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第二十三話

「出来たーっ!」
「出来た!」

 

 私と凛ちゃんは声を揃えて大きく両手を挙げました!
 やっと、やっと、やーーーっと歌詞が書きあがったんですよ!
 もうね、何度挫けそうになったことか……。

 

「ううっ、凛ちゃん、人間やればできるもんなんだね」
「本当に。これまでで一番、もう無理なんじゃないかって思ったよ」

「ねぇ、響子」
「ん?」
「ひっどい顔してるよ」
「なに言ってんの、凛ちゃんだって目の下黒くなってるよ?」

 

 椅子から立ち上がった私たちは、互いの顔を見て思わず吹き出してしまいました。


「ぷっ」
「ふふ……」
「ふふふっ」
「ふふふふふっ」

 

 あ、ダメです。これ完全にツボに!

 

「あはははっ!!! 凛ちゃんの顔おもしろい! これが美の女神とかないよ!」
「響子だって……ぷっ、それがアイドルの顔とは思えないぐらい頬がゲッソリしちゃってさ!」

 

 私だけならまだしも、凛ちゃんも完全にハイな状態になっちゃってます。
 そりゃもう十時間、ひたすらに脳を酷使していたわけで。その解放感たるや。

 

「な、なに、ぷぷっ、やってんの、響子、ぷっ!」
「喜びの踊りっ!」
「わけわからないよ、変な動きしないで……あはははっ!」
「ほーら、凛ちゃんも踊ろうよっ! すごい! これ解放感すごい!」
「いいね!」

 

 どうやら私の喜びの踊りは凛ちゃんにも届いたみたいです。やりました!

 

「うわっ! 確かにこれは気持ちいいよ、響子!」
「だよねっ! こうもっと手と腰をクネクネと!」
「だ、ダメ、完全にお笑いの人だよ! か、勘弁してよね!」
「ぶふっ! なんで凛ちゃんラジオ体操始めてんの!」

 

 わけのわからない創作ダンスvsラジオ体操第一。
 勝敗がどう決まるかわからない勝負は、いっそう私たちのツボを刺激してしまい、もはや声のボリュームも全く制御できず大笑いを続けます。
 ですが、さらなるボリュームの音声が6-1の教室に響き渡ったんです。

 

「うるさーーーーい!!! 今何時だと思ってんだー!!!」
「だーーーっ! 寝れないっつの!!!」
「ひひひ、ふへ?」
「ぷぷぷっ、はひ?」

 

 私と凛ちゃんはお腹を抱えながら教室の入り口を見ます。そこには髪の毛が普段よりいっそうボサボサになっている奈緒ちゃんと、完全に目が据わっている工藤さん……。

 

「あっ……」
「あー……」

 

 こ、これはマズイ。
 二人の放つ鬼みたいなオーラを前に、私たちはゼンマイ仕掛けの人形が止まるかのように、ぴたっと動きを止めてしまいました。

 

「あのさぁ……響子」
「は、はい」
「ねぇ、凛?」
「う、うん」

 

 二人がゆっくりと近づいてきます。私たちは窓際に追い込まれるかのように後ずさりをして、ごくりと喉を鳴らしました。

 

「今何時だと思ってるんだーーーっ!!!」
「言ってみなさーーーいっ!!!」
「は、はい!!!」
「早朝五時です!!!」

 

 ハイ。みなさんも注意してくださいね。
 徹夜明けで〆切りに間に合った時の喜びと一緒についてくるテンションは、自制心を失わせます。嬉しいからって騒ぎすぎると、こうやって怒られるわけです。マメ知識ですね。

 

「大体、お前らは明日がライブ当日だってのに、一日前とはいえ徹夜とか言語道断だぞ? わかってるのか?」
「体調管理はアイドルの一番大事な仕事だって、中村プロデューサーも言ってたよね? 凛」

 

 教室の布団の上で正座をさせられた私たちは、奈緒ちゃんと工藤さんのお説教にコクコクと頷きます。
 しかし、その頷きも次第にゆっくりとなり……。

 

「ちょ、何で船をこぎ出してるんだよ、って、あ、ああ~~~……」

 

 奈緒ちゃんの情けない声。隣の布団からも同じように聞こえた、ドサリという人が倒れ込む音。それを最後にこの日の朝の私の意識は、プッツリと途絶えてしまったのでした。



「さて、それじゃ始めるぞー」

 

 中村プロデューサーの声に私たちは頷きます。
 現在の時刻は十五時、月海合宿所の屋上に作られた特設ステージの上に私と凛ちゃんは立っています。それにしても、ただ立っているだけで汗が噴き出してくるのはヤバい感じがしますね。衣装も着なくて正解です。これじゃ明日までに汗臭くなっちゃいますよ。

 え? そもそもどうしてこんな過酷な時間にリハーサルがスタートしてるかって? それはですね――

 

「暑っつ。これはさすがに厳しいね」
「しょうがないよ。全部私たちのせいだし……」
「まぁね……」

 

 中村プロデューサーと皆口さんが何やら話をしている中、私と凛ちゃんは小声でそう話します。
 朝方、気絶するように寝てしまった私たちの体調を案じてくれた奈緒ちゃんと工藤さんが、プロデューサーたちに頼み込んで、睡眠時間を確保してくれたんです。私たちがクーラーのガンガンに効いた部屋で最高の目覚めをした時には、既に時計の針は十二時を少し回ってしまっていて……。
 そんなわけで午前に始めるはずだったリハーサルは、こうして灼熱の午後三時にずれこんてしまったわけです。……皆様方には大変申し訳なく。
 あ、余談ですが気絶前の大失態に、凛ちゃんは小一時間ほど項垂れていました。私は特に気にしてませんよ? いい思い出ができてよかったです、うん。主に私に。

 

「さて、音響さんの準備もオッケーだってよ。カウントするからな」
「はい!」
「了解」

 

 中村プロデューサーのカウントダウンの声が終わると同時に、設置されたスピーカーから流れ出す音楽。

 

「さぁ、行くよ」
「うん」

 

 凛ちゃんの言葉に私は頷き、踊り、歌い始めます。
 さっきまではこんなに暑くちゃテンションも上がらない、と思ってましたが……。

 

 ――楽しい!!!

