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第五話

 分厚い入道雲の隙間から、綺麗な夕焼けが降り注ぎ、町全体を朱色に染め上げる頃。
 シャワーを浴びて汗を流し、制服に着替えてから二人で合宿所の裏手に回ってみると、確かにそこには大きな石造りの鳥居がそびえ立っていた。
 周囲をうっそうとした竹藪に覆われているそれは、いかにも片田舎にある神社への入口と言った風情を醸し出している。
 ただ、完全に寂れきってしまっているというわけでもないようだ。
 その証拠に石段を登った先からは、子供たちの元気に遊ぶ声が微かに聞こえてくる。

 

「なるほど、確かに神社みたいだね」
「上に人がいるみたいですね、行ってみましょうか。あっ、その前に」

 

 しゃららん。

 

「鳥居、撮ったの?」
「はい。せっかく来た場所ですし、色々思い出を残しておかないと、部署に戻った時にお土産話もできませんから」
「なるほどね。じゃあ、行こうか」

 

 どこか温かさを感じる鳥居をくぐり、年季の入った石段をひとつずつ登っていく。
 階段の横幅は決して狭くはなく、大人四人くらいなら、横並びで歩けそうなくらいだ。
 登った先が見えないほど高くはないものの、かといってすぐに登り終わるほど低くもない。
 肺活量の弱い人なら、息切れを起こしてしまうだろうな。

 

「これ、何段くらいあるんでしょう?」
「今三十段くらい登ったよ。あと半分ちょっとくらいだから、全部で八十段くらいはあるのかも」
「レッスン後の足には、少し辛いかも……」
「さすがに三時間踊った後だと、ね」
「ひぃ、ふぅ……。そういえば、カメラマンさんはどうしたんでしょう? いつもは私たちの後ろから撮影してるのに」
「もしかしたら皆口さんが、何か手を回したのかもしれない。それだけここは、大事な場所ってことなんじゃないかな」

 

 そうこう言っているうちに、だんだんと階段の上の景色が見えてくる。
 やはり神社の前には大きな広場があった。
 階段から本殿までは、だいたい真っ直ぐ百メートルくらいだろうか。
 私たちから数十メートル離れたあたりでは、五人の男の子と女の子が仲良く走り回って遊んでいる。
 地元の子供たちかな。下から聞こえた声は、どうやらあの子たちのもので間違いなさそうだ。
 なんとか階段を登り切って一息ついている私に、

 

「渋谷さん、この石柱に神社の名前が彫ってあるみたいです」

 

 と、五十嵐さんが声をかけてくる。

 

「えーっと、何て読むんだろこれ」
「うーん、稲穂の穂に、含むに、お月さまの月?」
「地元の人なら、わかるかもしれないけど……」

 

 改めて周りを見渡してみても、敷地が広めの神社ということ以外は、何の変哲もない感じだ。
 一体ここに、どんなヒントがあるっていうんだろう。

 

「私、あそこにいる子たちに少し話を聞いてみますね。ここがどんな場所なのか、少しはわかるかもしれないですし」

 

 うん、お願いできるかな。
 喉元までその言葉が出掛かったところで、私は本当にそれでいいのかを自分に問い直した。
 苦手なことを人任せにするばかりじゃダメだ。
 かといって、出来ないことを無理に頑張りすぎても、決していい結果は出なかった。
 どうしたら、いいんだろう。

 

「待って」

 

 答えの出ないまま、子供の方に向かいかけた五十嵐さんを呼び止める。

 

「どうか、しましたか?」
「こんな些細なことだけどさ、五十嵐さんだけに任せていいのかな、って思って」
「あっ……」

 

 五十嵐さんも、私の言わんとするところを理解してくれたみたいだ。
 私たちはこの三日間、一見理にかなった役割分担をしたつもりで、相手に見えないプレッシャーをかけ続けてしまっていた。
 でもそれは、相手を思いやってのことじゃなかったんだ。
 ただただ、相手に失望されたくないが故の行動だったのかもしれない。
 そしてまた、ここでもそれを繰り返そうとしてる。 

 

