top of page

インタールード


 

 夢を、見ているかのようだった。

 生まれて初めて、ステージに立った日。  たくさんのお客さんがいて、大歓声を浴びて。  まだ何者でもなかった私は、この日集まった数万人に、自分の存在、その全てを叩きつけて見せたんだ。

『私は、ここにいる』

 無力なんかじゃない。  それを証明したかった。  自分の中の、爆発しそうな何か。  何にぶつけても物足りなかった思春期の激情が、その瞬間全て解放できたような気すらした。

 あぁ、私やっとわかったよ。  何かに熱中できるって。  何かに本気になれるって、こういうことだったんだ。  ここでなら、誰にも何にも遠慮はいらない。  ありったけを、全部ぶつけられる。  それをすることで、喜んでくれる人がいる。  そんな場所を、やっと見つけられたんだ。

 息を切らしながら舞台袖に戻ってきた私を、"あの人"は優しく出迎えてくれた。  私はきっと、自慢げだった。  激しくて、鮮やかで、煌びやかで。  これまでの人生で最高の私を、あのステージの上で華々しく輝かせてみせたのだから。

「お疲れ様。どうだった? 初めてのライブは」 「……すご、かった。身体中が沸騰して、爆発しそうだよ」 「良かった。アイドル、楽しいと思ってくれたみたいね」 「うん。すごいよ、これ……。でもいいの? 私、物凄い歓声貰っちゃったけど」 「どうして? いいことだと思うけれど」 「一応、勝負でしょ。これ以上の歓声貰える自信があるなら、話は別だけどさ」 「ふふっ、どうかしらね。確かにああいう歓声は、私じゃ巻き起こせないかもしれない」 「だったら――」 「そういえば、凛ちゃんにはまだ一度も聴いてもらってなかったかしらね。私の歌」

 そう言うと彼女は、未だ私の巻き起こしてみせた興奮が冷めやらぬステージへと、ゆっくり歩き出していった。  緑と白の衣装に身を包んだ彼女は、どこまでも美しく清らかで。  そして、今まで見てきた誰よりも、誇り高く見えた。

「そこから見ていて。私の、全てを」

 夢を、見ていたかのようだった。

 人生で初めて、心からの敗北を味わった日。  たくさんのお客さんがいて、その全員が彼女の歌に心を震わせていて。  さっきまで『何者か』になれていた私は、たった一時間で『無力な私』へと逆戻りしていたんだ。

『私は、ここにいる』

 数時間前まで会場を熱狂の渦に包んでいたはずの私の声は、もはやその残滓さえもこの場に残していなかった。  自分の中で、爆発しそうだった何か。  迸っていた思春期の感情は、いつの間にかその全てが悔しさと惨めさに変わっていた。

 あぁ。私、やっとわかったよ。  何かに熱中するって。  何かに本気になるって、こういうことでもあったんだ。  さっきまで私の目の前にいたはずの彼女。  でも今は、あまりにも遠く、遠く、果てしない道の先。  肉眼ではその姿が見えないほどの場所に、あの人は立っていた。

 そのくせ遥か遠くからでも、彼女は灼けるような眩しさを放っていて。

 息を切らしながら舞台袖に戻ってきた彼女を、私は優しく出迎えられなかった。  彼女は何もかもが、圧倒的だった。  静かで、強くて、儚くて。  それでいて私以上の激情を、あのステージの上で美しく輝かせてみせたのだから。  最後の曲、『こいかぜ』だっけ。  参ったな、あれ。  あんなにすごいのに、これまで何で。  どうして――。

「……どうして、隠してたの?」 「ごめんなさい。中村さんからの指示だったの。『本番まで凛ちゃんの前では、絶対に歌っちゃいけない』って」 「ふざけないでよッ!!」

 舞台袖全部に響き渡るかのような大声。  この三ヶ月間磨き上げ続けてきた喉から放たれたそれは、自分でも驚くほどの凄まじい絶叫で。

「知ってたら……。知ってたら、こんなに一生懸命になんてならなかった! もっと早く、最初から諦めてた!! ずるいよ! こんなの知っちゃったら、もう戻れないに決まってるのに!!」 「凛ちゃん……」 「私、もう追うしかないじゃない!! これから先、ずっと、ずっとあなたのこと!!」 「そこまでだ、凛」

 もうすっかり聞きなれた、いけ好かない男の声。  振り返ると、いつになく鋭い目で彼はそこに立っていた。  みっともなくボロボロと涙を流しながらも、獲物を見定めた狼が如く、私は彼に食って掛かった。

「アンタ……。ずっと私のこと、おちょくってたってわけ?」 「『そうだ』と言えば、納得するのか? 吠えるために理由の必要な負け犬さんよ」 「中村さん!」

 彼女の制止も聞かずに、彼は言葉を続けた。

「いいか、凛。お前の隣に立ってるその子はな、お前なんかよりずっと強いもの背負ってそこに立ってんだ。たかが三ヶ月で勝てると思うのが、ちゃんちゃらおかしいってことなんだよ」 「……ッ! だったら、どうしろって言うの!!」 「追いかければいい」 「簡単に言わないでよっ!! これだけの差、何年かかったって埋まりっこないっ!!」 「馬鹿野郎。それを埋めるためにオレがいるんだよ」 「それって、どういう……」 「一人で勝てないなら、二人で戦えばいい。二人でも勝てないなら三人だ。これからは凛がナンバーワンになるための、仲間を探すんだ。お前の熱量に付き合える、最高の仲間をな」 「なか、ま……?」 「あぁ。今日の喜びと悔しさ、絶対に忘れんじゃねぇぞ。そしてこれから毎日、死に物狂いでレッスンしろ。絶対にオレが、お前を一番にしてやるからよ」

 あぁ。そうか、そういうことなんだ。  天国と地獄。その両方を見た今日という日。  ここが私の、本当のスタート地点になるってことなんだ。

「その言葉、嘘じゃないよね」 「もちろんだ。やってやろうぜ、凛。これからお前という存在を、ありとあらゆる人間に思い知らせてやるんだ」

 差し出された彼の右手を、力強く握り締める。

「やるよ、私。一番になる、その日までね――」

 

インタールード 了

bottom of page