したから。それで十分だから」 「近所のおばあちゃんはすっごく褒めてくれたのに!」 「私は近所のおばあちゃんじゃないからね。小山さんにでも見せに行ったら? きっと褒めてくれるよ」 「ひっどーいっ! こうなったら凛ちゃんが褒めてくれるまで絵を描き続けるんだから!」 「いや待って響子。ごめん、私が悪かったよ。一緒に歌詞を考えよう……」
こんなしょうもないことで仲間割れを起こしている場合じゃないっていうのに……。 漫才みたいなやり取りをしてる時間はないんだ、私たちには!
「話は聞かせてもろたで、二人とも!」 「そ、その声はっ!」 「え、誰?」
教室の扉がガラガラッと大きな音を立てて横にスライドしたかと思うと、その先に立っていたのは威勢のいい関西弁の女の子だった。 くせ毛をヘアピンで留めてピカピカのおでこを出しているその姿は、いかにも陽気そうな雰囲気で。
「笑美ちゃん! どうしてここに!?」 「ふっふっふ、久しぶりやな響子! それに……おぉ~! やっぱりモノホンや! 遠目で見たことは何度かあったけど、奈緒の言う通り実物は別格やわ!」 「えっと……申し訳ないんだけど、どちら様?」 「ズコーーーっ!!!」
彼女は大声と共に、その場で派手に転んで見せた。 なんていうか、芸人根性の逞しい子だな……。
「あれ、凛ちゃんは笑美ちゃんのこと知らないの?」 「ごめん。基本アイドルは上か横かしか見ないから……」 「それはわかってるよ。そうじゃなくて、この間一緒にポプステやったじゃない」 「ポプステ? ……あぁ! もしかしてあの時の!」 「もしかして、思い出してくれたんか!? "くいだおれ太郎"のことをっ!」 「思い出した思い出した! へぇ、あなたがそうだったんだ。なんていうか、見たまんますぎて……」 「そういうこと。おはよ、凛」
くいだおれ太郎さんの後ろから教室に入ってきたのは、先日私に何枚もサインを書かせたもふもふ髪の女の子。
「あ、奈緒」 「『あ、奈緒』ってなんだよ! せっかくまた来たのにそんだけかよっ!」 「私も来たよ~。しばらくぶりだね。凛ちゃん、響子ちゃん」 「おはようかな子。また来てくれて嬉しいよ」 「対応違うなっ、おいっ!」
教室に入ってきた、星空組のメンバー三人。 笑美ちゃんと呼ばれていた子はこれまで見たことがなかったけれど、例のゲームのおかげで接点があっただけでもありがたい。 以前から決まっていた話通り、プレイアデスのメンバーは十日のライブ直前にもう一度月海にやってくることになっていた。 前日だとバタバタするということもあってか、どうやら今日前乗りでやってきたらしい。 閉塞感のある空気を入れ替えるという意味では、非常にありがたい来訪者たちだ。
「改めて自己紹介させてもらうで! 星空組プレイアデス所属、難波笑美や! これでも普段は響子の同僚やってん。よろしゅーな、渋谷凛はん!」 「よろしく。笑美も来てくれてありがとう」 「あたしたちも二週間ぶりの休みでさ。今回は前よりももうちょっと多い人数で、ここに来られたんだ」 「そうなんだ。じゃあ、他にもまだ誰か来てるってこと?」 「うん。今日は周子さんも一緒で――って、あれっ? そういえば周子さんは?」
かな子が後ろを振り返って、あたりをきょろきょろと見回している。
「えっ、ここに来るまでずっと一緒だっただろ? てっきりついてきてるんだと思ってたけど」 「またふらっといなくなってまったんちゃうんか? 周子はん、突然気配消せるみたいなとこあるから……」 「周子さんって、もしかして塩見周子さん?」 「周子みたいなちゃらんぽらんなやつより、あたしに関心を示せっ」 「ごめん、無理」 「なんでだーっ!」
私たちのやり取りを見て、
「あはは……。いつものことと言えばいつものことですけどね……」