「私が、先に話しかけてみてもいいかな?」

 

 思い切って、そう提案してみる。
 少し沈黙が続いた後、五十嵐さんは笑顔でこう答えてくれた。

 

「わかりました。ここは渋谷さんにお任せします。その代わり、渋谷さんが転びそうになったら、今度は私が手を差し伸べる番です」
「ありがとう。その時は遠慮なく、手を掴ませてもらうよ」

 

 一人が決めたことをもう一人がこなすんじゃなく、ゆっくりでもいいから、二人で決めたことに向かって進んでいく。
 それがきっと、今の私たちに必要なことなんだ。

 

 数十メートル先で笑いながら追いかけっこをしている子供たちに、私はゆっくりと近づいていく。
 出来るだけ、愛想よく、優しく、怖がられないように。

 

「ねぇっ。きみたち、ちょっといい?」

 

 私の声に反応して、その場にいた五人の子供たちが、一箇所に集まって動きを止める。
 みんな、小学校三年生くらいなのかな。
 見慣れない人に話しかけられたからなのか、ほとんどの子が不思議そうな目でこちらを見つめてくる。
 目線が子供たちに合うようにしゃがんでから、

 

「私たち、この神社のことを知りたいんだ。ここの名前、何て言うかわかる?」

 

 と、ゆっくり尋ねてみる。

 

「えーっとね。ここは、『ほふみづきじんじゃ』っていうんだよ」

 

 真ん中にいる元気そうな男の子が、そう答えてくれる。

 

「穂含月……そう読むんだ。ありがとう、えっと……」
「みんなは普段から、ここで遊んでるの?」

 

 二の句を継ぐのに困っていると、五十嵐さんが助け舟を出してくれる。
 すると、男の子の隣にいた可愛らしい女の子が、それに答える。

 

「そうなの。はるから学校に入れなくなっちゃったから、あたしたち今はいつもここであそんでるの」

 

 なるほどね。
 今私たちがいる場所は、去年までこの子たちが通っていた場所なのかもしれない。
 これ以上のことは、神社にいる人に聞いた方が良さそうだ。

 

「ここには誰か、大人の人、いる?」

 

 別の男の子にそう聞いてみると、 

 

「うん、いるよ。でも、ばぁばはがさっき『今すこし忙しいから、夜になるまでは出てこられない』って」

 

 と、少し不満げな返事が帰ってくる。

 

「えっ、そうなんだ。どうしようかな……」
「仕方ないですね。しばらくここで待たせてもらいましょうか」

 

 その人になら、もっと詳しい話が聞けるはず。
 まぁ時間はあるし、五十嵐さんの言う通りにしよう。
 少し五十嵐さんにも助けてもらったとはいえ、結構うまくやれたんじゃないかな。

 

「わかった。みんな、どうもありがとう」

 

 お礼を言って立ち上がった私を、

 

「ねぇ、長いかみのおねえちゃん」 

 

 と、眼鏡をかけた女の子が呼び止める。

 

「ん、何?」
「おねえちゃん、もしかして……しぶやりん?」

 

 その子は首から下げたスマートフォンの画面と、私をぱちくりした目で見比べている。
 直後、そのスマートフォンから大きな音で音楽が流れ始める。
 流れ始めた曲は、ニューカミングレースの『My Dearest』。
 うわっ、まずい。
 今スマホから鳴り響いてるの、誰がどう聞いても私の声だ。

 

「やっぱりそう! どうがとこえも見た目もおんなじだもん! みんなこれ見て!」
 

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。
 子供たちは一斉にスマートフォンに注目したかと思えば、画面の中で歌い踊っているであろう私と、実際に今ここにいる私とを、間違い探しでもするかのように見比べているようだ。
 

「すっげー!! ほんものだ! ニューカミングレースの、しぶやりんだ!」
「あたしテレビで見たことある!」
「おれもおれも! サイン、下さい!」
「ずるい! わたしがさいしょに、気づいたのに!」
「あくしゅ! あくしゅしてよ!」
「ちょ、ちょっと待って!!」

 

 瞬く間にもみくちゃにされてしまう私。
 すっかり立場を忘れていたせいか、アイドルとして気づかれてしまうなんてこと、全く考えていなかった。
 ……そうだ、今こそ差し伸べられた手を掴むときなんだ!
 五十嵐さん、助けて!

