Copyright(c) 2016 studio ALBION All Rights Reserved.

第八話

 

「はぁっ、はぁっ」
「ちょっ、響子ってば!」

 真夏の波打ち際を、裸足で駆け抜ける私たち。

 すぐ目の前では、可愛らしいサイドテールがぴょこぴょこと踊るように飛び跳ねている。 足元にはさらさらとした、それでいて焼けるように熱い砂の感触。 時折鳴り響く波の音が、耳に心地良い。

 しかしながら、今はそれを味わってばかりもいられないようだ。

 

「ねぇっ、どうしたの? 何か気に障ることしたなら謝るからさっ」
「……もう、奈緒って呼んでた」
「えっ?」
「名前っ! 私の時は、しばらく五十嵐さんだったのにっ!」

 

 やっと立ち止まって振り返ってくれた響子は、頬を朱色に染めて悔しそうにこちらをじっと見つめてくる。
 思いがけない答えに、一瞬何を言っていいのかわからなくなってしまう。

 

「……もしかして、妬いてるの?」
「う、うぅっ……」
「ぷっ……なんだ、そんなことだったんだ。もしかして響子、結構独占欲強いタイプ?」
「何で笑うのっ!? そ、それに独占欲って……!」

 

 正直意外だったし、びっくりもした。
 大人に対してはあんなに聞き分けのいい響子が、たったそれだけのことで拗ねてしまうなんて。
 奈緒も可愛いけど、私の織姫様もやっぱり本当に可愛い。
 これじゃ相手の彦星様も、結構大変かもしれないね。
 そんなことを考えていると、自分でも自然と表情が綻んでいくのがわかる。

 

「確かに奈緒は、初対面とは思えないほど話しやすかったけどさ。元々私のファンだったって言ってくれたのもあるし。でもね」
「で、でも?」
「今響子に手を引かれて、思ったんだ。あぁ、私今すごく青春してるな、って」
「せい、しゅん……」

 

 不安げだった響子の瞳に、ちょっとだけ夏の太陽の光が差し込んだような気がした。
 そうして手を繋いだまま、周り一面をぐるっと見渡してみる。

 

「見てよこの景色。空も、海も、太陽も。雲も、波も、砂浜も全部。今この瞬間は、私と響子のためにあるんだよ」
「私たちの、ため……」
「うん、ほら響子も」

 

 繋いでいない方の手を、空に高くかざしてみる。
 その隙間から覗くのは、白くて大きな入道雲。

 

「ねぇ、響子には何が見える?」
「えっと、青い空と、白い雲が見えるよ」
「私にも、見えてるよ。響子と、同じ景色」

 

 この景色に私を導いてくれたのは、他でもない響子なのに。
 響子だからこそ、この景色を一緒に見る意味があるというのに。
 そのことを、伝えたい。
 私の気持ちを、知ってほしい。

 

「私、変わり始めてると思う。響子とは違う部分が、だけど」
「凛ちゃんが?」

 

 一度強く頷いてから、言葉を続ける。

 

「これまでの私だったら、きっとかな子や奈緒とも、こんなに早く打ち解けられなかった。具体的に何が変わったのかは、自分でもわからない。だけど今こうして私が変われているのは、響子のおかげなんだよ。絶対に」
「私、の?」
「そう。だからね、響子。改めて言わせてほしいんだ。今日まで、私と一緒に頑張ってくれて――ひゃあぁっ!!」
「きゃああーっ!!」

 

 突然後ろから、冷たい水飛沫が襲い掛かる。
 何事かと思って振り返ると、そこには大きな水鉄砲を持った、奈緒とかな子の姿があった。

 

「へっへー。さっき散々笑ってくれた分のお返しだっ」
「これ、奈緒ちゃんが自分で持ってきてくれたんだって! 全部で四つあるから、みんなで遊ぼうよっ♪」

 

 手渡されたそれぞれの水鉄砲には、ご丁寧なことに、既にたっぷりと冷たい海水が充填されていた。
 

「へぇ、これで私たちと勝負しようってことね」
「……もう許さないっ。磨き上げた私たちのコンビネーション、見せてあげるんだからっ!」
「行くよ、響子っ!」
「うんっ!」

 

 大量に発射された水。
 それと同時にいくつかの黄色い声が、月海の浜辺に広く響き渡るのだった。

 

 

 

 

「はぁ~、楽しかったなぁ!」

 

 奈緒の言葉と同時に心地良い疲労感を感じながら、海から浜辺へと上がる私たち四人。
 だいたい一時間くらいは、冷たい海水で遊んでいただろうか。

 

「カメラマンさんもいい絵がたくさん撮れたって、喜んでくれてたみたいだよ~」

 

 かな子が嬉しそうに言えば、

 

「お尻に水鉄砲食らったときの奈緒、ほんと傑作だったね。響子があんなに水鉄砲上手だなんて思わなかったよ」
 

 と、私も他の二人に水を向ける。

 

「おいっ! 何でわざわざそこを蒸し返すかなぁっ!?」
「えへへ。私の凛ちゃんを取ろうとしたのが悪いんですっ♪」

 

 私の、って。
 やっぱり響子って、結構独占欲強いのかもしれないな。
 そんなことを想っていると、

 