 

 どうしよう、やっぱり凛ちゃんと唄うのって最高に楽しい!
 昨日、ありすちゃんと一緒に唄った時も楽しかったけど、凛ちゃんはやっぱりスゴイ!
 私はニヤけそうになる顔を必死に抑えながら唄い続けます。別にニヤけちゃっても構わないんですけど、どうせならこれは本番にとっておきたいなって。

 

「よし、一曲目終了! どうだ、お前らなんか気になる事あったか?」

 

 あれ? もう終わっちゃった?
 もっと歌っていたいのに……。

 

「うーん、ちょっとマイクの音量上げてもらっていいかな」
「お? めずらしいな凛が抑え目に唄うなんて」

 

 凛ちゃんはその言葉に頬をポリポリとかき「うーん」と唸ります。
 どうしたんだろう……って、あ。

 

「ああ、凛ちゃん私に合わせてくれてるの?」
「まぁね。私ばっかり先行すると、バランス崩れちゃうでしょ? ほら、私って声大きいしさ。逆に意識しすぎると抑え目になっちゃし、その辺は機械の方で調整してもらおうかと思って」

 

 中村プロデューサーがまたもや皆口さんに耳打ちをします。見慣れたなぁこの光景。

 

「いや、だから姉さん、どうしたら凛がああなるんだよ。マジでなんか悪いもんで食わせてるんじゃねぇだろうな?」
「あのさ中村くん、相手に聞こえるように言うのは陰口とは言わないわよ」

 

 隣で凛ちゃんが苦笑いをします。あれ? 怒ってない?

 

「まぁ、プロデューサーの言う通りだしね」
「マジか、何殊勝になってんのお前」
「いやいや、あれでしょ? ニューカミングレースで私に必要だったことって――」
「ああ、わかった、わかったっつの! 最後まで言うなっての!」

 

 何かを答えようとした凛ちゃんを、中村プロデューサーが必死に止めます。その顔は飼い犬に噛まれてしまった子供のようで、普段の横暴の態度のそれとは全然違ってて、なんだかちょっと可愛く思えてしまいました。

 

「あのさ中村くん」
「いや、姉さん、お願い、黙ってて」
「渋谷さんを褒めてあげないとダメじゃないの?」
「だから、やめて」
「ちゃんとお望み通りの成長したんでしょー。何恥ずかしがってんのよ、いい歳こいて」
「だぁ、そういうの苦手なんだっつの! あ! そ、そうだ、響子ちゃん!」
「はい!?」

 

 急に矛先が私に飛んできた!
 え、何? 何なんですか!?

 

「よくここまで凛を育ててくれた! 感謝するぜ!」
「は、はい!?」
「ありがとう! ありがとう!」

 

 何故か私に拍手をする中村プロデューサー。
 隣では、凛ちゃんがクスクスと笑っています。

 

「はぁ……。何で自分の半分も生きてない娘にそこまで恥ずかしがるのか……」
「ねーさん、頼むわ! 今度打ち上げでボトルキープのとっておきのアレ奢るからさ!」
「アレ?! やった! 何杯いっていいの!?」
「一杯に決まってんじゃねーか!」
「何よケチ臭いわね。まぁ、今日の所はそれで手を打ってあげるわ。残念だったわね、渋谷さん褒めて貰えなくて」

 

 皆口さんはクククッと邪悪な笑みを浮かべながらそう言いました。凛ちゃんはそれに対して軽く肩をすくめるだけでした。
 それにしても皆口さんが他の部署の男性プロデューサーを手玉に取るのも、今ならわかる気がします。やっぱりすごい人だったんですね。でもすごすぎると結婚できな……うん、やめましょう、この話題は闇が深すぎます。
 ……私はああはならないようにしようっと。

 

「ねぇプロデューサー。コントはどうでもいいから、次の曲行く?」
「ああん!? コントじゃねーっての、アレ一杯いくらすると思ってんだ!」
「知らないよ!」

 

 ああ、結局いつものノリに……。
 埒が明かない雰囲気を察したのか、皆口さんがパンパンと手を叩きます。

 

「屋上の方はもういいでしょ。下のステージもやっときましょう。こんな炎天下で長時間はキツわ」

 

 確かに、もうTシャツの袖が汗で二の腕にくっついていました。

 

「……まぁ、そうだな。んじゃ凛、響子ちゃん下行くか」
「わかった」
「わかりましたー」

 

 ステージからヒョイっと飛び降りると同時に、耳をつんざくような――

 

 キーーーーーーンッ!

 

「うわ、な、何!?」

 

 スピーカーから滅茶苦茶大きなハウリング音!
 耳痛っ!