 

 しかし彼女は、私と子供たちを微笑ましそうに見つめている。
 さらにあろうことか、

 

 しゃららん。

 

 なんとポケットから取り出したカメラで、私たちのことを写真に撮っているではないか。
 

「五十嵐さん! 手を差し伸べてくれるんじゃ……!?」
「あはは、ごめんなさい。すっかり人気者だったみたいですから、つい撮っちゃいました」

 

 五十嵐さんはゆっくり子供たちに近づくと、

 

「みんな落ち着いてっ。せっかくだし、日が暮れるまで少しだけお姉ちゃんたちと遊ぼっか。そうだなぁ……。鬼ごっこの続きはどう? みんなでこのお姉ちゃんを……渋谷凛を捕まえるの!」
「えっ、ちょっ、冗談でしょ?」

 

 私の顔が青ざめていくのもお構いなしと言わんばかりに、

 

「やるーーーっ!」
「わたしもっわたしもっ!!」

 

 子供たちは次々と喜びの声を上げていってしまう。
 こんなのどう考えたって、捕まったらただじゃ済まない。
 目をきらっきらに輝かせた"六人"の子供たちが、今か今かとばかりに、こちらにじりじりと迫ってきている。

 

「それじゃあみんな、よーっい……どんっ♪」
「う、うわぁああああああああああ!!」

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」
 

 数時間前までとは打って変わって、今度は私が息切れする番だった。
 レッスンで鍛え上げた猛ダッシュで、なんとか六人を撒いたものの、神社の裏手に回ったり、周囲の竹藪を走り回ったり。
 三十分近くもそれを繰り返したせいか、さすがに体力も限界に近い。
 今は賽銭箱の裏に隠れられているが、ここもいつみんなに見つかるかわからない。

 

「あっ、いた!!」

 

 やばっ、見つかった! 逃げなきゃ!
 右側に五人の子供がいるのを確認した私は、すぐに左側に走ろうと立ち上がる。
 が、次の瞬間。


 とても、暖かかいものに抱きしめられた。 二の腕の下から回された二本の細い腕は、私の背中をぎゅっと引き寄せるためのもの。 ふわふわと揺れるサイドテールが、首や頬をくすぐりこそばゆい。 驚きながら目線を少し下へ移す。 そこにはこの三日間で、一番素敵な笑顔の花が、眩しい夕焼けを一身に浴びて咲いていた。

 

「ふふふっ。"凛ちゃん"捕まえた♪」

 

 あぁ。
 やっと、名前で呼んでくれた。
 不思議と今この瞬間、この三日間の苦労は全て報われた気がする。
 わざわざ起こしてくれたのに、二度寝してしまったこと。
 自分のレッスンメニューに、無理に付き合わせてしまったこと。
 料理を失敗してしまったこと。
 無愛想が故に、気を遣わせ続けてしまったこと。
 色々失敗もしちゃったけど、たったこれだけのことで良かったんだよね私たち。

 

「あははっ……。挟み撃ちか。なかなかやるね、"響子"」
「凛ちゃんこそ。六人から三十分も逃げ通しなんて、ちょっと体力ありすぎですっ」
「鍛え方が違うから。それこそ誰かさんみたいに、レッスン中に転んだりしないためにもね」
「あーっ! 今そのこと言うんですかっ!? そういう凛ちゃんはサラダもまともに混ぜられないのに!」
「そ、それは――」

 

「凛おねえちゃーんっ!!」

 

 今度は背後から大きな声をかけられる。
 そうだ、まだこの子たちの相手という仕事も残っていたんだった。
 子供たちの方に向き直り、近寄ってくる一人一人の頭を撫でる。
 よくよく見てみると、この子たちの笑顔も響子に負けないほど眩しく輝いている。

 

