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第十四話

 

「よし出来た、三人前」
「うんうん。やっぱり夏休みのお昼ご飯と言えばこれだよねっ」
「このところ忙しくて、お昼ご飯自分たちで作らないことも多かったしね」
 

 家庭科室の机に三皿分並んでいるのは、いわゆる冷やし中華ってやつ。
 もちろん私と響子、それに皆口さんの分だ。
 瑞々しいキュウリに、綺麗に焼かれた卵焼き。ハムはスーパーの市販品だ。使われた食材の平凡さに比べて、見栄えは十分綺麗なものになっている。
 ……まぁ、麺を湯でたのも卵焼きを作ったのも、もちろん響子なんだけど。
 アクセントとして添えられた紅生姜の赤が、より一層食欲をそそる。
 こ、これを盛ったのは私だし! 私の手柄もまぁちょっとはあっていいんじゃないかな。
 うん、いいよね。あっても。
 因縁のキュウリも上手く切れたし、もっと言えばハムだって私が切ったし。よし、今日に限っては言うことなしだね。そういうことに、しておこう。

 

「それじゃ、食べようか。そういえば今日も、ランチミーティングだって言ってたよね」

 

 念のためこの後の予定を響子に確認すると、

 

「うん。お昼は家庭科室から職員室まで持ってきてって。でも、普段は教室で食べるのにね」
 

 響子の方も不思議そうな反応を見せる。

 

「まぁ、持っていくのが楽でいいよ。職員室なら階段上がらなくていいし。それじゃ、行こうか」

 

 ひょいと冷やし中華の盛られたお皿を二つ持ち、

 

「響子はお箸、持ってきてよ」

 

 と声をかける。

 

「わかった。皆口さんは割り箸だね」
「買い物、ついてきてないからね」

 

 コップと同じく、私たちには自分用の箸があるから、そっちを使わせてもらおう。
 いつもゴミを出すのはよくないし、ここで買った私物は家に帰ってからも使えるしね。
 廊下をしばらく歩いて、職員室のドアを開けると、皆口さんは待ってましたとばかりに私たちを出迎えた。

 

「あぁ、二人とも来たわね。おぉ~、今日は冷やし中華じゃない! さすがのチョイスね、グーよこれ。グー」

 

 これ、本当は私と響子じゃなくて、お昼ご飯の方を待ってたんじゃないかな。
 それにいきなりなんなんだろう、このテンション。

 

「……たまには手伝ってくれてもいいんじゃないですか?」

 

 響子の不満に、私も同意の視線を付け加える。
 よくよく考えると、こういうときは皆口さんのご飯まで私たちが用意してることがほとんどだということに気づいたからだ。

 

「私に手伝わせようっての? 甘いわね響子。私の料理の腕と来たら、ここに来たばかりの頃の渋谷さんの比じゃないわよ。教育できるものならしてみなさい。ふふん」
「本当にないんですね、生活能力。川島さんといい私といい、もしかしてそういう目的でスカウトされたんじゃ……」

 

 うわ、響子の目がいよいよゴミを見るときみたいになってきてる。
 それなりに長いこと響子と共同生活を送った私にはわかる。
 響子がゴミを見るということは、即ちそのゴミはすぐさま掃除されるということだ。
 ……うん、これ以上深くは考えないようにしよう。
 

「まぁ、とりあえず作ったから。はいこれ」
「ありがとー、渋谷さん! 持つべきものはやはり可愛いアイドルね! それじゃ、二人ともこっち座って」

 

 ん? パソコンの前で食べるってこと?
 なんでまたそんなところで。……あ、もしかすると。

 

「誰かとビデオ通話でもするの?」
「あぁ。よくコマーシャルで、おじいさんおばあさんとその孫がやってるようなアレのことかなぁ?」
「ぴんぽーん、そゆこと。渋谷さんよくわかったわね」
「そうじゃなかったら、わざわざノートパソコンにウェブカメラなんてつけないと思ったから」

 

 私の推測に感心したのか、響子は普段から丸くて可愛らしい目をさらに丸くして驚いている。

 

「凛ちゃん、機械も結構強いんだね」
「私が強いわけじゃないけど……。うちの部署にはネット方面で活躍してるユニットがいるから。普段からこういうことやってるのも、見かけるしね」
「そうなんだ。スマホは普段から使ってるから別だけど、私パソコンあんまり詳しくないからなぁ……」