 ぐきゅるるる~~


 と、明らかに誰かのお腹から鳴ったとしか思えない音が……。
 

「ひゃっ!」
「……えーっと。かな子、今のは何だろうね」

 

 まぁ、わざわざ聞く必要もないけど一応ね。

 

「あはは……。あの、みんなお腹空かない?」
「そうだなぁ、確かに良い感じにお昼時だよな」
「そろそろご飯にしましょうかっ。あそこにある海の家に入りましょう」

 

 そう言って響子が指差したのは、浜辺の中にある一軒の家屋。
 外から見たそれは、一軒何の変哲もない木造りの建物だけど、いざ中へと入ってみると、そこにはお洒落なインテリアや海グッズが数多く揃っていた。
 カウンターの向こう側には、たくさんのお酒らしきものが並び、見上げた天井には大きな扇風機のようなものが回っている。
 これまた木でできたテーブルや椅子のある場所は、風が通りやすいように吹き抜けになっていて、真夏の炎天下でも比較的涼みやすい構造になっているようだ。

 

「へぇ、なかなかいいねここ。せっかくだしここから見える海、一枚撮っておこうかな」

 

 しゃららん。

 

「あ、私もっ。凛ちゃん、こっち向いてっ!」

 

 響子の声に従って、彼女の方を振り返り微笑んでみせる。

 

 しゃららん。

 

「へぇ~。二人とも、お揃いのカメラ持ってるんだ」
「うん。合宿に入った日、うちのプロデューサーがくれたんだ」
「いっぱい色んな写真、撮ってきたよねっ」
「……つまり響子のカメラの中には、渋谷凛のオフショット写真がいっぱい入ってるってことか!?」
「ちょっと奈緒。それ趣味悪いよ」

 

 全くもう。
 一緒に仕事してるアイドルなんだか、それともファンがついてきてるんだか。

 

「あら、四人とも戻ってきたのね」
「み、皆口さん! その恰好は……!」
「んふふ♪ どうよ、これ?」

 

 さっきまでピシッとした黒スーツとタイトスカートを着ていたはずの皆口さんは、少し目を離した隙に、白と水色のコントラストが鮮やかな水着姿へと変身していた。
 パレオをひらひらとたなびかせて一回転するその姿は、正直かなり様になっている。

 

「すげぇじゃんプロデューサーさん! とても今年で三十……」
「奈緒? うちの部署、クビになりたい?」
「い、いえ何でもないです……」

 

 上がったテンションが一転地の底まで落ちる奈緒。
 どうやら皆口さんの歳や世代に関することは、たとえどんなにツッコみどころしかなかったとしても、絶対にツッコんじゃいけない決まりらしい。

 

「ごほん。ここの海の家も、今日はあなたたちの貸し切りだから。食材や飲み物は冷蔵庫の中に揃ってるみたいだし、四人で何か適当に作って食べていいわよ」
「ほんとですかっ!?」
「確か奥の方に、バーベキューセットがあったはずよ。それも使いたいなら使って構わないからね」
「バーベキュー! 私、早速冷蔵庫チェックしてきます!」
「響子ちゃん待って! 私も~!」

 

 『冷蔵庫に食材』という言葉を聞いた瞬間に、響子は目を輝かせてそちらへと飛んで行ってしまった。
 さすがに料理好きとして、腕が鳴ってしまうのだろう。
 かな子は……さっき別の場所が盛大に鳴っちゃってたし、まぁ仕方ないか。

 

「あたしも喉乾いたから、冷蔵庫行って来るよ。凛はどうする?」
「私は大丈夫。後で何か適当に飲み物持ってきてくれないかって、響子に伝えておいて」
「そうか? じゃあそれだけ伝えとくよ」

 

 奈緒もこの場から離れて、カウンターの裏手へと向かっていった。
 必然的に、今この場にいるのは私と皆口さんだけということになる。

 

「ねぇ、皆口さん。今日の撮影、順調に進んでるの?」
「んー? まぁ問題ないわ、順調よ」
「そう、ならいいけど」
「気になるの? 仕事のこと」
「私、こんな自由な雰囲気で仕事したことないから、ちょっとペース掴めなくて。楽しいけど本当にこれでいいのかなって、思っちゃってるのかもしれない」
「……そう」

 

 ふぅ、とため息をついたかと思うと、皆口さんは珍しく物憂げな表情を浮かべている。

 

「時々あるの。物凄く優秀なプロデューサーと、物凄く素質のある女の子が、奇跡のように巡り合うこと。びっくりするほど息が合って、どんどんこの世界を駆けあがっていってね」
「えっ?」
「でも、それは必ずしもいいことばかりじゃない。僅かな時間で大きな力を手にしたら、そこには絶対に何らかの反動が付きまとうものなの。私もそんな例を、ここ何年かでいくつか見てきたわ」

 

 突然、何の話なんだろう。
 話の意図が見えないまま、言葉だけが耳に入り続ける。
 

「アイドルとして強くなればなるほど、等身大の女の子からは、乖離していくこともある。きっと中村くんは、その二つがかけ離れすぎて千切れてしまうのを、防ごうとしているんだと思う」
「……プロデューサーが?」
「渋谷さんはまだまだ人間としての器が育ち切っていないわ。経験すべき時に、経験できることをしておいた方がいい。彼もそう思って、今回の舞台をセッティングしたんじゃないかな」