「……はいはい、今日は私の負け。ペンがないからサインはできないけど、全員と握手しながら写真撮ってあげるからさ」
「いいのっ!?」
「その代わり、それが済んだらすぐお家に帰るんだよ。あんまり遅くなると、お父さんとお母さん、心配するだろうし」
「うんっ!!」

 

 やれやれ。
 これでなんとかなりそうか。
 本当はこういうことするの、あんまり良くないんだけど。
 まぁ子供相手だし、周りにスタッフさんもいないし、たまにはいいよね。
 賽銭箱の裏から表に移動してから、改めて自己紹介をする。

 

「はじめまして。ニューカミングレースの、渋谷凛です。さっきも言ったけど、今日はお仕事の都合でこの神社に用があって来たんだ」
「すごーいっ! やっぱり、ほんとのほんとに、本物なんだっ!!」
 

 最近ロケバスでの移動が多くなったせいか、こういうのも久しぶりな気がする。
 何度言われてもあまり慣れないけど、アイドルとして頑張った成果だと思うと、もちろん悪い気はしない。

 

「あぁ、それとね。言い忘れてたけど、こっちのお姉ちゃんも、アイドルなんだ。デビューしたばっかりだから、みんなはまだ知らないかもしれないけど」
「凛ちゃん、私は……」

 

 響子は苦笑いを浮かべながら、遠慮がちな仕草でカメラを構えようとする。

 

「あたし、おねえちゃんとも写真とりたいっ!」
「ねぇねぇ、おねえちゃんのお名前、おしえて?」

 

 目線の先には、きらきらと輝く十のお星さま。
 その光の降り注ぐ先が、私だけじゃないということは、誰から見ても明らかだった。

 

「ほら、小さなファンが待ってるよ。私もカメラ持ってきたし、写真撮ってあげる」

 

 ポケットから自分に与えられた、青いカメラを取り出して見せる。

 

「えっと、それじゃあ……。はじめまして。私、五十嵐響子です。普段は、プレイアデスってユニットで活動してるんですけど、今は色々あって、渋谷凛ちゃんと期間限定でユニットを組んでいます。趣味は家事全般で――」
「響子おねえちゃんっていうんだ!」
「どこからきたのー?」
「うたってみせてー!」
「響子おねえちゃんとも、あくしゅしたい!」
「つきあってる人、いるー?」
「えぇっ!? そ、そんな人いないですっ! それに、こんないっぺんに聞かれても……」
「ふふっ。お姉ちゃんとしては完璧でも、アイドルとしてはまだまだ、ってところかな」

 

 しどろもどろな対応をしている様子は、さっきまでの優しいお姉さんという印象とはまるで違うもの。
 困惑気味な響子が可愛くて、ついつい意地悪を言ってしまう。
 私もデビューしたての頃は、よくそういうの聞かれたっけ。

 

「そ、そういう凛ちゃんは……どうなんですかっ」

 

 不満そうな表情でこちらに話を振る響子に、

 

「私? 私はファンのみんなが恋人だよ」

 

 と、営業スマイルで言い返す。

 

「ずるいですっ! 自分だけそうやって!」
「アイドル活動に誠実、と言ってほしいかな」
「じゃあ、ぼくも凛おねえちゃんのこいびとなのっ?」
「わたしもっ!?」
「そうだね。私のファンになってくれたら、だけど」
「なるっ! 明日がっこうで、じまんするんだ!」

 

 なんだ。小さな子たちとも、案外簡単に話せるじゃないか。
 怖がられると思ってたの、今になってみると馬鹿みたいだ。
 普段握手会に来るような人は、年上か同年代がほとんどだけど、今度からは年下の子が来ても、上手くやれそうな気がしてきた。

 

「じゃあ、写真撮ろっか。私が先に響子たちを撮るよ」

 

 子供たちは一人ずつ順番に響子の隣に立ち、神社をバックにして私の青いカメラのフレームの中に収めていく。
 それから今度は私も同じように、響子の赤いカメラが写真を撮っていく。
 写真を撮られることには慣れているものの、こうして私たちに触れ合ってくれた一人一人の笑顔を、自分の手でカメラに収めるというのは、初めての経験だ。