 

『ああ、ダメですよ安部さん、ボリューム大きすぎますって!』
『はうっ!? ご、ごめんなさ~い!』

 

 唐突にスピーカーから聞こえてきたのはナナちゃんの声と……

 

「え、金元さん!?」

 

 聞き間違えるはずもありません!
 この声は確かに、ADのバイトの金元さんの声だ!
 ですが隣の凛ちゃんは全く驚くような様子もなく。

 

「うん。金元さん」
「え、なんで知ってるの!?」
「知ってたから」
「答えになってなーいっ!」
「昨日の打ち合わせ聞いてたんだよ」

 

 と再び、スピーカーからはガタガタとした音と「ギャー!」という悲鳴が聞こます。な、何をやってるんだろう。
 唖然としている私の肩を、皆口さんがポンと叩きます。

 

「さ、とりあえず下行くわよ」
「は、はぁ」

 

 分けも分からないまま、私は屋上を後にして階段を降り始めます。
 ああ、そういえばここに来た初日は、わけがわからず階段を上ったんだっけ。

 

「あ、そうだ。お前ら明日はこんな悠長に歩いてられないからな?」
「わかってるって」

 

 先を歩く中村プロデューサーの声に凛ちゃんは短く答えます。

 

「そうよ、慌てず急いでね」

 

 皆口さんの十八番、矛盾アドバイス。うーん、さすがにここで転んだらシャレになりませんし、気をつけなきゃ。でも、走るんだろうけど。

 

『ところで五十嵐さん聞こえますか―?』
「はい!?」

 

 相変わらずゴタゴタと物音がしていたスピーカーから、唐突に金元ちゃんの声が響きました。校内放送用に使われるスピーカーなので、学校内ならどこに居ても聞こえるみたいです。

 

『ああ、聞こえてる体で話しますんで! 別に返事とかしなくていいですからね~!』

 

 いや、うん……。返事しちゃったけどさ。

 

「響子……」
「人を憐れむような目はやめて、凛ちゃん」

 

 隣を歩く凛ちゃんの闇雲に優しい目が心に突き刺さります。

 

『あらためまして、今回のライブの進行をすることになった、月海高校放送部、金元寿子です!』

 

 え、放送部?
 金元さん、やたら元気いっぱいで滑舌のいい喋り方すると思っていたら……。

 

『あーあー! 同じく安部菜々です! お二人の移動や休憩時間は私たちがトークで埋めますので、なんの心配もしないでくださいね! キャハッ!』

 

「……凛ちゃん、心配してた」
「してなかった」

 

 階段を下り終わり、昇降口へと向かう私たちに皆口さんが、

 

「そこは、二人がサポートなら安心だねとか言ってあげなさい」

 

 と言ってきましたが、ナナちゃんと金元ちゃんのペアって、本当に大丈夫なのかな……。
 私たちはグラウンドに出ると、校舎をバックに作られた特設ステージへと上ります。背中には大きなモニターが用意されていて、足元には数々のライトが。食甚祭の時のお手製ステージとは、何から何まで違います。

 

『明日は今みたいな移動の時間に、私たちがお二人の話をしたり、その大きなモニターでこの一ヶ月で撮った月海の生活とか練習風景を紹介しますよー!』
『う~ん、青春ですね!』

 

 相変わらずスピーカーからは二人の会話が垂れ流しになっていて、スタッフのみなさんや町内会の方々からも笑いが漏れていました。

 

「そろそろ下側の調整もするから、二人ともそこまでな」

 

 中村さんが、スマホを使い放送室に指示を出すと『わかりましたー!』と元気な声が聞こえ、スピーカーの音声は私たちのマイクへと切り替わります。

 

「おー、やってるやってる」

 

 凛ちゃんとステージの立ち位置を合わせていると、ステージ下からお馴染みの声がしました。

 

「ぐっすり寝ただけあって、いつもの顔に戻ったな」
「間近で見るとホンマにどでかいなぁ。どや響子、びびってへんか?」

 

 奈緒ちゃん、笑美ちゃんです。その後ろには小さく手を振るかな子ちゃんと、周子さん。

 

「びびってはいないけど、暑いよ!」
「あはは、正直やなぁ~」

 

 私と笑美ちゃんが話をしている中、周子さんは凛ちゃんに手をふります。それに応えるように凛ちゃんも手をあげるのですが……。

 

「むむっ! 私のセンサーが警報を発しています! 凛ちゃんまた浮気!?」
「はぁ!?」

 

 びっくりする凛ちゃん。もう本気に受け取らないでよね。まぁ、三十パーセントぐらいは冗談ではありませんでしたが。
 一方、皆口さんは、奈緒ちゃんたちへ「邪魔しないの~」と手を叩いています。が、そこにゆうくん等月海町の子供たちも現れて、ステージ下はてんやわんやに。
 あ、それにあれは前半私たちを撮っていてくれたカメラマンさんだ! なるほどそっか、ライブも彼が撮ってくれるんですね!
 そして遅れて、校舎から工藤さんと高森さんも歩いてきています。

 

「ふふ、全員集合って感じ、いかにも前夜祭って感じになってきたね」
「うん!」

 

 凛ちゃんの言葉に私は大きな声で頷きます。
 うん、うん。盛り上がってきましたよ!