と、苦笑いする響子。 そうか、あの周子さんも来てくれたんだ。 塩見周子さん――独特の雰囲気から繰り出される圧倒的なパフォーマンスで、星空組のエースになったアイドルだ。 私より先にアイドルを始めていて、尚且つ年もある程度近かったこともあり、彼女の存在は常に私の視界に入っていた。 といっても、彼女の方向性は私とは随分違う。多人数ユニットのエースと、少人数ユニットのエースでは、求められる役割も存在感も全く異なる。 いつか機会があれば、どんな人なのかを知りたいと思ってはいたものの、響子に周子さんのことを聞く機会もなかなかなくて。
「ねぇ響子。今更だけど、周子さんってどんな人なの?」 「どんな人……うーん、不思議な人だよ。ちょうど今みたいに、ふらっといなくなったりしちゃうこともあるし」 「ライブの時しか頼れないって感じだよ、周子は」 「凛はん、奈緒の周子はんへの評価は話半分の方がええで」 「奈緒ちゃんのお菓子、よく周子さんに食べられちゃってるもんねぇ」
くすくすと笑う響子を見ていると、近寄りがたい雰囲気を持つ人というわけではないようだ。 それにしても、そんなお茶目な人なんだ。 ライブのときは、全然雰囲気違うっていうか……。 大袈裟でなく、彼女のパフォーマンスは神業に近いときがある。 だからどうもその印象と、今目の前で語られている彼女が一致しない。 あぁ……。前に海で奈緒が私に言ってたの、こういうことなのかもしれない。
「でも、私の分だけはちゃんと残しておいてくれる、優しい人なんだよ!」 「かな子ちゃん、それ周子さんのフォローになってるのかなぁ……?」 「やっぱりあたしのはあたしのだって、わかって食べてるってことじゃんかーっ!」 「わかった、わかったよ。内輪揉めの話はもういいから……」
とにかく今の私たちには、ちょっとした気分転換が必要だ。 この煮詰まり具合は正直耐え難いものがあるし……。 何より、これ以上響子にあの手の絵を量産されたら、私でなくても精神がおかしくなってしまう。
「響子、ちょっと夜まで別行動にしよう」 「……確かに、それがいいかもしれないね」 「二人で唸ってても埒が明かないのはよくわかったしね。せっかく色んな人が来てくれてるんだから、どんどんアドバイスを貰おう」 「いいのか? だってもうあと二日しかないんだぞ?」
怪訝な表情をする奈緒に、
「いいんだよ。今更目先の一日二日にこだわるより、もっと大事なことがあるからね」 「私も他の人に、話を聞いてみることにする。それで、凛ちゃんはどうするの?」 「とりあえず、周子さんを探そうと思う。土地勘もないし、そう遠くには行ってないだろうしね」 「そうだね……。もしかしたら周子さんなら、凛ちゃんにも見えない景色が見えてるかもしれない」 「一度話してみたかったんだ、あの人とは。私ちょっと外に出てくるね。それじゃみんな、またあとで」
スマホとイヤホン、それに小銭を持って、私は教室から飛び出した。 どのみち残された時間は多くない。ほんの少しでもいい。 何か、何かきっかけを得ないと――。
*
「んー。どこにいるんだろう」
合宿所の敷地内は出る前におおよそ調べ尽くしたし、近場のコンビニで話を聞いても、周子さんらしき人の姿は見ていないと言われてしまった。 この辺で他に、私と同じような年頃の人が行きたがるような場所なんて……。
「あ、一応まだあそこがあるか」
合宿所の正門から反対側にぐるっと一周。裏手の向かいにある鳥居のことを思い出す。 独特な雰囲気の人だし、もしかしたらああいう場所に――。 ここの石段を登るのも、もう随分慣れたものだ。 私にとってすっかりお馴染みの景色となった、穂含月神社の広場。 周囲をきょろきょろと眺め回すと、境内に見慣れない人が座り込んでいることに気がついた。 あの雰囲気――間違いない、塩見周子さんだ。 やっぱりここにいたのか……。