 

「全員撮り終わったね。これデジカメだから、今すぐ写真は渡せないんだ。だから、今度そこの学校に遊びに来て。写真はそのとき、必ず渡すよ」
「また、あえるのっ?」
「うんっ。私たちもお仕事で来てるから、毎日遊んではあげられないけど……」
「わかった! じゃあこんど、ぜったい学校に行くからねっ!」
「うん、約束だね」

 

 階段を駆け下りていく子供たちを眺めながら、ふぅと一息つく。

「ホント、元気な子たちだったね」
「はいっ。なんだか元気を、分けてもらった気がしますっ!」
「こういう時間も、必要だったのかもね。私たち、ここに来てから色々一杯一杯で、全然遊んだりしてなかったし」
「あははっ。息抜きも大切、ってことですね」

 

「――もしかして、子供たちの相手をしてくれていたのは、あなたたちかしら?」

 

 

 

 

 背後からの呼びかけに振り向くと、そこにいたのは六十歳くらいの眼鏡をかけたおばあさんだった。
 年配の女性らしく、浅葱色の着物を見事に着こなすその姿に、思わず惚れ惚れしてしまう。
 神社を見ると、さっきまで閉ざされていた本殿の扉が開いている。
 ということは、この人が子供たちの言っていた『ばぁば』で間違いない。

 

「はい。あの、はじめまして。私、渋谷凛です」
「五十嵐響子です。突然ごめんなさい、少しお伺いしたいことがあって……」

 

 何から話せばいいのか考えている間に、

 

「私は穂含月神社を管理している、小山と言います。ここに用があってきたんでしょう? どうぞ、中へいらっしゃい」
 

 優しげな声と共に、本殿の中から手招きする小山さんに従い、


「……お邪魔します」

 

 と、一声挨拶してから、靴を脱いで、畳の上へと上がらせてもらう。
 響子も私同様、おっかなびっくりと言った様子だ。

 

「私、神社の本殿なんて入ったの初めてです」
「私も。まぁ、普通はなかなかこんな機会、ないと思う」

 

 周りをきょろきょろを見回すと、普段見慣れない様々な道具が置いてある。
 どれも何のためにあるのか、よくわからないな……。
 それでも、部屋の中央奥にあるのが神棚だということだけはすぐにわかった。
 上から恭しく垂れ幕のようなものが下げられているが、奥にあるのはどうやら何かの絵のようだ。
 巫女さん、なのかな。それも、二人の。

 

「そこに座って。こんな場所だからお茶もお菓子も用意できなくて申し訳ないけれど」
「いえ、そんなお構いなく……」

 

 そう言いながらも、私は響子と並んで、言われた通りに神棚に向き合う形で座る。
 やっぱり、正座してた方がいいよね。
 いや、ここって神社だし、何か別の作法があったりするのかな……?

 

「そんなに固くならないで。足も崩して構わないわ。神社と言っても、ここはそんなに権威ある場所でもないのよ。神様がいるんだなぁと思って、最低限の節度だけ守ってくれれば、それで十分よ」

 

 私たちの正面、神棚を背にして座った小山さんの言葉を受けて、少しだけ座っている足を崩す。
 響子は周囲が気になるようで、座っていても落ち着かないのか、妙にそわそわしているようだ。
 ここは私が、話を進めた方が良さそうだ。
 でも、何から話せばいいのか……。
 そう思っていると、

 

「話は裕子さんから聞いているわ。あなたたちが、最近月海にやってきたアイドルさんなんですってね」

 

 雰囲気を察したのか、小山さんの方から改めて話を振ってくれる。

 

「……裕子さん?」
「皆口さんのことですね」

 

 響子が小さな声で、私の疑問に答えてくれる。

 

「ごめんなさいね。私今の若い子の文化には疎くて。生憎あなたたちのことも存じ上げないの。裕子さんが芸能関係のお仕事をしているのは知っているけど、私はそれとは全く関係ない立場で、彼女と知り合いだったものだから」
「いえ、そんな。私なんてまだ全然デビューしたてで、有名でもなんでもなくてっ。あっ! でも、凛ちゃんは、その……」