 

 皆口さんはカチャカチャとキーボードに文字を入力して、相手にリアルタイムで何かを伝えているようだ。

 

「……もしかして、その通話相手って」
「もしもーし。中村くーん、こっちの映像見えてるー?」
『あぁ、見えてるぜー姉さん』
 

 うっ、この声!
 やっぱり、そういうことか。まぁ、そりゃそうだよね。
 よくよく考えなくてもこんなことしてミーティングするの、ウチのプロデューサーくらいだよ。

 

『おっ、今日の昼飯は冷やし中華なんだな! さすが響子ちゃん、いいもの作るじゃねぇか』
「えへへ、それほどでも……」
「ちょっと、これ私も作ったんだけど」

 

 顔見た瞬間、人のコンプレックスを突かないと気が済まないのかな、このプロデューサーは。
 

『凛がやったのなんて、どうせ紅生姜乗せるくらいなんじゃねーの?』
「そんなことないですよっ! 凛ちゃんはハムもキュウリも切ってくれました!」
『おぉー、そうかそうか。凛、すごいぞ。よくぞそこまで進歩したな』
 

 ぐっ、響子。それ、全然フォローになってない……!

 

「もういい、私食べるからね」
「あぁっ、ごめんね凛ちゃん拗ねないで!」
「別に響子は悪くないよ、悪いのは全部このプロデューサーなんだから」

 

 しゃくしゃくとキュウリを噛みながら、ズルズルと麺をすする私。
 全く。せっかく美味しくて見た目も綺麗な冷やし中華なのに。
 ……たとえ下手でも、自分で作った料理を人から褒めてもらえたら、きっとすごく嬉しいんだろうな。
 確かに響子の手を借りれば美味しいものは作れるけど、やっぱりどこかで負い目は感じてしまうものなんだ。

 

「はいはい、しょうもないことで言い争いしないの。中村くんも、ぼちぼちいい年なんだから!」
『姉さん。額にブーメラン刺さってるぜ?』
「……中村くん、今度会ったら覚えておきなさい」

 

 プロデューサー、どうしたんだろう。
 いつものことと言えばいつものことだけど、今日は珍しく突っかかるというか。
 あんな人でも、嫌なことがあったりするのかな。
 

『もーっ。何カリカリしてんの中村さん! そんなに昨日あの変なおじさんに絡まれたのがイラついてんのー?』
「あれ、紗南もいるの?」
『久しぶり凛さん! そっちのお姉ちゃんははじめましてだよねっ? あたし、三好紗南! よろしく!』
「は、はじめましてっ! プレイアデスの、五十嵐響子ですっ」

 

 プロデューサーの座っている椅子の後ろから顔を出したのは、二つ結びの三つ編みがトレードマークの女の子、三好紗南だ。

 

「久しぶりだね紗南。そっちはどう? 上手くやってる?」
『それが聞いてよ凛さん! もう最近うちの事務所、凛さんがいないせいでてんてこまいなんだよっ!』
「私が……? それって、どういうこと?」
「大方若本さんにでも絡まれたんでしょ、サマカニの件で。さて、私も食べよーっと。いただきまーす」
「あ、皆口さんまで! もう……」
 

 皆口さんは意趣返しとばかりに、プロデューサーに向かってジト目でそう言った。
 響子も響子で仕方なさそうに、なぁなぁの流れで小さくいただきますをして、冷やし中華を食べ始める。
 

『あー、ウゼェ。最近会社の上の連中がうるさいったらありゃしねぇ』
「それはいつものことでしょ。プロデューサー、言うこと聞いてないんだから」
『おまけに何もかもオレの思い通りにならねぇ、だから面白くねぇ』

 

 まるで宿題をやらなかったことを怒られた子供のようだ。
 普段はそれでもいい成績を取ってるのに、今回は珍しく酷い点数を取ってしまって、日頃の分まで含めて怒られているみたいな感じなのかもしれない。


「ふふっ。プロデューサーでもそんなときがあるんだね」
「ほとんどないから不機嫌なのよ、多分」
「す、すごい……んですかね?」
「周りに迷惑かけてるだけだからね、別に偉くも凄くもないよ」
『ま、何はともあれこっちの近況を話さないことには始まらねぇと思ったのは確かだ。二人が月海でエンジョイしてる間に、346全体は大きく動いてる』