「あれ、小山さんもいる」
境内に座り込んで、何やら楽しくお喋りをしているように見える。 よく見ると、お茶菓子までご馳走になっているようだ。 すごいコミュニケーション能力だな……。 周子さんたちの方へ歩いていくと、どうやら向こうもこちらに気づいたらしい。 ひらひらとこちらに向かって、左手を振っている。
「こんにちは」
小山さんに向けたのか、塩見さんに向けたのか、自分でも曖昧な挨拶。
「あら、渋谷さん。こんにちは」 「どうも~」
中途半端な私の意図を、二人ともいい方向に解釈してくれたらしい。 それにしても、「どうも」って。一応軽く、会釈を返した。
「今日はおひとり? 五十嵐さんとは別行動なのかしら?」 「うん。ちょっと考えたいことがあって」 「そう。ここにいらしたってことは、もしかしてこの方も、渋谷さんのお友達かしら?」
小山さんは初対面のはずの周子さんを、まるで可愛らしい孫のような目で見つめている。 周子さんも大人に対して甘え上手なのか、すっかりくつろいでいるようだ。
「いや、友達っていうか。何て言えばいいのかな……」 「もー、ツレないなー凛ちゃんは。あたしたち、一緒に遊んだ仲じゃない」 「どういうこと……ですか?」 「まぁまぁ。凛ちゃんもここ、座りなよ」
周子さんは自分の隣にスペースを空けて、手の平でぽんぽんと板張りの床を叩く。
「渋谷さんもお茶菓子、食べていかれたらどうかしら?」 「えっと……どうしようかな」 「いいじゃんいいじゃん。大人が甘えさせてくれるんだからさー」 「いやいや、さすがに」 「お代は明後日のライブってことで。もちろん凛ちゃんがあたしの食べた分まで、ちゃーんと払ってくれるんでしょ?」
元から持ち合わせている飄々とした雰囲気のせいか、そんな発言にも全く嫌味さが感じられない。 やっぱり、不思議な人だ。
「……それじゃ、私もいただこうかな」
苦笑交じりにそう言いながら周子さんの隣に腰掛けると、
「お茶請け、用意するわね」
と言って、小山さんは神社の本殿に戻ってしまった。 一週間ほど前の夜、響子と眺めたこの景色。 でも今横にいるのは、一度も話したことのない別のアイドルで。 じりじりと地面を照りつける太陽。そしてたくさんのセミが鳴く声。 隣にいる人が変わるだけで、同じはずの景色も少しだけ違うものに見える気がした。
「あの。改めて、はじめまして。ニューカミングレースの渋谷凛です」 「知ってるよ。有名人さん。それに、『はじめまして』はもう済ませてるよ」 「私たち、話したことなかったと思うんだけど」 「"アルタイル"さん、でしょ?」 「それ、どうして――もしかして、あなたが……」 「一緒にやったでしょ、ポプステ。とんぱちって、あたしのこと」 「そうだったんだ……」 「あ、もしかして知らんかった?」 「うん」 「そっかそっかー。あたしはわかってたけどね。隣で奈緒が騒いでたし。あの子ミーハーだからさ」
けらけらと楽しそうに、お茶請けのお団子を頬張る周子さん。 神社でお菓子を食べてるだけなのに、すごく絵になる人だな……。 楓さんも独特のオーラだけど、やっぱりこの人もすごい。 今はスイッチをオフにしているみたいだけれど、どこかから漏れ出ている不思議な気配こそが、周子さんの魅力の源なのだろう。
「とんぱちって、どういう意味なの?」 「あぁ、あれ? あたしダーツが趣味だから。やったことある? ダーツ」 「友達とほんの少しだけ」 「じゃあ、20のトリプルってわかる?」 「まぁ、一応」 「一ラウンドでそこに三本入れること、とんぱちって言うの。それだけ」 「なるほどね」
今目の前にいる彼女の雰囲気にぴったりなプレイヤーネームだな。 アルタイル……悪くはないけどちょっと気取りすぎたかな。
