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第六話

「んー! 今日も快晴!!」

 

 早朝だというのに、合宿所の屋上はすでにかなりの暑さになっています。いやぁ、夏って感じですねぇ。
 物干し竿に洗ったばかりのシャツを干しながら、私は両腕をおもいっきり空へと上げ、背筋もピンッと伸ばしました。
 そうそう、人は疲れてる時や落ち込んでる時、ついつい背中を丸めちゃいますよね。でも、そんな時こそ背伸びをしないといけないんです。
 背筋を伸ばし、胸を圧迫しない姿勢をとる。そうすると呼吸が深くなって、酸素が脳にいっぱい行き渡るようになるそうです。だから頭も冴えてくるんですって。落ち込んでる時に顔を上げるってのは、意外に理にかなってる気もしますね。
 もっとも、私が今こうして背筋を伸ばしてるのは単に気分がいいからで、このうんちくは必要なかったんですけど。
 あ、でも綺麗な姿勢はお肌にもいいって聞きますし、全く無駄なわけじゃないですよね?

 

「響子、これちょっと大きい。手伝って」
「はいはーい!」

 

 洗濯物の影に隠れて聞こえる凛ちゃんの声。

 

「むぅ」

 

 布団にかかっていた大きく真っ白なシーツを広げ、凛ちゃんは困った顔をしていました。
 ふふ、あの感じだと、どう地面に付けずに干すかを悩んでる感じかな?

 

「凛ちゃん、凛ちゃん。別に広げてから干さなくても、物干し竿に引っ掛けてから横に伸ばせばいいだけだよ」
「あ、そっか……」

 

 そんな単純な事を何故思いつかなかったんだろう、と少しだけ頬を赤くした彼女は、軽々とシーツを物干し竿に引っ掛け伸ばし始めました。
 この物干し台はちょっと高めの作りになっているので、凛ちゃんぐらいの背がないと、余裕をもって干したり出来ないんですよね。長身羨ましいなぁ。シーツを干すだけで絵になっちゃうとかズルい。
 ってことで、えいっ!

 

 しゃららん。

 

「あ、コラ。写真なんか撮ってないで、どんどん洗濯物干すよ」
「えへへっ」

 

 撮ったばかりの写真を確認。
 そこには穏やかな顔でシーツを干す凛ちゃん。

 

「私、この笑い方の凛ちゃん好きだな」

 

 346のトップアイドル、ニューカミンググレースの渋谷凛。
 今はそんな彼女を、私だけが独り占めしている状況なわけで。
 中村プロデューサーの言っていたプライベートな写真。それがどんなものなのか、最初はよく分かりませんでした。

 でも、今この写真を見ていればわかります。TVや雑誌とは全然違う、凛ちゃんの表情。
 うん、すっごい素敵だと思います。

 

「ちょっと響子? 早く洗濯物干し終らないとレッスンに間に合わなくなるよ?」

 

 おっとっと、あんまりさぼってると本当に怒られちゃいそう。
 デジカメをジャージのポケットにしまった私は「はーい!」と元気よく返事をして、凛ちゃんの元へと駆け出しました。

 

 

 

 

 いち、に、さん、し、ここで左にターン。
 次は右足から前に五歩、いいぞ!

 

「……ふっ!」

 

 右手を真横に伸ばして人差し指を立て、その指で観客席をなぞるように水平に動かして、うん、足はステップを止めない……あ! ひええぇ、汗が目に!
 だめだめ! 集中集中!

 

「それ!」

 

 ここで凛ちゃんと左右のポジションチェンジをして!
 いち、に、さん!
 刹那、凛ちゃんとすれ違う時、私に見えたもの。

 

「がんばれ」

 

 言葉は聞こえませんでしたが、彼女の唇はそう動いていました。
 その言葉は私に力を与えてくれて!

 

「……っ!」

 

 よし、ふんばれ、五十嵐響子! 
 あとちょっと! あとちょっとで!
 右、左、右、ここで……!

 

「はい!」

 

 私は、楽曲が終わるの同時にバシッとキメポーズ取りました。
 どうでしょうか!? これ行けたのでは?