 

 そこは薄々、察してはいたけど。
 確かに最初からここまで、"ニューカミングレース渋谷凛のお話"はずっと出来過ぎなくらいだ。

 

「まぁ早い話が、難しいことは私たちわる~い大人に任せて、ちょっとは十五歳の女の子らしく、思いっきり青春をエンジョイしなさいってこと!」
「何それ。結局悪い大人に何かを任せろって、よくわかんないよ」
「自分から人に向かって『私は根っからの善人です』なんて言うやつの方が、よっぽどロクでもないからいいのっ。うちのプロデューサーでホンットに根っからの善人って言えるの、せいぜい杉田くんくらいよ」

 

 それはまぁ、そうかもしれないけど。

 

「さ、渋谷さんも手伝ってらっしゃい。私とこうしてお喋りしてても、何にもならないもの」
「はぁ。ホント、都合がいいんだから……」

 

 

 

 

「お待たせしました~!」
「お肉や野菜、いっぱい串に刺してきたよ~♪」

 

 奈緒と一緒にバーベキューセットに火をつけてから十分ほど。
 具材の下準備を終えた二人が、たくさんの串が乗ったお皿を持って、砂浜へと姿を現した。

 

「待ってたぞ二人とも! へぇ、どれも美味しそうだなぁ!」
「ほんとだ、彩りも綺麗だね。かな子、響子。ありがとう」

 

 串に刺された柔らかそうな肉に、瑞々しい魚介類、さらには新鮮な野菜の数々。
 牛肉はもちろん、エビやほたて、トウモロコシにパプリカ、たまねぎなどなど。
 もしかして響子、火の通りに気を配ったのかな。
 ちゃんと種類別に串に刺さっている色とりどりな食材は、こうして見ているだけでも十分に楽しめる。
 響子は金網の上に手をかざしながら、

 

「……よし、これならもう大丈夫そう! それじゃ、バーベキュー、始めまーすっ!」

 

 と、昼食の開始を力強く宣言した。
 串を網の上に置くと、肉と野菜の焼ける音が、じゅわじゅわと浜辺に響く。
 食欲をそそるような香ばしい匂いも、すぐに辺り一帯を包み込む。

「おぉ~! もう何か色々とたまらない感じだ~! まだか?  まだか~?」

「奈緒ちゃん。どの串も今置いたばっかりですよ? あんまり早く手をつけるいやしんぼさんは、お腹を壊しちゃうんですからね?」

「響子ちゃんの言う通りだけど……うぅ~。私も、待ちきれないなぁ!」

「かな子ちゃんまで……もぉ~」

 自分の部署だと、いつもこんな感じのポジションなんだろうな響子は。 可愛がられようは妹のようだけど、こういうところはさすがにお姉さんキャラだ。 そうだ。串が全部並んでいるうちに、写真撮っておこう。 カメラを腰から取り出すと、

 

「あっ、私も撮っておこうっと」


 と、響子も同じようにカメラを取り出して、

 

 しゃららん。
 しゃららん。

 

「あれ、響子。今料理じゃなくて私撮った?」
「え、うん。もしかして、イヤだった?」
「いや、全然そういうわけじゃないけどさ」

 

 いつもだったら、料理の方撮ってたのにな。
 わざわざ私を撮るなんて……。
 まぁ、今更珍しいことでもないか。

 

 

 

 

「いっただっきまーすっ! はむっ……うっまーいっ!」
「お外で食べるお料理って、特別おいしいよねぇ♪」

 

 数分後、無事にこんがり焼き上がったバーベキューを食べる私たち四人。
 脇に用意したテーブルには、サイダーやコーラなどの炭酸飲料に、カルピスやりんごジュースも用意されている。
 夏の空の下、浜辺の解放感の中。
 しかも大勢で飲んだり食べたりしているのもあって、何もかもが普段以上に美味しく感じてしまう。
 ちなみに皆口さんは、ここから少し離れたビーチパラソルの下で、一人バカンスを満喫しているようだ。
 「撮影の邪魔になるから」と言っていたが、ふと見るとバーベキューをつまみながらグイグイお酒を飲んでいる。
 やることは午前中に全部終わらせていたみたいだけど、あんな調子でこの後の撮影の指揮、ちゃんと取れるのかな……。

 

「奈緒、食べっぷりいいね」
「そりゃあバーベキューなんだから、片手で持って串からそのままが基本だろ?」
「ふーん、私もやってみようかな」

 

 紙皿に箸で取り分けて食べるのも、ちょっとじれったいし。
 目の前にあった串を取って、先端についた肉にそのままかじりつく。

 

「あっ、凛ちゃんこっち見て! 笑って!」
 

 響子がカメラ越しに私を見ている。
 なるほど、シャッターチャンスってわけか。


 しゃららん。

 

「うわぁ、さすが凛ちゃん。すごいかっこいいの撮れちゃった……」
「ほんとだぁ。浜辺でバーベキューにかじりついて白い歯が見えてるの、真夏のアイドルって感じだねぇ」
「ちょ、ちょっとあたしにも見せてくれっ! うわぁっ、渋谷凛だぁっ!」
「奈緒、わざわざ写真で見なくても私はここにいるよ……」