 

「ん、音響さん、マイクの音おっけ?」

 

 中村プロデューサーの声に、スタッフさんからオッケーの掛け声がかかります。

 

「よし、それじゃやるぞ。凛、響子ちゃん、暴れすぎて体力使うなよ?」

 

 その言葉に私たちは「はい!」と全力で答え、苦笑いされてしまいました。周りからも笑いが漏れ、私たちはちょっとだけ恥ずかしい思いをしながらも、私の心はドキドキを超えてバクバクし始めていました。そうです、いよいよ明日なんです。楽しみすぎて心臓が爆発しちゃいそう。

 

「あ、そうだ。どうするお前ら。出来上がったばかりのアレもやっておきたいか?」

 

 アレ、とは、アレです。つまり、アレとは私たちの作った――

 

「ううん、大丈夫。ダンスもないし、歌詞は覚えちゃってるし」
「覚えちゃってるというか、書いたの私たちだし」

 

 ステージ下から「勿体つけるね~」と工藤さんが冷やかしますが、だってほら、どうせなら勿体つけたいじゃないですか。ねぇ?

 

「アレをみんなの前で歌うのは、一年で一回だけでいいんだよ」

 

 凛ちゃんはそう返事をすると、私に対してウインクをしました。
 その姿は、私がこれまで見てきたどの渋谷凛とも違う、本当に可愛らしい女の子で。

 

 ――ああ、そうか。これが凛ちゃんの全部なんだ。

 

 その姿はあまりに眩しくて。
 だけど今の私は、その凛ちゃんの眩しさに目が眩むことなく真っ直ぐに彼女を正面から見据えることができるんです。
 こうして臆することなく隣に立ち、彼女を支えられることが嬉しくてたまらなくって。

 

「そうだね!」

 

 私は金元ちゃんに負けないぐらい元気よく答えたのでした。

 


 


「ああ、やっぱりお菓子作りと違って慣れないなぁ」
「そんな事ないですよ、かな子ちゃん、すごい手際いいですもん!」
「そ、そうですか?」

 

 私から少し離れた場所で人参を切っているのは、かな子ちゃん。
 ジャガイモの皮をむいているのはナナちゃん。

 

「でも、ナナ思うんですが、どうしてわざわざ星型にするんですか?」
「あ、えっと、可愛いかなぁ~と」

 

 結局、子供たちの提案により最後の夕食は再びカレーになりました。
 まぁ、前にも言いましたが、大人数での食事にカレーは鉄板なのです。幸いここにはバカでっかい鍋もありますしね。
 ただ、前回と違う事はカレー作りはかな子ちゃんたちに任せている事です。

 

「うわぁ、綺麗な星型ですね! すごいです」
「え、えへへ、ありがとうございます」

 

 ご飯を準備をしてくれていた高森さんが合流すると、かな子ちゃんの包丁さばきに関心を示しています。

 

「でも、どうして星型に?」
「うっ、やっぱり変なのかなぁ……」
「いえいえ! そんなつもりでは!」

 

 高森さんもナナちゃんもと同じ疑問を投げかけますが、私にはわかります。わかりますよ、かな子ちゃん! それが可愛いもの好きパティシエの意地ですよね! そう、例えカレーがあまり可愛くならなくとも、料理と名のつくものに手を抜くわけにはいかない。それが料理人の宿命……。

 

「響子ちゃんの方は、どうですか?」 

 

 と、いつの間にか私の隣にはナナちゃんがやってきていました。

 

「ん、しょ。っと、うん、順調ですよ」

 

 私はボールから手を離すと答えます。
 手にべったりとくっつくのは新鮮な合挽き肉。さーて、次はタマネギかな。

 

「あ、ごめんなさい、ナナちゃん。冷蔵庫の中に炒めたタマネギがあるから出してもらってもいいですか?」
「は~い」

 

 ナナちゃんからタマネギを受け取ると、それをボウルへ投入!
 さらにコネコネっと。うん、良さそう。

 

「ん~、いい感じに練りあがってますね」

 

 隣から楽しそうにナナちゃんが顔を覗かせます。
 どうやら彼女の担当であるジャガイモの処理はすっかり終わったようですね。

 

「カレーにもハンバーグにもタマネギが同じように使えて良かったです。みんなの手間も少しですが省けましたし」
「もう、みなさんの食事はナナたちに任せてくれればいいですって! それよりも響子ちゃんはこっちに集中集中っ!」
「は、はい」

 

 みんなが大量の夕食を作ってる最中、私はたった二人分の料理に集中していたのです。
 本当は台風の夜、皆口さんが居なかった時に凛ちゃんと二人で食べたかった料理。それを作っているんです。
 でもあの時は料理どころじゃなかったですし、このままお蔵入りかな……ってちょっと残念だったのですが、最終日である今日にその願いは叶いました。

 

「響子ちゃん、若奥様って感じですよね~。ナナ、ウットリしちゃいますぅ」
「そ、そんなことは」

 

 椅子に座ったナナちゃんは、頬杖をついて私を見つめます。うっ、ちょっと恥ずかしいです。

 

「でも、本当に嬉しそうな顔してますよ? ナナ、こんなにも楽しそうに料理する人と初めて出会った気がします」
「……夢だったんです。好きな人に料理を作ってあげるのが」

 

 ナナちゃんの柔らかい空気に、私の本音がこぼれます。

 

「……へ?」
「あ」

 

 ナナちゃんの顔は、どんどん真っ赤になっていきます。しまった、そういう意味じゃないんだけどな。

 

「う、うん、ナナは別に恋愛に色んなカタチがあってもいいと思うので、うん、大丈夫ですよ!」
「ち、違いますって~!」

 

 慌てて手をふり否定すると、当然のごとく手に付いていたミンチ肉が飛び散ってしまいました。

 

「はうあっ!?」

 

 それは吸い込まれるようにナナちゃんの顔に直撃。ひ、ひぃ、なんてことに!