 

「はぁはぁはぁ……や、やった?」

 

 音楽が止まり静寂の訪れた体育館。

 一瞬間を置きトレーナーさんの称賛の拍手が響きはじめました。

 

「よし、よくやった五十嵐! ノーミスだ!」

 

 その言葉を聞いた私は、糸が切れたかのようにペタンと座り込みました。

 

「や、た……はぁはぁ……」

 

 

 今回のライブで披露する楽曲中、最高難度の振り付けである『君の知らない物語』。
 その通し稽古が、今完全に決まりました!
 それも、ちゃんと凛ちゃんと一緒に合わせて踊ってです!
 隣で私と同じように息を切らせている凛ちゃんが、ニコリと笑いかけてくれます。その笑顔を見て、死にもの狂いで行われた二日半の特訓も報われた気がしました。

 

 三日前の穂含月神社。
 私は凛ちゃんと夜空に浮かぶ月を見上げました。
 あの時、私は少しだけ変わりました。
 ううん、変わろうと思ったんです。

 

 ――私にとってのアイドルって何だろう?

 

 皆口さんにスカウトされ、アイドルになってから数ヵ月。
 私は彼女から出される無理難題に挑戦することに精一杯で、とてもじゃないですが「自分が何故アイドルになったか」なんて考えることはありませんでした。
 才能があると言われてスカウトされたから、なんとなくやりはじめただけなんです。
 それに慣れない都会の生活と、アイドルとしての忙しい日々。そんなものに忙殺され、私には考えごとをする余裕なんかなかったんです。
 でも本当に?
 ううん、違う。違うんですよ。
 私は色んな理由をつけて、考えることをやめたがっていたんです。
 本当は、考える時間はあったんです。
 でも、流されていた方が楽だから。
 その方が言い訳もできたから。

 

 ――私は頑張っています。

 

 そう言えることは、どれだけ幸福なことなのか。
 そんな忙しい状況を皆口さんが作ってくれる事で、私は自分を見つめることをしなくてよかったんです。
 思えば実家にいる時だってそうでした。共働きの両親をサポートして、弟や妹達の面倒を見続ける忙しい日々。そうやって誰かに私の時間を与えることで、私は考える事から逃げることができていたんです。
 考えるのが怖かったから。

 

 だって自分で何かを選んでしまったら。
 そしてそれが上手くいかなかったら。
 きっと、どう後悔していいか分からなくなるって思ったから。

 

「本気に、なってみよう。私と一緒に」

 

 私は凛ちゃんの言葉をもう一度思い出します。
 凛ちゃんにとっての本気がどんなものなのかはわかりません。でも、まずは私にとっての本気が何か、それが問題だったんです。
 私が本気になるためには、何を選べばいいんでしょうか?。
 この月海町でそれを教えてくれる人は、誰もいませんでした。
 それもそのはずです。
 今、この街にいる私たちの時間。それは全部私達のためにあるのだから。

 

 だから私は選んだんです。
 凛ちゃんの隣に居ても笑われない私でいようって。その覚悟を持とうって。
 その覚悟は本当のものだって自分自身に証明する挑戦。
 それが凛ちゃんも手こずる難易度のダンスを、三日間でマスターするってことだったんです。

 

「ナイス、響子。こんなにも早く、二人そろって最後まで踊れるようになるなんて。私自身も想像できなかったよ」
「え、えへへ」

 

 まだ座り込んでいた私に、凛ちゃんが手を差し伸べてくれました。
 その手を力強く握り立ち上がります。まだかなりしんどいですけど、今は喜びの方が大きくて、こんな疲れは全然へっちゃらな感じです。……まぁ、足はガクガクしてるんですけどね。
 トレーナーさんは生まれたての小鹿のようにフラフラしている私の肩をポンと叩くと、まるで自分の事のように喜んでいてくれました。

 

「五十嵐、まさか三日でここまで来るとは。すごいじゃないか!」
「が、がんばったので!」

 

 うん、がんばった。私、がんばりました。
 誰かの為じゃなく、自分で決めて、がんばったんです!
 私は両の手の平を見つめると、グッと握りこぶしを作りました。 
 自分の意志でがんばった、という実感がここまでの充実感を生むなんて。

 

 ――これなら私、ちょっとは変われたかな?