 

 実物の私には厳しいのに、写真の私には随分甘いんだな……。
 そんなに印象、変わってるとも思えないけど。

 

「そういえば、凛ちゃんと響子ちゃんはこの二週間どんな風だったの?」
「言われて見れば、最近のことはまだ全然聞いてなかったな、少し聞かせてくれよ!」

 

 奈緒とかな子は、私たちの過ごした時間に興味津々と言った様子だ。
 まぁ、そうだろうな。
 私だって、自分のユニットの子が別の子とユニット組んで練習してたら、何してるのか気になるだろうし。

 

「そうですね……。最初のうちは、正直全然噛み合いませんでした」
「喧嘩とかしたりはしてないけどね。私はレッスンで、響子は暮らしで、ガンガン相手を引っ張ろうとし過ぎちゃって」
「自分のいいところを見せよう、そればっかり考えちゃってた気がします」
「サンドイッチに使う、ジャガイモすらまともに潰せなかったり」
「ターンで転んで、凛ちゃんにぶつかって怪我させそうになったり」
「ほんと、お互い空回りばっかりだったと思う」

 

 かな子と奈緒は時々バーベキューを食べながら、随分感心したように私たちの話に聞き入っている。
 そういえば今日の準備にしたって、自分にできることをちゃんとやれたんだな。
 こういう分担が上手く行くの、最近はわりと当たり前になってきたけど、最初の頃を思うとすごい進歩してるように思えてきた。

 

「一週間くらい経ってからだよね。少しずつ上手く行くようになってきたの」
「うん。私も凛ちゃんも、そこからちょっとずつお互いの苦手なことに、ちゃんと向き合えるようになったよね」
「今思うと、神社に行ったあの日がきっかけだった気もする」
「うん。あの日凛ちゃんが、ああ言ってくれたから……」

 

 そっか。やっぱり、あれでよかったんだ。
 あの言葉がきっかけで、響子が少しでも変われたなら。
 きっと私と一緒に過ごした意味も、少なからずあったっていうことになるよね。

 

「すごいなぁ。なんだかお互いがお互いに、魔法をかけたって感じだね」
「あぁ、わかった。そういうことか。やっと腑に落ちたよ」
「どうかした、奈緒?」
「あぁ、いやさ。テレビや雑誌で見てた渋谷凛と、今あたしの目の前にいる渋谷凛が少し違うって、さっきも言ったろ? 画面の向こうの凛は、確かにアイドルだったんだ。かっこよくて、歌も上手くて、オーラバリバリで。でも今はもっとこう、すごく自然体なんだ。まるで、学校にいる同級生みたいに」

 

 自分でもハッとさせられた。
 そうだ、今日だけじゃない。
 思えば私ここ最近、全然張り詰めてない。
 前までは張り詰めていることが楽しかったのに、今はきっと無自覚のうちに緩んでる。
 ただ、それが悪いことじゃないのは、さすがにもう理解しているつもり。
 きっとプロデューサーたちだって、最初から私を自然に"そうさせる"ことが目的だったのだろう。

 

「響子ちゃんは……なんだか少し逞しくなったかも! アイドルとして、自信がついてきてるように見えるなぁ」
「えへへ。それ、今朝トレーナーさんにも言われちゃいました♪ 『このまま頑張れば、ライブもきっと問題ない』って!」
「すごい響子ちゃん! やっぱり今の調子で頑張れば、それで大丈夫なんだよっ!」
「そ、そうだよねっ。 よーし、私これから、もっともっと頑張るぞーっ♪」

 

 響子は響子で、どんどんアイドルに対してやる気が出てきているようだ。
 やっぱりこれなら、何も問題はない。
 このまま二人で進んでいけば、きっとこの街のみんなにいいライブを届けられるだろう。

 

「あつっ!」
「あれ、大丈夫響子?」
「な、何でもないです。少しとうもろこしが焼け過ぎちゃってたみたい。えへへ……」

 

 

 

 

「よーしっ。それじゃ、撮影午後の部行くわよーっ! ……ひっく」

 

 半分酔っぱらった皆口さんの高らかな号令と共に、私たちはビーチバレーのコートへと立たされていた。
 私の隣に響子。ネットを挟んだ向こう側には、奈緒とかな子のペア。

 

「えーっと。皆口さん、これってどういう……」
「よくぞ聞いてくれたわ響子。お昼ご飯も食べ終わったことだし、腹ごなしに少し運動でもしてもらおうかと思ってね」

 

 頬が赤いのは、夏の暑さのせいだけではなさそうだ。
 随分飲んだように見えるけど、まだなんとか正気は保っているらしい。

 

「で、ビーチバレーなのね」
「そういうことよ渋谷さん。遊びもいいけど、やっぱりルールがあった方が燃えるでしょ? ということで、三ポイント先に取った方の勝ちね。負けた人には罰ゲームがあるわよ~」

 

 罰ゲーム、ね。
 どうせまたあまり良くないことでも考えてるんだろうな、この人のことだから。
 

「プロデューサーさん、罰ゲームの内容って……」
「もちろん今は、ひ・み・つ」
「……負けられないね、奈緒ちゃん」
「何としても、勝たなきゃ。競泳水着を着せられる以上の辱めを、今日はもう受けたくないからな……!」