 

「ご、ご、ごめんなさい!」
「大丈夫ですよ~、あははっ……」

 

 鼻の頭についたミンチをキッチンペーパーでふき取るナナちゃん。申し訳ない……。
 でも、ナナちゃんの顔はまだ真っ赤なまま。これはいけない、ちゃんと誤解を解いておかないと。

 

「あの……本当に凛ちゃんに対してそういう感情はないですからね?」
「あ、そうなんですか?」
「はい、私にとっての凛ちゃんは彦星であって、一年で一回だけ旦那さん役をやってくれる人ってことなんです」
「旦那さん役?」

 

 私は頷きながら、手にはめていたビニールの手袋外します。こね終わったミンチにケチャップとソースを投入しながら、話をさらに進めます。

 

「実は私の夢って『お嫁さん』なんです」
「うわぁ、女の子らしい夢ですね!」
「あ、ありがとうございます」

 

 面と向かって褒められると照れてしまいます。今までこれを言うと、昔ながらの女の子だなぁって言われる事が多かったですし。

 

「でも私は、なぜかこうしてアイドルになってしまいました。だから、私の叶えるべき夢から最も遠い職業についちゃったんですよね」
「まぁ、確かにアイドルにとって恋愛はあまりいい印象持たれませんしねぇ」
「あははっ、ですよねー。私の場合、さらにその上の結婚願望になっちゃいますし」
「うふふ、おませさんですね」
「なっ、何言ってるんですが、ナナちゃんもちょっとぐらいはそう言う事考えた事あるんじゃないですか?」

 

 と、ナナちゃんは少し考え込むと「えへへ」と笑いました。肯定も否定もしない不思議な反応に、私のほうがちょっと困ってしまいます。

 

「それでそれで、凛ちゃんが旦那さん役ってのは?」
「あ、はい」

 

 会話内容を軌道修正してくれたナナちゃんに、私は改めて考えます。
 凛ちゃんは私の親友になってくれた女の子です。でも、彼女はアイドルとして、私の遥か先を行く大先輩。
 そんな凛ちゃんがこの夏だけは、アイドルとして私と一緒に歩くために、私の彦星になってくれたんですよね。

 

「えっとですね、この夏はフェアリーテイルズ劇場の一幕だった気がするんです」
「劇場?」
「はい、私と凛ちゃんの一夏の物語です」

 

 挽肉を適量手に取ると、力をこめ過ぎないように優しく握っていきます。

 

「物語……ですか。うん、なんかいいですね、そういうの」
「はい、いいですよね」

 

 楕円形に出来上がったハンバーグのタネをパッドに並べる私を、ナナちゃんはニコニコと見守ってくれます。
 なんでしょうこれ……。なんかすっごい落ち着く。まるで隣にお母さんがいるみたいな。最初に自己紹介してくれたナナちゃんと、今のナナちゃんは別人みたいに思えます。なんかアイドルとしてではない素の女の子としての「菜々ちゃん」って感じ……。

 

「それでですね、お嫁さんになりたいっていう私の夢は、劇の中で叶ったんです」
「おおっ! よかったですね~!」
「はい。ただ……」
「うん?」

 

 菜々ちゃんのキラキラした瞳を前にすると、私は言わなくてもいいことまで喋ってしまいそうになり、慌てて口をつぐみました。

 

 ――もし、劇の中じゃなく凛ちゃんにあってたら、私は道を踏み外してたかも。

 

 そんな事とても言えません。
 うん、私はいたってノーマルなんですから、今はこれでいいんです。
 ……本当にノーマルですってば。

 

「と、とにかく、一つ夢は叶ったんです。だから、このハンバーグはその夢を叶えてくれた凛ちゃんへ、友達としてのお礼なんです」
「あ、織姫としてじゃないんですね」
「も、もう! だから違いますって~!」

 

 今度は私の顔が赤くなっていくのがわかります。うう、この人もっとお馬鹿なキャラかと思ってたのに、全然落ち着いてるじゃないですかー!

 

「あはは、ごめんね、響子ちゃんがあまり可愛かったから、ついつい」
「うー……」

 

 でも分かりましたよ。
 ありすちゃん、あなたが菜々ちゃんとやりづらいわけ。
 姉である私はそれなりにしっかり者のはずです。それでも菜々ちゃんの前では何故か心を丸裸にされちゃう感じがありますもん。ありすちゃんの年齢じゃ、この優しさが逆に分かりづらいんでしょうね。
 ……それにしてもこの包容力。私より二つ年上なだけとは思えませんよ。菜々ちゃんはスゴイです。

 

「ねぇ、菜々ちゃん」
「ん? なんか呼び方のイントネーションが?」
「気のせいです気のせいです」
「そ、そう? なんか絶妙に、こう距離感が……」
「まぁまぁ、それより今の話なんですが」

 

 菜々ちゃんは、心配しないでと笑います。

 

「大丈夫ですよ、誰にも言いませんから」
「お、お願いします! 自分で言っといてなんですか、すっごい恥ずかしい事だったので!」

 

 私の懇願に菜々ちゃんは口を押えて笑いました。
 手元のパッドに出来上がったハンバーグのタネ。
 さぁ、あとは焼くだです。でもその前に――

 

「それじゃこっちの準備は終わりましたので、カレーの方手伝っちゃいましょうか!」
「はいは~い、ナナにお任せあれ~♪」



 パシャッ! パシャッ!