 

 自分で墓穴を掘るならまだしも、人を墓穴に埋めるようなことしないでよ……。
 眉間に皺を寄せて、わざとらしく「んんっ!」と咳払いをして、場を仕切り直す。

 

「私たち、ここには仕事で来たんだけど、今ちょっと色々上手く行ってなくて。でも、ここに来れば何か見つかるかもしれないって言われたんだ」
「そ、そうなんです。何かこの神社には、秘密があるんでしょうか?」
「秘密というほどのものはないわ。あるのは、ちょっとした伝承くらいのものよ」
「伝承、ですか?」
「えぇ」

 

 小山さんは穏やかな笑みを浮かべている。
 その伝承というのが、私たちのユニット活動に関するヒントなのかな?

 

「ここはね。ある二柱の神様を祭る神社であると同時に、その神様たちに仕えた巫女たちを祭る神社でもあるの」
「巫女たち? ってことは……」
「えぇ。神様同様、巫女も二人いたの。それもその巫女たちは、同じ日に生まれた双子だったそうよ」

 

 そう言われた瞬間、私と響子は思わずお互いの顔を見合わせていた。
 正直、まさかという思いが先立った。
 けど、小山さんの佇まいはドッキリ企画にしてはあまりにも自然体すぎる。
 何よりも、今日ここまでの流れが全部仕込みだなんて到底思えない。

 

「聞かせてくださいっ、その巫女さんたちのお話っ!」
「私も、聞きたい」

 

 小山さんは待っていたと言わんばかりに、

 

「えぇ、わかったわ」

 

 と答えてくれる。
 優しく目を細め、口元には微笑みを浮かべながら、小山さんはゆっくりと、月海にまつわる伝承を語り始めた――。

 

 

 

 

 遥か昔より、月海の地には二人の神様がいました。
 一人は、月の神様。もう一人は、太陽の神様です。
 月の神様は豊穣の大地を、太陽の神様は恵みの海を、人々に与えていました。
 神様は二人とも、歌と踊りをこよなく愛していました。
 二人はそれぞれが気に入った少女を巫女として選び、その少女を通して、人々にご神託を与えていたのです。
 一度選ばれた二人の巫女は、数十年に渡って、それぞれの神社に仕え続けました。
 そしてお役目が終わる頃、また新たな若い巫女が選ばれる。
 月海の地ではそんな慣習を、長い間大事に続けてきたのです。

 

 しかし、今から五百年ほど前のこと。
 なんと二人の神様が同じ女の子を、巫女として自分の元へ仕えさせるよう求めた時がありました。
 人々は巫女を神様に捧げ奉ることで、月海の地の平穏と安全を保ってきました。
 もちろん長い時代の間には、巫女が不在だった時代もありました。
 当然その時代の人々は、神様からのご神託を得られません。
 そのため、作物の不作による飢えや、流行り病と戦うことになるのが常でした。
 五百年前月海に住んでいた人々は、それを恐れました。
 月の神様を祭る山側の住民と、太陽の神様を祭る海側の住民は、一人の巫女を取り合って、争いを始めてしまったのです。

 

 そんなとき、一人の少女が名乗りを上げます。
 その少女は、二人の神様が求めた少女の、双子の妹でした。
 彼女は姉とは全く異なる性格でしたが、姉のように振る舞い自分を捨てました。
 つまり彼女は、自らが姉の分身になることで、月海の地に平穏をもたらそうと考えたのです。
 月海の地の二人の神様も、そんな妹の健気な姿に免じてくれました。
 しかし、どちらの巫女が本物で、どちらの巫女が偽物かが人々にまでわかってしまうと、再び月海の地は巫女を巡った混乱の中に逆戻りしてしまうでしょう。
 ですから、どちらの神様も便宜上『自分のところにいる巫女こそが、最初に自分の選んだ本物の巫女だ』ということにして、その場を丸く収めたのです。

 姉は太陽の巫女として、海の「睦び月(むつびづき)神社」へ。
 妹は月の巫女として、山の「穂含月神社(ほふみづき)へ」。

 