 

 真夏の浜辺で太陽の光を浴びながら、ガタガタと震える奈緒。
 かな子もさすがに、唇を真一文字に引き締めている。

 

「サーブは奈緒とかな子からよ。それじゃ、試合開始っ!」
「よーし、行くぞーっ! それっ!」

 

 奈緒の左手、オーバーハンドサーブから放たれたボールは、緩やかな弧を描きながら、こちら側のコートへと飛び込んでくる。

 

「響子、行ったよっ」
「はいっ!」

 

 その場で見事なレシーブの構えを見せる響子。
 が、しかし。

 

 ぼとっ

 

 無慈悲な音と共に、砂浜の上にボールは落ちてしまう。
 

「な、なんでぇ!?」
「いや響子、今一歩も動いてなかったから……」

 

 まぁ、ありがちと言えばありがちだ。
 体育の授業でレシーブの構えを習ったと思ったら、そのポーズのまま固まっちゃう女の子、中学の時クラスに一人はいたっけ。
 それにしても、まさか響子がそのタイプだとは思わなかった。
 まずいな。この勝負、苦戦の予感がするね……。
 

「やったぞかな子っ! よくわかんないけど一点取れたっ!」
「すごい奈緒ちゃんっ! スーパーサーブだよっ!」
 

 いやいやいや。
 何の変哲もない、普通のサーブだったし。
 でも、これでサーブは奈緒たちの続行。
 まずはペースをこっちが握らなきゃ、一気に押し切られてしまう。
 

「そーれっ!」

 

 今度のサーブはかな子が打った。
 アンダーハンドから放たれた、さっきよりさらに緩やかなふんわりボールが、私の方に飛んできた。
 

「任せてっ」
 

 ボールの落下点に入って、両腕を前に差し出して、膝で衝撃を吸収するように――。
 

 ぽんっ

 

 よし、上手くレシーブできた!
 ふわりと柔らかく浮いたボールが、響子の頭上へと飛んでいく。
 

「響子っ! トスッ!」
「うんっ!」

 

 高く掲げられた両手に一瞬吸い込まれてから、再び空へと弾かれたバレーボールは、綺麗に私の頭上へと舞い上がる。

 

「凛ちゃんっ! お願いっ!」

 

 右腕を大きく振りかぶりながら、ネット際で全力のジャンプ。
 落ちてくるボールとドンピシャのタイミングで、腕を振り抜く!

 

「ふっ!」

 

 ズバンっ!!

 

 爽快な音と共に、相手サイドの誰もいない場所にスパイクが決まる。
 

「やったぁー♪ 凛ちゃん、さすがっ!」
「ありがとう。響子もナイストス」
 

 響子の手の平と私の手の平が合わさって、パシンという乾いた音が鳴る。
 ハイタッチの息もぴったり。うん、この調子だ。
 

「なんだよ今のっ! どうしてあんなことができるんだっ!?」
「中学の時、色んな部活に入ってたからね。どれも長続きしなかったけど、バレーもそのうちのひとつってわけ」
「うぐぐっ……。まずい、まずいぞ。あんなスパイクが来たら、あたしたちじゃ絶対返せっこないっ!」
「ど、どうしよう奈緒ちゃん……!」
 

 ふふっ。相手コートの悲鳴が耳に心地いいね。
 奈緒たちには悪いけど、ここから一気に反撃開始と行かせてもらうよ。

 

「タイムっ! タイムを要求するっ!!」
「奈緒ちゃーん? あからさまな時間稼ぎは見苦しいと思いますよ?」
「うるさいなぁ! 響子だって棒立ちレシーブからトス一本決めただけのくせにっ!」
「うっ。そ、それは……」

 

 言葉に詰まって目を泳がせる響子。
 それにしても奈緒、何をしようって言うんだろう。
 響子の言う通り、こんなことしたところで、せいぜい時間稼ぎくらいにしかならないはずなのに。

 

「プロデューサーさんっ! もっといい絵を撮らなくていいのかよっ? このままじゃ凛が無双して終わるだけじゃないのか?」
「んー? まぁ見た感じ、確かにそうなっちゃうかもしれないわね」
「だろぉ!? だからここはひとつ、凛のスパイクを禁止にしてくれっ」
「奈緒、それはいくらなんでも――」
「いいわ。その代わり、面白い絵は頼んだわよ?」
「よっし! さすがプロデューサーさん!」
 

 何て姑息な手を使うんだろう。
 まさかゲームマスターを説得するなんて。

 

「そういうことよ渋谷さん。ちょっとはみんなに合わせることも、覚えてもらわないとね。ということで、スパイクは禁止」
「……しょうがない、わかったよ」

 

 受け入れがたいルール変更なのは事実だけど、水着のときに奈緒があれほど食い下がっても、皆口さんは決して首を縦に振らなかった。
 そのことを考えても、ここで多少抵抗してみたところで、きっとあまり意味はない。
 仕方ない、切り替えていくか。
 サーブ権は奪ったものの、得点はまだ一対一のタイ。
 響子のレシーブという弱点も相手にわかっている以上、油断はできない。
 先に何でもありにしたのは相手の方だ。
 だったらこっちも、容赦はしない――。

 

「凛ちゃん……」
「サーブ、私が打ってもいいよね?」
「わかった、頑張ってっ」

 

 エンドラインの少し外側まで歩いて行って、相手コートへと向き直る。
 よし、このくらいの距離か。
 右手に持ったボールを空へと放り投げる。
 やや前に向かって思いっきり踏み切って。
 行くよっ、食らえっ!!