 

 スマホのシャッター音が大量に鳴ります。
 被写体はテーブルの前に座る凛ちゃんと、テーブルに置かれたハンバーグ。

 

「……ねぇ、響子」
「うん……」

 

 右手にナイフ、左にフォークを持った凛ちゃんの手がプルプルと震えています。
 うん、気持ちはわかります。

 

「これ、いつまで続けるの?」
「私も冷める前には食べてほしいんですけどね……」

 

 いかにも「私はこれからハンバーグを食べます」といったわんぱくポーズのまま止まっている凛ちゃん。なんかのCM撮影みたい。

 

「あひゃひゃっ! こんな凛の姿中々見られるもんじゃねぇな!」
「ぷ、プロデューサー、笑い方下品すぎるって! でも、これは仕方ないわ! あははっ!」
「二人とも、さすがに失礼ですってば!」

 

 凛ちゃんの後ろで大笑いする中村プロデューサーと工藤さん。かろうじて高森さんだけは凛ちゃんを庇ってくれてるみたい。良かったね、凛ちゃん全員に裏切られなくて。

 

「ああ、もうちょっと待ってくれよ、違う角度でも撮るから!」
「あ、奈緒ねーちゃん邪魔すんなよー! ここは僕のポジションだぞ!」
「こりゃ、しばらくネタに困ることはなさそうやな~」
「あ、渋谷さん! すいません、もうちょっと笑ってもらえるとバッチリ決まります!」

 

 パシャッ! パシャッ!

 

 まだまだ飛び交うシャッター音。
 唐突に始まった「渋谷凛、ハンバーグを食す」の撮影会。
 プレイアデスのみんなや、ありすちゃん。それにすっかり馴染みのゆうくんたちは、テーブルの周りをウロウロしながらひたすら写真を撮り続けます。
 うん、でもさすがにそろそろ食べてもらわないと――

 

「もう! みなさんいい加減にしてくださいっ! 凛ちゃん困ってるじゃないですかっ!」
「へっ!?」
「えっ!」

 

 そんなわけのわからない空気を一瞬で沈めたのは、まさかの人物!

 

「な、菜々……さん?」
「これは響子ちゃんが作った大事な大事なハンバーグなんですから、冷めないうちに食べさせてあげてくださいっ!」

 

 ああ、なんということでしょう。
 その言葉でピタリと鳴り止むシャッター音。すごい、ウサミン星人すごい。

 

「わ、私、菜々さんが怒るところはじめて見ました」

 

 ポカーンと口を開ける私たちの中、唯一口を開いたのはタブレットのカメラを凛ちゃんへ向けたまま固まっているありすちゃん。
 
「みなさんにはナナたちの作ったカレーがあるんですから、そっちを食べましょうよっ」

 

 撮影祭りに参加していなかった、皆口さんと神谷プロデューサーさんは苦笑い。
 なんだろう、これ。本当にお母さんに怒れた子供たちみたいな空気。

 

「お、おう、ナナちゃん、これには深いわけがな?」
「ないですよね、そんなの!」

 

 中村プロデューサーの言い訳にも全く聞く耳を持たない菜々ちゃんが、続々とみなさんを捌けさせていきます。

 

「さすが菜々……さん」

 

 凛ちゃんがそう呟きます。
 なるほど、なんとなく凛ちゃんが「さん付け」で呼ぶのもわからなくないかも……。でも凛ちゃんって、年齢が近ければ基本的にタメ口なのに、菜々ちゃんにだけは敬語なのはなんでなんだろう。
 と、私たちの尊敬の熱視線に気づいたのか、菜々さんは慌てて咳ばらいを一つしました。

 

「んんっ! おっきな声をあげちゃってすいません……。でも、せっかく凛ちゃんのために精魂込めて作ったお料理ですしね、さささっ!」

 

 そう言いながらそそくさと去っていく菜々ちゃん。
 あ、ありすちゃんに「声が大きい」って怒られてる……。

 

「ま、あんた達は二人でゆっくり食べなさい。今年の夏、最後の手料理なんだから」

 

 皆口さんもそう言うと、カレーの匂いに誘われるようにみんなの元へ歩いて行きました。
 急に人がいなくなった私と凛ちゃんは、お互いの顔を見つめるとパチクリと何度も瞬きをします。

 

「あ、あの、どうぞお召し上がれ」
「あ、ああ、うん、頂きます」

 

 気を取り直した凛ちゃんはハンバーグにナイフを入れ、小さく切った一欠けらを口に運びます。
 なんか私もテンションがよくわからなくなってしまって、ボーっと凛ちゃんの姿を見ることしかできなくなってしまいます。
 口の中でモグモグと何度も何度も噛んでくれている凛ちゃんの姿も、まだどことなく夢でも見てる気分で……ん?

 

「……っ!」

 

 凛ちゃんはガバッと目を見開くと、再びハンバーグにナイフを入れます。
 な、なになに?

 

「ん~~~っ!」

 

 今度はあまり噛まないで、ゴクリとそれを飲み込むと――

 

「響子すごい! 滅茶苦茶美味しい、コレ!」

 

 パァっと凛ちゃんは晴れやかな顔になります。
 おいしい?
 あ、美味しいのか。
 それはよかったです。
 うんうん。

 

「ど、どうしたの響子、震えちゃって……」

 

 あ、そうか私震えてるんだ。なるほどこれがそうなんですね。なるほど。
 なるほど!!!