 

 ……真剣な顔になったね、プロデューサー。この人がこういう顔するときは、やっぱり何かあるときだ。
 雰囲気から察するに、おそらく私も他人事じゃない。

 

「フェスのことは皆口さんから聞いたよ。今年、TV中継もあるらしいじゃん。嘘つき」
『そのことなんだけどな……。さて、どっから話したもんかね』

 

 珍しいね、こんな風に言い淀むの。よっぽどのことがあったんだろうか。

 

『隠しても仕方ねぇし、結論から言うぜ。今度のフェスな、楓ちゃんが出ることになった』
「……冗談、だよね?」
『悪いが、マジだ。オレも正直驚いたんだがな……』
 

 楓さんが、サマカニに出る?
 とてもじゃないけど、すぐには信じられなかった。
 昨日金元さんにも説明したけど、サマカニは元々そんなに大きなフェスじゃない。
 だからって、全然売れてないアイドルが出るってわけでもないんだけど……。実際ニューカミングレースだって、去年は出場したわけで。
 ただ、響子のユニットであるプレイアデスみたいに、これまでもずっと参加していたのならともかく、楓さんほどのアイドルが突然参加するような規模のイベントではないはずなのに。

 

「関くん、一体どういう風の吹き回しなのかしら。若本さんに揺すられたくらいで、懐刀の高垣さんを簡単に出すとは思えないけど」
「若本さん?」
「あぁ、響子はまだ会ったことなかったっけ? 若本部長っていう、五十手前のこわーいオジサンがいるのよ。去年まではサマカニも、プレイアデスがメインでやってたからね。企画そのものは私が立てたんだけど、経営とか広報とかそっちの方面に関しては、彼がやってくれてたのよ」

 

 私も彼には会ったことがある。なんか、やたら語尾を伸ばしてくる顔の濃いおじさんだったような。

 

『今年からサマカニの企画そのものは、バタフライエフェクトの宮野が引き継いだんだ。だが、若本のオッサンはこのフェスの開始当初から関わってるからな。三年目の今年がフェスの集大成だと思って、鼻息荒くしてたってわけだ』
「と、ここで響子に質問。これまで一生懸命フェスを盛り上げてきた若本さんの怒りは、この場合一体誰に向くでしょーか?」

 

 1.二年間企画をやり通して、後任への引き継ぎもちゃーんとやった私
 2.新しく企画に関わって、今サマカニを盛り上げてくれてる宮野くん
 3.企画の目玉であるNGの出演を拒否し、上層部の方針に逆らって月海で好き放題やってる中村くん

 

「はい、制限時間は三秒!」
「そ、それは……。3の中村プロデューサーなんじゃないでしょうか……」
「ぴんぽーん。ここまでの流れがちゃんと把握できているようで何より」

 

 はぁ。こんなわけのわからないクイズの題材にされる私たちの身にもなってほしいよ。
 皆口さんの言う通り、私たちニューカミングレース、というかプロデューサーがなんだけど、サマカニへの出演を拒否してしまった。
 肝心要の皆口さんも中村さんに持っていかれてしまったわけで、当然若本部長の怒りの矛先はウチのプロデューサー……そして多分、私たちのライブにも向かってくる。
 って話は昨日もちょっとしたけど。
 正直、それだけなら別に問題はなかったんだ。いや、ないわけじゃないんだけど、いつものことというか……。
 でも、楓さんほどのスーパースターが出演するとなると、話は大きく変わってくる。
 

『若本のオッサン、本気でオレたちの企画を潰しにかかってきてるみたいだぜ。同じ日にデカいライブが大成功しちまえば、オレたちが得るはずだった注目もほとんどかっ攫われちまう。楓ちゃんほどのスーパースターを引っ張り出せたなら尚更だ』
「でもそれって、プロデューサーがこれまで散々関プロデューサーのこと煽ってたから、とうとう本腰入れられちゃったってだけじゃないの? 出るんでしょ? スリーコートレディースも」
『バカ野郎。もしそうなら、逆にオレは死んでもこっちを成功させてみせる。関のやつに遅れを取るなんて、ありえねぇ』
「……ホント、男って馬鹿よねぇ」
 