「響子とは仲良くやってる?」 「まぁ、おかげ様で。色んな事、助けてもらったよ」 「色男役なんでしょ? 女の子、泣かせちゃだめだよー?」 「うっ」 「あれ、もしかして図星?」 「……否定はできないかな」 「ふふっ。ま、それも甘酸っぱい青春の一ページってことで」
掴み所のない人だ。 けど、そんな周子さん特有のペースに乗せられることを、楽しんでいる私もいた。
「はい、どうぞ渋谷さん。若い人には面白味のないお菓子かもしれないけど」
本殿奥から出てきた小山さんは、三色団子が二つ置かれたお皿と冷たい麦茶の入った水差し、それに湯呑みをお盆に乗せて持ってきてくれた。
「ううん。そんなことないよ。ありがとう、小山さん」
お盆を丁寧に受け取って、自分の横に置かせてもらう。
「食べ終わったら、そこにそのまま置いておいてもらって構わないわ。何もないところだけど、どうぞごゆっくり」
出来る限り丁寧なお辞儀をしてみたものの、周子さんが私よりはるかに自然で優雅な所作でお辞儀をしてみせたものだから、なんだか自分の不格好なそれが、急に気恥ずかしくなってしまった。 その恥ずかしさを紛らわすように、
「あの。ひとつ聞いてもいい?」
と私は問いかけた。
「んー?」
どこかとぼけたような返事だったけど、私は構わず話し続けた。
「明日までに、作詞をしなきゃいけないことになって」 「へぇ~、作詞かぁ」 「でも、歌詞が全然思いつかなくて」 「やったことは?」 「ない」 「そっか。響子は?」 「私と同じ。やっぱり全然思いつかないみたい」 「ふふっ。そりゃそーだろうねー」 「何でもいい。きっかけが欲しいんだ」 「きっかけかー。やー、参ったねー」
冷たい麦茶をくいっと飲んで、小さく「ふぅ」と息をつく周子さん。
「そのまんまで、いいんじゃない?」 「えっ?」 「そっちのプロデューサーさん、中村さんって言ったっけ? 多分、そのまんまが見たいんじゃないのかなーって」 「今の私、そのまんまじゃないってこと?」 「さぁ? ただ、もっとこう……独り言言うみたいな感じでいいんよ」
周子さんはにこりと笑って、楽しそうに私を眺めていた。
「お望みみたいだからさ。壁役、なったげるよ?」
一種の……暗示のような何かだろうか? セミの鳴く声が少しずつ遠くなっていき、景色もどこかぼやけていく。 ぽつり、ぽつりと、私は心に浮かんだ言葉を紡ぎ始めた――。
私、思うんだ。 道って、何だろうって。 きっとこれまで、私は無数の道を歩いてきたんだと思う。 その中には、歩けたかもしれないけど歩まなかった道があって。 歩めなかったはずなのに、歩めてしまった道もあって。
みんながみんな、私と同じ道を歩めたわけじゃなかったと思う。 悪いことばかりでもない、いいことばかりでもない。 そんなときに降ってきた幸運。 たまたまそれを掴んで、人とはちょっとだけ違う道を走ってる。
道といっても、色々あるよね。 整備された綺麗な、誰もが歩きやすい道がある。 あまり人が通りたがらない険しい道もある。 真っ直ぐじゃない、茨の道ってやつ。 みんなはそれを見て足が竦むみたいだけど、私はなんだかワクワクした。 だってどうせなら、誰も見たことのない景色を見たいから。 みんなと同じであることに、私はずっと、違和感を感じてきたから。
だから、走った。走り続けた。 最初は、先を行く人の後を追った。 大変だったけど、辛くなんてなかった。 全力を出せるものを見つけられたから。 打ち込むだけでいいのなら、こんなに簡単なことはない。
だけど何かを追うだけでは、自分で自分の道を切り拓いているとは言えなかった。 自分では気づかなかったけど。 自分の道を見つけて、それを歩き出さなきゃいけないときが、近づいていたんだと思う。