 こうして仲の良かった双子の少女たちは、それぞれの神社へ仕えることになりました。

 

 そして、月日は流れ数年後。
 ある時月の巫女は、大好きだった姉と離れた悲しみから、神様に歌や踊りを納められなくなってしまいました。
 神様たちは『それぞれの神社にいる巫女こそが本物』という建前があるため、双子が同じ場所に揃うことを、許すことができない立場にありましたが、ある時そんな月の巫女を見かねた太陽の神様は、たまたま起こった日食にかこつけて、月の巫女のいる穂含月神社まで太陽の巫女が向かうことを、こっそり見逃してくれたのです。
 その夏たった一日だけ太陽の巫女と再会し、お互いを思いやる気持ちを、お互いが変わらず心に持ちづつけていることを確かめた月の巫女は、以前までと同じように、神様への歌と踊りを納めることができるようになったのでした。

 

 それからというものの、終生お互いを思いやり続けた巫女たちと、その思いを汲んだ二人の神様を称えるお祭りが、月海の地では催されるようになりました。
 毎年7月24日。
 夏の盛りに開かれるお祭りは、今となっては時季外れの七夕祭りだと思う人もいますが、実際はそうではありません。
 食甚祭(しょくじんさい)。
 それがこの月海の地に伝わるお祭りの、本当の名前――。
 

 

 

 

 本殿を出て周りを見渡すと、辺りはすっかり真っ暗になっていた。
 そんな中、月明かりだけが煌々と光り輝いて、私たちを優しく照らしてくれた。
 広場を包む心地良い空気には、どこか温かくも懐かしい、潮の匂いも混ざっている。
 夏の宵を穏やかに吹き抜ける風を、胸いっぱいに吸い込むと、これまでの迷いもその中に溶けていくかのようで。

 

 私はゆっくり歩きながら、さっき聞いたばかりの伝承を、静かに頭の中で反芻させていた。
 響子も私と同じように、伝承について思いを馳せているのか、どこか遠くを見たまま口を開こうとしない。
 緊張しているわけでもなく、弛緩しているわけでもない、不思議な静寂。
 でも、なぜかそんな今この瞬間が、たまらなく愛おしい。

 

「私たち、思ってた以上に上手く嵌められたみたいだね」
 

 先に沈黙を破ったのは、私の方だった。

 

「あの人たち、一体どこまでわかっててこんなことをしたんでしょう? 誕生日のこと、私たちの相性のこと、七夕のこと、合宿所のこと、この土地のこと。そして今の、伝承のこと――」
「正直この道そのものは、最初から全部仕組まれてはいたとは思う。でも、そこを走ることまで無理強いするような人たちでもないから」
「じゃあ、ここから先は……」
「そう。本当に、私たち次第」

 

 響子は私の言葉を聞いたきり、その場で歩みを止めてしまった。
 彼女が立ち止まった場所から数歩先、神社を下る階段のすぐ近くで、私は後ろを振り返る。

 

「多分来月のライブさえきっちりやりきれば、たとえ一ヶ月間ずっと学校の中でレッスンしてるだけだとしても、プロデューサーたちは何も言わないと思う。でも――」

 

 そしてまた、一陣の風がふわりと私たち二人を包み込む。
 たなびく髪を抑えながら、私は響子にこう告げる。

 

「これだけの舞台を揃えられたらさ。もうやれることは全部やりきるしかないと、私は思う」
「……」

 

 響子の表情には、まだ迷いが見えた。
 長い睫毛を切なげに動かし、私と目を合わせようとしてくれない。
 どうして、迷うのだろう?
 まだ何か、引っかかるところが、あるのかな。

 

「そういえば、響子はどうしてアイドルをやってるの?」
「えっ……?」

 