 呆れる皆口さんは、そこからさらに言葉を続ける。

 

「元々月海町での企画って、関くんのスリーコートへの当てつけから始まってるってのもあるのよ」
「そうだったんですか!?」
「……まぁ、それに関しては昨日響子にもちょっと話したよね」

 

 私は頭の中で、もう一度これまでの流れを整理していた。
 楓さんは元々私と同じ部署――キングダムにいたんだ。
 彼女は私がキングダムに入った時には、もう既に346のスーパースターとして、その名声を轟かせていた。……まぁ、当時アイドルに全然興味のなかった私は、そんな彼女のことすら何も知らなかったわけだけど。

 でも彼女は――楓さんはデビュー当時から中村さんにプロデュースされていたわけじゃなく、元々別のプロデューサーと組んでいたんだ。

 

 そのプロデューサーというのが、スリーコートレディースのプロデューサーにして、私たちの楽曲「あいのうた」の提供者でもある関プロデューサーだ。
 私にも詳しいことはよくわからないんだけど、ウチのプロデューサーと関プロデューサーには、何らかの契約があったみたいなんだ。
 その内容というのが、中村プロデューサーと関プロデューサーそれぞれのアイドルが、346のトップを賭けて同じ舞台で戦うこと。
 今年の三月に、楓さんは自分をデビューさせてくれた関プロデューサーのところに復帰していったんだけど、その直後にはもうその戦いの火蓋は切って落とされ……るはずだった。

 というか、実際落ちたは落ちたんだけど、その時の私たちは、すぐにでも楓さんの新曲が、関プロデューサーの手によってリリースされると思っていたんだ。
 

 でも、実際に関プロデューサーが私たちニューカミングレースの春の新曲にぶつけてきたのは、ヴェスパーのエースとして復帰した楓さんの新曲じゃなく、何と新人アイドルで構成されたユニット、スリーコートレディースのデビュー曲だった。
 そのPVの出来が各所で絶賛されて、私たちの新曲の売り上げは、いつもほどの数字を叩き出せなかった。
 もちろんそれでもそれなりの数字ではあったし、売り上げだってスリーコートを上回った。
 だけど、ウチのプロデューサーからすれば、そんなことが面白いわけがない。

 

 スリーコートレディースを完膚なきまでに叩きのめせたのなら、中村さんも「舐めた真似しやがって」なんて言えたのだろう。
 だけど実際はエースである楓さんを温存された挙句に、ニューカミングレースと同じ三人ユニットが、宿敵だと思っている関プロデューサーの元から華々しいデビューを飾ったという事実が残ってしまった。
 そしてアイドルにとって、売り上げと同じくらい大事な話題性も、この時ばかりはヴェスパーに攫われてしまったんだ。
 要するに、「実力では私たちがきっちり勝ったけど、勝負としては関プロデューサーにまんまと一杯食わされてしまった」ってこと。
 楓さんがいなくても私たちとある程度戦えるのを、証明されてしまったってことだからね。

 

「つまり今回のPV撮影も、スリーコートレディースのPVを意識してたってわけなんだね」
『ま、そういうこったな。やられっぱなしは性に合わねぇんだよ』
「はぁ、呆れた。そのために響子まで巻き込んで」
「えっ? えっ? 私?」
「昨日も言ったでしょ。響子だって、ちょっとはこの人に怒ったっていい立場なんだよ本当は」
『凛だってあの時は悔しがってたじゃねーか、せっかく楓さんと戦えると思ったのにってよ』
「それは、まぁそうだけど……。楓さんには楓さんの事情があったんだろうしさ」

 

 あの人に迷惑をかけてまで、すぐにぶつかりたいとは思わない。
 でも、あの時胸の中にモヤモヤしたものが残ったのも確かで。

 

「で? 関くんはどういう理由で、春に出し渋ったかわいいかわいい高垣さんを、今更サマカニに出したっていうわけ?」
『それがよー。楓ちゃん本人の強い希望だって言うんだ。それ以上でも以下でもないって、あのいけ好かない顔でよ』
「中村さん、それどうやって確かめたんですか?」
『そりゃーアレだ。新館三十階、ヴェスパーの事務所に突撃よ。最初はいい気味だと思ったんだよなー。オレが散々NG出せ出せってチクチクチクチク言われ続けてきたことの矛先が、全部関に向かったわけでよ』