 

「や」
「……や?」
「やったーーーっ!!!」

 

 私は立ち上がり両手を顔の前で握りしめます!
 やった! 美味しいって!  
 私のハンバーグ滅茶苦茶美味しいって!

 

「うん、これはすごいよ響子! これまで作ってくれた響子の料理、全部美味しかったけど、このハンバーグが一番美味しいよ!」
「マジですか!」
「マジだよ!」
「わぁぁぁい!!!」

 

 さすがに奇声を発しながら万歳をしたせいで、離れた席から「落ち着け響子!」と奈緒ちゃんがたしなめてきまたが、正直に言って今はそれどころじゃないのです!

 

「ほら、響子食べなよ!」
「うん、いただきます!」

 

 椅子に座りなおした私は、凛ちゃんに促されるままハンバーグをパクリと一口。

 

「んん~~!!!」

 

 美味しい! すっごく美味しくできてる!

 

「ね!? 滅茶苦茶おいしくない!? すごいでしょ!?」
「何言ってるんですか凛ちゃん、作ったのは私ですよ!」
「たしかに!」

 

 ああ、やっと食べることが出来ました。
 私たちは、夢中でご飯を食べ進めます。
 食卓には暖かい笑いに溢れていて。
 そうこれが私が求めた夢の一つの形。
 だから――
 本当に嬉しくて、はちゃめちゃに楽しくて仕方ないのに私の目は潤んでしまったんです。
 だって、この楽しさは来年まで味わえないのだから。
 だから一生懸命噛み締めて食べます。私のナミダ味のハンバーグ。
 来年はもっと塩味少な目にして美味しく作るから、期待しててね私。
 あ、これ宿題かな?
 

 

 


 食事後、テーブルの上に並べられたものは無数のプリントアウトされた写真。
 みんなと同じテーブルに合流したあと、皆口さんが広げてくれたんです。

 

「ねね、この写真は何?」
「それは収穫の手伝いをした時のだね」
「ははっ、また猫娘みたいに泥がついちゃってまぁ」
「でもこれ、よく五十嵐さんにバレないように撮れましたね?」 
「あ、これかっこいいですね。なんかすごく映画のワンシーンみたい……」
「そ、そんなことないよ」

 

 凛ちゃんの周りには工藤さん高森さん、そして周子さんとありすちゃんが一緒に座っています。一方私の周りに、奈緒ちゃん、かな子ちゃん、笑美ちゃん、菜々ちゃん。

 

「響子、この物干し竿の前で困ってる凛はんは何なんや?」
「ああ、それはシーツの干し方がわからないって、ウロウロしてた時だよ」
「へぇ~、凛ちゃんにも可愛いところあるんだね~」
「そりゃ、まだ"高校生"ですし可愛らしいところもないと可笑しいですって」
「なんだよ、菜々も高校生なのに妙な言い方だな?」
「そ、そんなことはないですよ?」

 

 何故か高校生の部分を強調する菜々ちゃんに奈緒ちゃんがツッコミをいれます。そういえばこの二人は随分前から友達みたいです。同級生ですしね、やっぱり話しやすいんだろうなぁ。

 でも、それより驚いたのは奈緒ちゃんにとって神谷プロデューサーが従兄だったことです。なんでもお互いが同じ会社に所属していることを全く知らないまま、社内でばったり再会したとか。
 神谷プロデューサーが奈緒ちゃんをプロデュースするとか、そんな運命的なイベントは全くなかったのには笑ってしまいますが、いかにも奈緒ちゃんらしいなぁとは思いました。
 と、そんな事を考えていると ゆうくんが私のTシャツの袖を引っ張っている事に気付きました。

 

「ねぇねぇ、ぼくにも見せてよー」
「あ、椅子の上座っちゃう? 靴脱げば大丈夫だよ」

 

 家庭科室の大きなテーブルの上の中央に写真が置いてあるせいで、ゆうくんからは見えなかったみたい。私の隣、椅子の上に立ったゆうくんは写真をガサゴソと漁り始めました。

 

「なんか探し物の写真でもあるのか?」
「うん」

 

 奈緒ちゃんの言葉に、そう頷くゆんくんは、何枚か写真をめくったところで「あった!」と声をあげました。

 

「なんや? お目当ての写真はそれかいな?」
「へへー、そうだよー!」

 

 ゆうくんがテーブルの向こうに座る人に写真を見せています。んん? どんな写真だろう?