 迷いの色は、さらに濃いものへと変わる。
 私はしばらく、響子を真っ直ぐ見つめ続けた。
 俯きがちな顔。瞳は揺らぎ、手は所在なさげに胸の前で左右している。
 後ろめたさというよりも、どう答えていいかが、純粋にわからないのだろう。
 正直346のアイドルって結構変な子多いし、プロデューサーたちだって、ちょっとネジが飛んじゃってるような人ばっかりだ。
 強い主体性を持ってアイドルになる子もいれば、同意があるとはいえ半ば拉致のような形でスカウトされるような子もいると聞く。
 きっと響子は、後者のタイプなのだ。
 だからこの先にある、引き返せなくなるだけの何かを、本能的に感じ取ってしまっているのかもしれない。

 

「もしかして、"ニューカミングレースの渋谷凛"からの問いかけだと思っちゃったかな。なら、ごめん。そういうつもりはなかったんだ。ただ、純粋に気になっただけ」
「いえ、私こそごめんなさい。はっきり答えられないなんて、かっこ悪いですよね」
「ううん、別に。じゃあさ、こうしようよ」

 

 今度は、優しい笑顔で響子に告げる。
 今日、この町の子供たちにそうしたように。

 

「本気に、なってみよう。私と一緒に。響子となら、ユニットコンセプトも見つけていける気がする。何かすごいこと、やれそうな気がするんだ」
「凛ちゃん……」

 

 今度は響子も、私の瞳を真っ直ぐに見つめてくれた。
 私が響子に出来ること。
 それはきっと、アイドルの本当の楽しさを、彼女に教えることなんだ。

 

「わかりました。私、頑張ってみます。出来ることは、きっとそんなに多くない。けど、私は私なりに」
「うん、それで構わない」
「じゃあ、私からもひとつ、いいですか?」
「何?」

 

 数歩分空いた、今の私たちの間隔。
 その距離を、一歩ずつ、でも確かにこちらへと歩み寄ることで縮める響子。
 酷く引き延ばされて感じる、時間の流れ。
 

「私……いえ、私たち。きっとここ――月海町のこと、大好きになれると思います。前に買い物に行ったとき、凛ちゃん言ってましたよね。『今の私って周りがあんまり見えてない』って」
「……うん」
「なら、私と一緒に、この町の色んなものを見てほしいです。感じて、味わってほしいです。太陽の熱さも、風の涼しさも、海の冷たさも、のどかな風景も、学校の匂いも、美味しいご飯も、人の温かさも。全部っ!」

 

 響子はそのまま、私の横に並んだかと思うと、私の左手を右手でぎゅっと強く握りしめた。
 喜び、切なさ、憧れ、不安、そして期待。
 すべてがない交ぜになった熱っぽい瞳と、暗闇の中月明かりに照らされて浮かび上がる、微かに上気した頬。

 

「わかった。私も、見たいよ。響子と同じ景色」
「ふふっ、ありがとうございますっ」

 

 ふと空を見上げると、そこには煌々と光る月と、きらきら輝く満天の星々。
 そして夜空に横たわる大きな天の川。
 最初ここに連れて来られた時にも見たけど、今日はなんだか数日前に見たそれとは、少し違って見える。

 

「なんだか、不思議です。まるで、初めてステージに立ったときみたいな気持ち……。ファンの方がたくさんいて、サイリウムを振っていて、私たちを出迎えてくれて、手を伸ばせばあの輝きひとつひとつに手が届きそうな気さえします」
「奇遇だね。私も今、同じこと考えてた」

 

 左手をゆっくりを夜空に伸ばす響子。
 私も同じように、右手を高く掲げてみる。

 

「織姫と彦星、太陽の巫女と月の巫女か」
「そして、同じ年の同じ日に生まれた私たちが、今こうしてここから、同じ空を見上げている」
「これって、奇跡ってやつなのかもしれないね」
「はい」
「行こう響子。私たちの、私たちだけの、道を」
「はいっ、凛ちゃん」

 

 

 この広すぎる世界で。
 どれだけの人が、大切な何かとめぐり逢えているのだろう。
 この狭すぎる世界で。
 どれだけの人が、大切な何かとすれ違ってしまっているのだろう。
 この広くて狭い世界で。
 どれだけの人が、大切な何かを大切に思えているのだろう。

 今日、ほんの少しだけ見えてきたかもしれない。
 私だけの、大切な何か――。

第五話 了

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