 

 バシンッ!!

 

 強烈な音と共に手の平から打ち出されたボールは、奈緒目がけて一直線に飛んでいく。
 

「奈緒ちゃんっ! レシーブだよっ!」
「ちょっ、ジャンプサーブなんて聞いてなっ……! へぶっ!!」
「奈緒ちゃーーーんっ!!」

 

 一度は腕に当てたものの、ボールの勢いを殺しきれなかったのだろう。
 そのまま腕づたいに顔へと飛んできたボールの直撃を食らった奈緒は、かな子の叫び声と同時に、砂浜へ仰向けにバタリと倒れ込んでしまった。
 すごい、これが噂の顔面レシーブってやつなんだ。
 生で見たの、生まれて初めてだよ。
 

「ぷっ、あはははははっ! ご、ごめんなさい奈緒ちゃん。面白すぎて笑い、止まんないっ……!」
「ぷふっ……ズルい提案なんかするからだよっ……! いい絵、撮れてよかったじゃん」
「奈緒~っ! 今のあなた、この夏最高に輝いてるわ~っ!」
「プロデューサーさんっ!! 今のもスパイクじゃないのかよっ!?」

 

 顔を真っ赤にして跳ね起きる奈緒。
 あぁ、一応怪我はしてないみたいだね。
 

「今のはスパイクじゃなくて、ジャンプサーブでしょう? それはまだ禁止してたわけじゃないし、まぁ仕方ないんじゃないかなぁ」
「~~~っ! もう怒った! この勝負、絶対に勝つ!!」

 

 ふふっ。今更本気になってももう遅いよ奈緒。
 サーブ権はまだこっちにあるし、もう一本今のサーブを打てば、問題なく勝てる。
 が、そのとき。

 

「待ったっ! 渋谷さん。今のサーブ、もう一本打つつもりね?」

 

 腕組みした皆口さんにそう聞かれた私は、

 

「そうだけど、何か問題でもあるの?」

 

 と、聞き返す。
 

「大アリも大アリよ。この夏あなたたち二人が作り上げてきたものが、全然見えないじゃないっ。横にいる響子はトス一本上げただけ。後はそのまま自分一人で押し切ろうだなんて、スポーツのルールが許しても、この私が許さないわっ」
「うぐっ……」

 

 た、確かに痛いところを突くね。
 このままじゃこれまで積み上げてきたペアユニットとしてのコンビネーションも何も、あったものじゃない。
 勝負と言われて熱くなって、そんなことすっかり頭から抜け落ちちゃってた……。

 

「だから響子。次のサーブはあなたが打ちなさい。最後までちゃんと、二人の力で戦い抜くように」
「わ、わかりました」
「大丈夫だよ響子。ボールをよく見て、相手のコートに入れさえすればいいから。はい、ボール」
「うん、わかったっ」

 

 深呼吸して、相手のコートを見据える響子。

 

「行くよーっ、えいっ!」

 

 下から腕を振り上げる、アンダーハンドサーブ。
 よし。ボールのスピードはゆっくりだけど、これなら相手のコートにはちゃんと入りそうだ。

 

「奈緒ちゃん、トスッ!」
「ほらよっと!」

 

 奈緒の見事なトスが決まる。
 もう一度かな子にトスを上げさせて、そこから奈緒のアタックが来るパターンか。
 次の一手に備えて、一瞬身体を強張らせたその瞬間。

 

「よい、しょっと!」

 

 ネット際でぴょんと跳ねたかな子が、手をうんと伸ばして軽くボールにタッチしたかと思うと、ボールはこちらの陣地最前線、ネット際にぽとりと落ちた。

 

「フェ、フェイントっ!?」
「二回目で、かな子ちゃんが落としてくるなんて……」

 

 呆然とする私たちを後目に、奈緒とかな子は大喜びだ。

 

「やったなかな子っ! 完璧だったよっ!」
「ふふっ♪ 私たちだって、同じユニット同士。コンビネーションなら負けないもんねっ♪」

 

 さっきの私たちと同じように、心地良いハイタッチを決める二人。
 くそ、やられた……!
 これでスコアは二対二の同点。
 サーブ権も、奈緒とかな子に移ってしまった。
 逆王手をかけられた分、勢いも確実に向こうのものだ。

 

 

「まんまとやられたね」
「凛ちゃん、このままじゃ……」
「しょうがない。次のポイント、どっちのせいで負けたとしても、恨みっこなしってことにするしかないね」
「でも、多分次のサーブの狙いって……」
「うん。まず間違いなく、響子狙いだろうね」

 

 さすがにもうさっきのように、不意を打ってくることはないだろう。
 最初から陣形を縦にして、私の守備範囲を増やす手もある。
 だけどビーチバレーはコート全体に対して、一人当たりがカバーする面積が広い。
 陣形であれこれ小細工をしてみたところで、結局人のいないところに打たれれば、それで勝負は終わってしまう。