そんなときに。 私と同じ日に生まれて、同じ仕事をしている女の子に出会えたんだ。 星を二人で見て――私たちの心は、一つになれたと思う。 もしも……もしもこの星が平らだったなら。 私たちは出逢えてなかったかもしれない。
出会ってからもずっと、私たちはお互いを遠ざけるように走り続けてた。 ちゃんと向き合うまでに、与えられた時間のほとんどを使い切ってしまった。 でも、今はしっかり互いの全てが見えている。 私たちを繋いでいてくれたのは、優しい月海の町とそこに住む人々。 そして――八月に見つけた、とある花。
「ほーん。なんていうかさ、青いねぇ」
はっとして横を見ると、さっきまでと何一つ変わらない周子さんの微笑みが目に入る。
「あのさ。今、私どうなってた?」 「どうなってたって?」 「……ううん、何でもない」
自分の意識が、どこか深い場所に沈んでいくような感覚というか。 それでいて、自分の心をはっきり外から見つめていたような、そんな気がしたんだけど……。
「何? 狐につままれたような顔しちゃって」 「もしかして、何かしたの?」 「さぁ。どうだろうねー」
目を細めて笑う彼女の雰囲気は、やっぱり普通の人のそれとはどこか違っていて。 本当に、掴み所のない人だな。
「まぁ、気楽にやりなよ。何やるにしても、それが一番なんじゃない?」 「気楽?」 「肩に力、入りすぎってこと。真剣なのはいいけどさ、ほどほどに柔らかい部分も持っておかないとね」 「……どうしたら、肩の力抜けるのかな」 「えっ? ……ぷっ。あははははっ!!」 「そんなに、変なこと聞いた?」 「いやー、ごめんごめん。やっぱあたしと凛ちゃん、人種が違うわ」
反応に困るな、この感じ。 私の雰囲気を察したのか、周子さんは再び話し始める。
「響子と一緒にいて、程よく力抜けたんじゃない? いつもみたいにステージの上でガンガンに飛ばさなくても、大丈夫ってこと」 「あぁ、そういう……」 「信じればいいじゃん。ここまでの"雰囲気"をさ。さーてと」
すくっと立ち上がって、お尻を軽くぽんぽんと叩くと、
「おばあちゃーん。お菓子、ごちそうさまー」
と本殿に向かって声をかけた。 小山さんは声がたまたま聞こえる場所にいなかったのか、返事が返ってくることはなかったけれど。
「この辺、案内してくれない? こういうとこぶらぶらするの、好きなんだ」 「正直言って、何もないよこのあたりは」 「いーのいーの。景色眺めたり、空気吸ったり、そういうのが案外風流だったりするんだから」 「まぁ、それでよければ」
あんまり縦社会の色が強い会社ってわけじゃないけど、一応先輩のご希望ってことになるわけだしね。 そうだ。「しばらくぶらついてくる」ってLINKも響子に送らなきゃ。 さてと。それじゃ、どこから案内しようかな……。
*
「ただいま」 「はぁ~。疲れたわ~」 「あっ、お帰りなさい! 周子さん、お久しぶりですっ」 「お疲れ響子~。しばらく彼氏借りちゃって、悪かったね。ほい、確かに返したから」 「何なんですか、そのノリは……」
あれから数時間。日が傾いてきた頃に合宿所に戻ると、響子は橘さんと一緒に机に向き合っている真っ最中だった。 周子さんのからかいにも負けず、机の上に置いてある紙と睨めっこを続けている。
「どう? そっちはいい案浮かんだ?」 「うん。思ってるよりかはまとまってきたかも。ありすちゃんが手伝ってくれたからっ」 「そうなんだ。ありがとう、橘さん……あれ、どうかした?」
何やらぽかんと口を開いて、私と周子さんを眺めているみたいだけれど。
「あ、あのっ!! 塩見周子さん、ですよねっ!?」 「んー、そうだけど? 響子、この子って……」 「最近新しく設立した、ワンダーランドプロジェクトってありますよね。あそこに所属してる新人さんだそうですよ」 「も、申し遅れました。私、ワンダーランドプロジェクト所属の橘ありすって言います! 写真っ! 撮ってもらってもいいですかっ!?」