 

 思わず大きなため息が出てしまう。この人はいつだってそうだ。

 

「……ほんっと、サイアク。楓さんに悪いと思わないの?」
『楓ちゃんを取り巻くあらゆる面倒をなんとかするのが、あのクソ馬鹿ナイトの役目だろ? ま、オレから言わせれば、あいつ自身があの子にとって一番の面倒なんだけどな! あ、これ楓ちゃんに言うなよ。あれでも怒らせると結構コワイんだからな!』
「こんなこと楓さんに言うわけないでしょ馬鹿! プロデューサーと一緒にしないでよね!」

 

 もう完全に言いたい放題モードだこの人。
 隣で響子は若干引いてるし、皆口さんは一周回ってケラケラ笑いだしちゃってる。
 本当に恥ずかしいというか、デリカシーの欠片もないんだから。
 それにしてもヴェスパー、か。あそこの部署にはまだ一度も行ったことがないけど、楓さんと関プロデューサーの事務所だし、きっと落ち着いた雰囲気なんだろうな。
 平穏を乱された所属アイドルたちに同情するよ……。

 

「今若本さんの言う通りにニューカミングレースを出してたら、きっと世間的にはニューカミングレースのライバルって、スリーコートレディースになってたでしょうね。アルカナはちょっと毛色が違いすぎるし。もしかしたら関くんとしては、そういう狙いもあったのかも」
「それって、どういうことですか?」
 

 響子の質問に、皆口さんは冷やし中華をぞぞぞとすすりながらこう答えた。

 

「今の響子と一緒よ。目の前のライブにニューカミングレースって壁がそびえ立ってくれてれば、きっとスリーコートはそこを目標にメキメキと育っていくでしょう?」
「た、確かに。身をもって証明しちゃってますしね、私……」
「自分のユニットを育てるって目的があるのなら、ニューカミングレースをおびき出すための撒き餌として、高垣さんを出してもおかしくないってことよ。どのみち出さざるを得ないのであれば、スリーコートのことを考えればいいわけで、関くんからしたらニューカミングレースが出ても出なくても美味しい状況よ、これ」
「ははぁ、なるほど……。なんだかすごい駆け引きですね」
「もちろん高垣さん本人の希望が第一なんでしょうけどねー」

 

 何度も深く頷いて感心する響子。そして卵をむしゃむしゃと食べる皆口さん。
 実際私も、皆口さんの言う通りだと思う。
 ここに来た日から何度も思い知らされたことだけど、響子と私はそもそもの方向性が違う。
 だからお互いのない部分を吸収することで、お互いに成長していくことができた。
 だけど、スリーコートレディースはちょっと特殊なんだ。
 どんなユニットの良さをも吸収できるだけの柔軟性っていうか。
 それでいて、どんなユニットにも自分たちを真似させない独自性もある。
 私たちニューカミングレースの良さがスリーコートに吸収されることはあっても、きっと私たちがスリーコートから吸収できることはほとんどない。
 だから――。

 

『オレはあいつのユニットを育てるために、ここまでニューカミングレースを育ててきたわけじゃねぇ。あいつの最高傑作を打ち負かして、俺のアイドルが一番だってことを証明するためにここまでやってきたんだ。その手には絶対乗らねぇ』

 

 ほらね、やっぱり。プロデューサーはこう言うと思ってたよ。

 

『昨日の若本さんすごかったもんねー! そりゃ楓さんってカードが手に入ったら、誰だって自慢したくもなるだろうけど。わざわざうちの事務所まで来て、宣戦布告みたいなことまでしてくれちゃってさ! ヤなかんじー!』

 

 紗南は上を向いて、べーっと舌を出してみせる。
 きっと上の階層にいる、上層部に向かってあっかんべーしてるんだね……。そんなところまで中村さん色に染まらなくても……。

 

「あぁー……。凛ちゃんが昨日言ってたのって、つまりこういうことだったんだね」
「ね、これで響子もわかったでしょ。スリーコートとは戦いたくない、けどスリーコートが目立つのも許せないって意味」
『何だよ凛。前もって響子ちゃんにも説明してくれてたのかよ』
「まぁね。だから余計なこと言わないでよ、プロデューサー」
『…………』
 