 

「ほらほら、響子おねーちゃんも見て」
「お、どれどれ」

 

 今度は私に見せてくれるゆうくん。

 

「あ、これって……」

 

 そこには写っていた場所。
 それは、ゆうくんたちと初めて出会って写真を撮った場所。
 小山さんから、双子の巫女伝承を聞き、月夜を見上げた場所。
 その写真は、私と凛ちゃんが初めてお互いの事を名前で呼んだ場所。
 始まりの夜、小さなステージで凛ちゃんと一緒に唄った場所。
 終わりの夜、凛ちゃんと二人で星を眺めた場所。
 そして、私にとって「アイドルでいよう」と決めた場所。

 

「穂含月神社、か」
「うん! 響子おねーちゃんたちと会った時に、撮ってもらったやつ!」

 

 ああ、何もかもが――

 

「懐かしいね……」
「? そうかな? まだ一ヶ月だよ?」

 

 ゆうくんが不思議そうな顔をします。
 そうだよね。まだ一ヶ月だもん、普通なら懐かしむような事じゃないのに。

 

「どうしたんですか、響子ちゃん?」
「響子おねーちゃん?」
「え、あ」

 

 気付けば、心配そうに私の顔を覗き込むように、菜々ちゃんとゆうくんの顔がありました。

 

「ううん、本当になんでもないですよ」

 

 笑顔で答える私に、菜々ちゃんはほっと一息ついたようにお茶を飲みはじめました。奈緒ちゃんや笑美ちゃんも、他の写真を見て笑っています。
 ……うん。今はこれでいいんです。
 懐かしむにはまだ早い。
 それは明日のライブが終わってから。

 

「あ、そういやゆうくん、この写真がどうかしたの?」

 

 私は、あらためてゆうくんにそう尋ねます。すると、彼は少しだけ頬を膨らませました。

 

「あの時おねーちゃん、くれるって言ってたから……」
「ああ! そうだった、ごめんね! これまで渡してあげれなくて!」

 

 ゆうくんは、さらに写真を漁ると、あの時の写真を数枚並べて見せてくれます。

 

「じゃ、これみんな欲しい!」
「いいよいいよ、持って行っちゃって!」
「ほんとに!?」
「ほんとほんと! 遅らせちゃって悪かったしね」

 

 嬉しそうに熱心に写真を見つめていたゆうくんは、再び顔をあげます。

 

「じゃ、もう一つ、お願い聞いて!」
「お手柔らかにお願いしますっ」

 

 私の声に「大丈夫!」とゆうくんは答えると、家庭科室内で遊んでいた他の子へと大きな声で呼びかけました。

 

「おーい、みんな! 響子おねーちゃんが、サイン書いてくれるってー!」
「え、ほんとに!?」
「やったー!」

 

 ああ、なるほど。
 確かにこれはお安い御用のお願いでしたね。

 

「随分人気者になったなぁ、響子」

 

 奈緒ちゃんがニヤニヤと笑いかけます。それはまるで妹の成長を見守る姉のような顔でしたが……残念! その役割こそ!

 

「まぁ、私はみんなのお姉ちゃんアイドルですからね!」

 

 胸を張って私はそう言います。
 大丈夫、そのぐらいは名乗ってもいいよね? ほら、結構みんなのお世話だってしたんだしさ。凛ちゃんと一緒だったけど。
 って、なんで笑美ちゃん大笑いを!? 
 
「んじゃ、僕が一番乗り~! これにサインお願いっ!」

 

 ゆうくんがポケットからサインペンを出します。おお、用意周到!
 ひょっとして策士かな!?
 私はそれを受け取ると、机に写真を置きサインを書き始めます。
 残念ながら文字だけでは、私の味のあるイラストは描けないのですが。

 

「!」

 

 閃きました!

 キュッ、キュッと、油性ペンの心地よい音。ローマ字で「Kyoko」と書きそして最後に。

 

「えい!」

 

 一輪の花を付け加えました。

 

「うわぁ、ありがとう!」

 

 それをゆうくんに渡すと、奈緒ちゃんが不思議そうな顔をしていました。

 

「あれ? 響子のサインってそんなんだっけか? もっと味気なかったような」
「ふふ、今ちょっと改良しました。……てか、サインの味気なさで、奈緒ちゃんにどうこう言われたくないですよ!」
「な、なんだとー! 質実剛健さがいいんだろう、私のは!」

 

 と、奈緒ちゃんと言い争っていた私のシャツが再び引っ張られます。

 

「わたしにも書いて―」

 

 今度は美咲ちゃんにサインを頼まれました。
 でもこの子確かにニューカミングレースのファンだったはずじゃ。

 

「おっとっと、ごめんね。でも私のサインなんかでいいの?」
「うん、響子おねーちゃん好きだもん!」

 

 その言葉に照れながら再びサインを書き、彼女に写真を手渡します。

 

「うわ、響子おねーちゃんのサイン、お花かわいいね!」
「お、わかってくれる?」

 

 改めて自分のサインを見ます。
 うん、可愛く書けてますよね。少なくとも奈緒ちゃんのサインより百倍可愛いはず。

 

「んと、おねーちゃん」
「ん? どうしたの?」
「この最後の花って、なんのお花?」

 

 サインの最後に書かれた花のイラストを指指す美咲ちゃん。
 そうだね。それを届けてくれたのはあなたたちだったよね。
 そう、そしてあの嵐をこえて、今の私たちがあるんだ。

 

「それはね、ハイビスカスだよ」
「え!」
「うん、あなた達が必死で守ろうとした、この月海の花だよ」
「う、うわ、すごい! すごい! ありがとう、響子おねーちゃん!」

 

 美咲ちゃんは写真を掲げ小躍りをします。それを優しく見守りながら、私は隣のテーブルの凛ちゃんを見つめます。

 この花は私にとって特別な花。本当に出会えてよかった。
 何度も、何度でも咲く、希望を届けてくれる私の愛した花。
 凛ちゃん、来年もまたここで一緒に、月海の空の下で私たちも咲き誇ろうね。
 このハイビスカスのように。

 


 ――さぁ、一夏の物語もいよいよ終幕です!

 フィナーレは、うんと楽しみましょう!!!

第二十三話 了

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