 

 心の中はまだ疑心暗鬼。
 でも喜びに打ち震える拳が、きっとその答えなのかなって思えたんです。

 

 

 

 

「おばさーん! ここから収穫していけばいいんですかー!?」
「そうだよー! ガッツリ行っちゃいなー!」

 

 私はTシャツの短い袖をさらに肩までまくり上げると、大きく鼻息を鳴らします。
 よーし。
 地面から生えた大きな葉っぱを根本でまとめるように掴み――

 

「えいっ!」
 

 思い切り垂直にそれを引っ張ります!
 って、ええ!?

 

「うわぁ!」

 

 長い間地中に隠れていたそれは、お日様の下に顔を出した途端、私に牙を剥いてきたんです。
 土は盛大に飛び散り、私はそのままの勢いで尻もちをついてしまいます。

 

「いったーい!」
「ちょ、ちょっと響子、大丈夫?」

 

 大きな籠を持ち私の獲物を待っていた凛ちゃんが、慌てて駆け寄ってきました。

 

「だ、大丈夫です。こんな簡単に抜けちゃうなんてびっくりしちゃって」
「ぷっ、そ、そうだね」

 

 凛ちゃんが急に吹き出しました。
 肩が小刻みに震えています。これ知っています、ツボに入ったってヤツですよきっと。

 

「響子ちゃん、どこも怪我しなかった……って、あはは、どうしたんだい、それ!」

 

 畑の主である桑島のおばさんも私たちのところまでやってくると、凛ちゃんと同じように笑いはじめました。
 なんなんですか?

 

「いや、面白いよ、響子、すごくいい」

 

 まだ笑いが収まらない凛ちゃんは、ポケットからデジカメを取り出し構えます。

 

「ほら、せっかくの大収穫なんだから、記念撮影しておこ?」
「あ、うん。えと、ピース!」

 

 私は手にした大きく白く細長い物体……そう、大根を手にブイサインをしました。

 

 しゃららん。

 

 聞きなれたシャッター音。
 隣でおばさんも大笑いしながら、その様子を眺めていました。

 

「まったく、凛ちゃんだっけ? いい性格してるね」
「そ、そうかな?」

 

 おばさんのその言葉に、凛ちゃんはバツが悪そうに鼻の頭をかきました。

 

「ああ、響子ちゃん。その辺の土はそんなに固くないし、大根もそんなに力入れんでも採れるからさ。もっと気楽にね」
「わかりました! じゃ次はもうちょっと手心加えていきますね!」
「手心って……」

 

 再び凛ちゃんが顔を手で隠し笑いはじめました。
 あ、あれ? 言葉のチョイスおかしかったかな?

 

「もー、凛ちゃん笑ってばかりいないで、はい」
「ん……」

 

 凛ちゃんに大根を渡すと、彼女はそれを籠の中に入れながら「た、耐えられない……」と言いながら、またもや肩を震わせました。

 

「凛ちゃん?」
「ううん! なんでもないよ! 響子はいつまでもそのままでいて! うん!」
「?」

 

 さて、今の私たちの状況がどうなっているか説明しましょうか。
 振り付けは上手くいったものの、連日の特訓で私たちは疲労困憊。そのせいか急にモチベーションが下がってしまったんです。
 それでこれまでのスケジュール消化を調べてみると、予定よりも随分進行が早いことがわかって。だから今日はもうリフレッシュデーということで、午後からのレッスンはお休みにしちゃったんです。
 そうそう、スケジュールは皆口さんが決めているのではなく、私と凛ちゃん二人で決めているんですよ。こういう所もまた、考える事から逃げられないって感じがしますね。
 そんなわけで「今日はゆっくり休んで、また明日から頑張ろう!」って方針に決まったはずだったんですけど。
 それがまさか――

 

「結構体力使った気がする……」

 

 凛ちゃんが大根の入った籠をドスンと地面に降ろすと、桑島のおばさんも苦笑いで頷きます。

 

「今日はまた一段と暑いからねぇ」
「でも楽しかったよ、大根抜くなんてはじめてだったし」

 