 

「凛、響子! 覚悟しとけよなっ!」

 

 さっきの顔面レシーブがよほど堪えたのか、いきり立った奈緒はボールをポンポンと力強く砂浜にバウンドさせている。

 

「奈緒、どうも本気だね。あの感じだと、ジャンプサーブを打ってくるのかも」
「……凛ちゃん、私に任せて。一か八かだけど、私たちが勝つにはもうこれしかないよ」
「何か策があるの?」
「絶対成功する、とは言えないけど。私のレシーブが決まる確率よりはマシ、かも」
「わかった。私、響子を信じるよ」
「行くぞーーっ!!」

 

 奈緒が大きな声を上げて、ボールを真夏の空に高く放り投げる。
 まずい、やっぱり。
 しかも身体の向きからして、狙いは間違いなく響子だ。
 このままじゃ、やられちゃう!!

 

「あぁーーーっ!!! 奈緒ちゃんあそこ!! プロジェクトヴェスパーの高垣楓さんがロケに来てるーーーっ!!!」
「えぇっ!!?」

 

 べちっ!

 

「あうっ……!」

 

 明らかにボールを捉え損ねた音がした直後、「ぼこんっ!」という間抜けな音と共に、前衛に就いていたかな子の後頭部にボールが直撃。
 敢無くかな子は砂のマットへうつ伏せに沈み、肝心のボールはあらぬ方向へ転々としていった。

 

「しゅ~~りょ~~!」

 

 皆口さんの大きな声が、砂浜のコートに響き渡る。

 

「やったーーっ! 勝てたっ、勝てたよ凛ちゃん!」

 

 呆然とする私の手を、喜色満面の響子が握り締める。

 

「う、うん。あの、皆口さんっ! 楓さん、ここに来てるのっ?」
「渋谷さんそれ本気? こんなところに高垣さんがいるわけないじゃない」
「……もしかして、凛ちゃんまで引っかかったの?」

 

 皆口さんと響子の、じとついた視線を浴びてしまう。
 そ、そうか。古典的なトラップだったんだ。
 いきなりあんな大声で言われたものだから、私までついつい信じちゃったよ……。
 

「かな子ーっ! ごめん、大丈夫かーっ!?」
「うぅっ、ひどいよ奈緒ちゃん……」

 

 何とか起き上がったかな子だったが、肉体的なそれよりも精神的なダメージが大きいようだ。
 味方のミスで負けた上に、ボールがいきなり後頭部に直撃。からのノックダウン。
 しかも罰ゲームまで課せられるとあれば、その心中は察して余りある。

 

「うんうん、完璧な絵が撮れたわね。それじゃ、お待ちかねの罰ゲームの内容を発表しまーすっ!」
「そ、そんなぁ!」

 

 ごめんかな子。
 優しくしてくれたのに、こんなことになっちゃって。
 アイドルの世界は厳しいんだ。
 私だってそうしたいわけじゃない。
 だけど時には、他のアイドルを蹴落としてでも、前に進まなきゃいけないときもあるんだよ……。

 

「罰ゲームは定番中の定番、砂浜埋めよっ! ということで奈緒、響子。早速埋まりなさい」
「えぇーっ!? 皆口さん何で!? 私、ちゃんと勝ったじゃないですかっ!?」
 

 にやりと悪い笑みを浮かべた皆口さんは、

 

「私は『負けたチームが』罰ゲームを受けるとは一言も言ってないわ。『負けた人が』と言ったのよ。響子、あなたは最後の最後で自分に負けたの。だから仲間や相手を騙してまで、勝利を掴もうとしてしまった。プロデューサーとして、私はそれを見過ごすことはできないわ」

 

 またメチャクチャな理論を持ち出してきたなこの人は……。

 

「何ですかそれっ! 話が大きくなりすぎですっ!」

 

 当然響子からも反論の声は上がる。

 

「えぇいうるさいわね! どうせ写真撮ったら可愛いんだからさっさと埋まる! 渋谷さんを守りたいという気持ちに免じて、犠牲になるのはあなただけで許してあげてるのよ? それだけでもありがたいと思いなさーいっ!」
「り、凛ちゃん~」
「うっ。ご、ごめん。私、埋められるのはちょっと……」
 

 見捨てたくない思いはあるけれど、今の話も完全に否定はできないし。
 ごめん響子、ここは涙を飲んでもらうしかないみたい。

 

「プロデューサーさん! あたしはどういうことだよっ!?」
「ルール変更の要求までしたのに、最後は敵の嘘に引っかかって、挙句味方に損害を与えたのよ? そのツケはちゃんと身体で払いなさい」
「軍隊かよっ! それにいちいち言い方イヤらしいな!」
「これ以上の釈明は聞かないわ! 奈緒と響子はまず自分で埋まる穴を掘ること。その後きっちり渋谷さんとかな子に埋めてもらいなさい。あ、渋谷さん。写真もバッチリ撮っていいからね」
「ふふっ、了解。良かったねかな子」
「た、助かったよぉ~……」

 

 その後響子と奈緒は、文字通りの墓穴を掘らされた。
 私やかな子も「これも仕事」と割り切って、泣く泣く……ふりをして二人の身体を浜辺に埋めた。
 砂で出来た二人の身体は、皆口さんの指示もあって、異様なまでにボディラインが強調されたものに仕上がったのだった。