橘さん、落ち着いた雰囲気に見えたけど、必死だな……。 可愛さの中に凛々しさのある顔つきしてるけど、これで案外奈緒っぽい部分もあるのかもしれない。
「写真? 別にいいけど。何で撮るん?」 「こ、このタブレットと、スマートフォンでも一枚お願いしますっ!」 「はいはいりょーかーい。じゃあ、タブレット貸して」 「えっ?」 「ん?」
えっと。二人して、何か食い違ってるんじゃないかな。これ。
「……周子さんと凛ちゃんと、三人で撮りたいって意味だと思いますよ。私とじゃなくて」
自嘲気味な笑いと共に、響子は橘さんからタブレットを受け取る。
「あ、えっと! そういうつもりじゃなくて、そのっ! 五十嵐さんとも、後で一枚……」 「あはは……そうだね、後でね……」
うわぁ。響子完全に、目が死んでるよ。 人気商売だけあって、こういうときはわりと残酷な現実を突きつけられがちだよね……。
「あー、あたしと? 弱ったなぁ」 「それと、その……よければ渋谷さんも一緒に……」 「え、私も? まぁ、私は別にいいけど……」 「本当ですかっ!?」 「別に減るものじゃないしね。じゃあ橘さん、真ん中ね」 「しゃーないなーもー」
苦笑いしながら右手で小さくピースをする周子さん。 真ん中でこじんまりと、しかし満面のどや顔をする橘さんの左に私。
「はい、ちーずっ!」
ぱしゃり。
タブレットから無機質な撮影音が響く。 その後スマホでも、もう一枚。
「ありがとうございましたっ!」 「いやいや、別に」 「ねーねー響子ー。おなかすいたーん。晩御飯まだー?」 「今日はご飯作ってる時間ないんですっ。この後は凛ちゃんと歌詞作りを煮詰めないと……」 「えーっ」 「明日は私が作りますから。今日は仕出し弁当があるそうなので、それで我慢してください」 「はぁー。しゃーないなー」
がっくりと肩を落とす周子さん。 この人、普段事務所で響子とどんな関係なんだろう。 こうして見ると、ものすごく響子に胃袋掴まれてるような……。
「それじゃありすちゃん、あたしらは外出てよっか」 「えっ?」 「ほら、ここから先は二人の時間にしてあげなきゃ」
周子さんは、にまにまと私たちを交互に見てくる。 ほんと、どうしてみんなこういうノリで私たちを見るのかな……。
「周子さん、言い方ちょっといやらしいです」 「別に照れなくてもええやーん。奈緒たちはどこにいるの?」 「一つ下の階にある、4-1教室を使ってるはずですけど」 「おっ、りょうかいりょうかーい。さ、行こ。ありすちゃん」 「は、はいっ!」
橘さんは、周子さんの後ろにとことことついていく。 確か名前で呼ばれるの、嫌がってたような気がするんだけどな。 二人が出て行くと、教室には今まで通り私たち二人きりになる。
「どうだった? 周子さんは」 「掴み所のない、不思議な雰囲気の人だったね。悪い人じゃないと思うけど」 「あはは。気遣いはしてくれる人だけど、自由でもあるからね……」 「それより今は歌詞だよ。私もスマホのメモ書きに思いついたことまとめてきたから、早速すり合わせに入ろう」 「でも、この分だといつ終わるか……」 「朝までかかったって構わない。とりあえず、形にして仕上げよう」 「そうだね……。うんっ、頑張ろう凛ちゃん!」
それから私たちは、夜通し話し合いを続けた。 自分たちの想いを最も乗せられる言葉を、何度も何度も出し合っては修正し。 残り少ない時間を、目一杯使って。悔いのないように。 私たちは、この一夏の結晶を作り出した。 そしてそれは同時に――来年に向かって飛ばした、一輪の花の種でもあったのだ。
第二十二話 了