 なぜか黙りこくってしまうプロデューサー。
 しばらく何かを考え込んだ末に、彼はこの話を聞いた瞬間から、私の頭のどこかにあった――でも見ないふりをしていたその可能性を、ついに口にしてしまった。

 

『まぁ、なんだ。悪かったな凛』
「ちょっと、余計なこと言わないでって――」
『いや、これはそれでも言わなきゃいけねぇ。覚えてんだろ、お前がアイドル始めた日のこと。オレの読み違いのせいで、楓ちゃんとガチでやれる機会を逃しちまったんだ。もしも凛が今346にいたら――いや、これ以上は姉さんと響子ちゃんに失礼だったな。今のは内輪の話だと思って、忘れてくれ』

 

 そう。これは千載一遇のチャンスでもあったんだ。
 私がアイドルを始めることになった、きっかけ。
 最初の願いを、叶えることができたかもしれない"もしも"の可能性が、今ここにはあったんだ。
 スリーコートや若本さんのことがあるとはいえ、なりふり構わずサマカニに出場してたら、戦いの舞台はちゃんと用意されていたはず。
 今度楓さんと同じ舞台、それもライブでなんて、どれくらい先まで待てば――。
 いや、まだ可能性がないわけじゃない。
 ライブは昼の十二時から夜の十九時まで。
 月海でのライブは十九時から。
 ニューカミングレースのステージを昼にしてもらえば、あるいは――。

 

「凛ちゃん?」

 

 すぐ隣から聞こえたはずなのに、とても遠くからの音にように感じたのは、もうすっかり聞きなれた響子の声。
 その声が、私を一気に正気に引き戻した。
 ……私、何を考えてるんだろう。
 ここまでこんなに響子と一生懸命やってきた月海のライブを、私とプロデューサーの勝手な決めごとのために蔑ろにするなんて、絶対にしちゃいけない。
 しちゃ、いけないはずなのに。
 人に散々最悪なんて言っておいて、私自身はどうだ?
 私は今まさに、響子に対して最悪以外の何物でもなかった。
 アイドルをやることで、仲間はできた。
 でも響子は、アイドルをやることで初めて出来た友達なんだ。
 その友達を、私は今裏切ろうとした。
 それを意識すればするほど、響子の顔を真っ直ぐに見て、話して、笑ってなんて――。

 

「ごめん、響子。少し外すね。冷やし中華、美味しかった。ごちそうさま」
「えっ、凛ちゃん!」

 

 そんなことを言っておいて、まだ冷やし中華は半分くらい残ったままだった。
 これじゃ、美味しかったなんて言葉もまるで空っぽにしか聞こえないだろうな。
 それでも私は、「今この瞬間響子の隣にいる自分」を許せなかった。
 職員室を出て、階段を登り、最上階の鍵を開けて、屋上に出る。
 そして私は、その鍵を閉めた。響子が今の、最悪な私の隣に立たなくて済むように。

 

 もしも響子に、このことを話したら、響子は何て言うだろうか。
 食甚祭の前の日みたいに、「行かないで」って言ってくれるかな。
 あんなに泣いて怯えてた響子を、今の私はもう一度見たいと思ってしまっていた。
 ああやって引き留めてくれれば、きっとこの気持ちも無理矢理にだって引き千切ることができるから。
 でも、もしも背中を押されたら?
 全てを包み隠さず話して、「行ってらっしゃい」なんて言われたら――。
 私は今すぐにだって、東京に戻ってしまうかもしれない。
 楓さんと戦うために、すぐにでも忍や藍子とレッスンを始めてしまうかもしれない。
 響子も、皆口さんも、月海の人たちも、その全てを裏切って。
 あの二人は、そんな私をどう思うだろう?
 やっぱり私、最悪だ。こんなんじゃ、誰にも――楓さんにだって、顔向けできないよ。

 

 もしもの世界と、今ある世界。
 その狭間で私はひたすらに揺れて、漂って。
 広くて誰もいない罪悪感の海原で仰向けになって、私はぷかぷかと浮いていた。
 この日の空も、昨日と同じ。
 月海の空はいつだって、どこまでも、どこまでも青かった。
 果てしなく大きい空の青は、まるであの人の瞳のよう。
 

「楓さん……私、どうしたらいいのかな」


夏の青空は、ただそこに優しくあるばかりだった。

第十四話 了

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