 

 

 

 

 一日の撮影を全て終え、服を着替えて控室代わりのテントから出てくると、水平線の向こう側へと沈んでいく大きな太陽が私たちを出迎えてくれた。
 

「はぁ~。終わったぁ、もうクタクタになっちゃいました……」
「あの後もスイカ割りしたりビーチフラッグやったり、またチームでサンドアートさせられたり、だったもんな。プロデューサーさんも人使い荒いよ全くっ」
「でも、とっても楽しい一日だったよ♪」
「そうだね。色々あったけど、楽しい一日だったな」

 

 初めて一緒にした仕事にしては、本当にうまくいったと思う。
 所々ハプニングはあったけど、トラブルというほどのものは一つもなかったし。

 

「あれ、そういえば皆口さんは?」
「どうしたんでしょう。そういえばさっきから姿を見ないですね」

 

 かな子と響子が首を傾げる。


「お、お疲れ様……。うぷっ」
「プロデューサーさん、どうしたんだよ!?」

 

 後ろを見ると、そこにいたのは顔面蒼白の皆口さんだった。

 私たちが出てきたものとは別のテントの中から、やっとやっとという様子で這い出てくる。
 先ほどまでの水着姿でキメていた面影はどこにもなく、今はただ見ているだけでも痛々しい有様だ。

 

「な、何でもないわ。ちょっと飲みすぎただけ……」
「この炎天下の下であんなに飲んだら、そりゃそうなるよ……」
「ぎ、ぎもぢわるい……」
 

 なんというか、取るべき落とし前を取らされたというか。
 やっぱり人間悪いことばかり考えちゃいけないんだと思わされるね。
 

「あぁーっ!」
「どうかした、響子?」
「そういえば今日、ここまで車で来たじゃないですか!」
「……あぁ、そういえばそうだったね。すっかり忘れてたよ」
「スタッフさんたちが乗ってきた車も、あるにはあるけどな」
「仕方ない。晩御飯の買い出しも兼ねて、歩いて帰ろう。奈緒、かな子。今日はありがとう。一緒にやれて、楽しかったよ」

 

 しかし二人はきょとんとした様子。

 

「何言ってんだよ、明日からもまた一緒だろ?」
「えっ?」
「聞いてなかったの? 私たちもこれから数日、合宿所に泊まることになってる、って」
「ほんとっ!?」

 

 皆口さんは近くの折りたたみ椅子に座ってぐったりと俯きながら、右手親指を僅かにサムズアップさせた。
 ダメだこの人、もう言葉を発する気力すらなくしてるよ。
 でも、もうしばらく二人と一緒に過ごせるのは素直に嬉しいな。
 その……せっかく仲良くなれたことだし、ね。

 

「最後に……浜辺で走るシーンを後ろから撮ることになってるわ……。それだけ済ませたら、あとは解散していいから……。日が完全に沈むまでに、合宿所に戻るように……うえぇ……」
「わかりましたっ! 後は私たちに任せて、ゆっくり休んでくださいっ」

 

 響子、優しいなぁ。
 もしも中村さんがお酒飲んでダウンしたとしても、私なら絶対面倒見たくないよ……。

 

「皆口さん、仕事はものすごく出来るんだけど、事務所の中だとだいたいいつもこんな感じなんだ……」
「そうなの!?」
「驚くってことはプロデューサーさん、凛の前ではこれまでずっとちゃんとしてたんだな。つまりお酒飲んだのも久々かぁ。そりゃこうなるのも仕方ないな。ま、許してやってくれよ」

 

 にひひと笑う奈緒を見ていると、そういう部署なら仕方ないかという気もしてくる。
 だいたいうちだって、人のことをあれこれ言えるほど、まともな活動をしている部署とは言い難い。

 

「じゃあ、最後のシーン撮ろうか。えっと、ここから浜辺を走ればいいんだね」
「どんな感じがいいんだろう?」
「四人で手を繋いで、最後にジャンプするのはどうでしょう?」
「いいじゃん! それで行こう!」

 

 私の左隣に響子、そして右隣には奈緒が。
 さらに響子の隣にかな子の順で手を繋いでいく。

 

「凛。これから数日よろしくな!」
「改めて、私もよろしくね♪」
「うん、よろしく二人とも」
「みんな、準備はいい? それじゃ、行くよーっ!」

 

 響子の掛け声で、みんな一斉にオレンジ色に染まった砂浜を駆けていく。

 

「3、2、1……ジャーンプッ!」

 

 四人同時に両手を上げて、跳ね上がる。
 目に飛び込んでくるのは、眩しい夕焼けとオレンジの空。
 静かにさざめく波の音が、波紋となって私の心に広がっていく。
 新たな出会いに美味しい料理。
 裸足で駆け抜けた砂浜の熱さ。
 かけあった海水の心地良さ。
 五感で感じたその全てが、脳裏に焼き付いて離れなくなりそうなほど新鮮かつ強烈で。

 

 きっと私は忘れない。
 今日という一日のこと。
 これから先も、ずっと、ずっと――。

第八話 了

 

Share on Twitter
Please reload

This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now