 休日を満喫しようと、凛ちゃんと私はコンビニでアイスクリームを買うと、それを頬張り近所をお散歩していました。
 そんな時、ちょっと前に知り合った桑島さんと、道でばったりお会いしたんです。近所に住んでいる彼女の畑仕事を手伝えば、報酬にお野菜をお裾分けしてもらえるとのこと。
 面白そうなので私と凛ちゃんは、そのお誘いに乗ったわけだったんですが……。

 

「これ走り込みより大変なことになってません?」
「同感」

 

 収穫した野菜を桑島家の裏庭まで運んだ私たちは、日陰で腰を下ろすとゼェゼェと切れた息を整えます。予想以上にお野菜が重かったんですよね……。
 スーパーで買い物する時とは桁違いの重さ。畑仕事、侮りがたし!

 

「おつかれさん。はい、これどうぞ」
「あ、すいません」

 

 おばさんから頂いた冷たい麦茶を一気に飲み干します。
 んー、美味しい!

 

「ああ、生き返る」

 

 凛ちゃんはコップのお茶を半分ほど飲んだあと、目を細め空を見上げはじめました。
 おばさんの野菜を洗う水の音。それと蝉の声が溶け合い一つのメロディーになり、隣に座る凛ちゃんをまるで映画のワンシーンのように演出します。
 今の私はそのシーンを独り占めしている映画監督のようなものです。でも、そんなの勿体ない。この凛ちゃんはみんなにも見てもらわなきゃ。

 

 しゃららん。

 

「あれ、今、撮った?」
「撮りましたよー」  
「……私だらしない顔してなかった?」

 

 眉をしかめる凛ちゃんに「どうでしょう?」と私はいたずらっぽく答えます。とは言うものの、だらしのない凛ちゃんの顔なんて、まだ一度も見た事がないんですけどね。
 そんな事を思いながら、凛ちゃんと一緒にデジカメの画面を覗き込みます。

 

「あ、大丈夫だった。よかった」
「あはっ、凛ちゃんはどんな顔してたって絵になるから、そんな心配いりませんって」
「そ、そんなことは……」

 

 またもや照れる凛ちゃん。
 ぶっきらぼうな態度と言動で最初はとっつきにくい人と思っていたけど、なかなかどうして。やっぱり凛ちゃんも私と同じ十五歳なんだって感じることが多くなってきました。

 

「でも響子だって写真映りいいよ? さすがアイドルって感じ」
「えー、なんか凛ちゃんがそれ言うと棘があるような……」
「そう?」
「……ううん、なんでもないです」

 

 むぅ、そんな無邪気に返されると言葉に詰まってしまいます。
 凛ちゃんは自分がどれだけ華のある容姿をしてるのか気付いてないのかな? 
 アイドルとしての魅力、凛ちゃんと私じゃ差があり過ぎるはずなのに。

 

「あ、そうだ。響子、そろそろ顔洗いなよ」
「うん?」
「私も見慣れてきたし。さすがにもういいかなって」
「な、なんですか、それ」
「別に大したことじゃないけど」
 

 凛ちゃんは自分のデジカメのスイッチを入れると、私にデータを見せてくれます。
 それをのぞき込むと――
 

「え! ちょ、ちょっと!」
「ふふ」

 

 そこには大根を片手にピースサインをする私が映って……いるけど、これって!

 

「私、まだこの顔のまま!?」
「うん」
「うんって! 早く言ってよ! なんか今の雰囲気、皆口さんっぽかったですよ!?」

 

 デジカメのフレームの中には、ほっぺに土が張り付いている私の顔! 
 しかも、まるで猫の髭のように!
 

「あっ! 最初に大根抜いた時!?」

 

 だから笑ってたんだ! ひどーい!

 

「あら、凛ちゃん、ネタばらししちゃったの?」

 

 地団太を踏む私をおばさんがニヤニヤと見てきます。
 うう、ここにも共犯者がいるぅ。

 

「あの、顔を、洗わせて、ください……」
「はいはい。でもせっかく可愛いメイクなのに、勿体ない」
「勿体なくないです!」
 

 おばさんが野菜を洗っていた場所まで行くと、水道水で顔を洗いはじめる私。確かに手に土がいっぱい付く……。私は野菜と同じ扱いですか?

 

「う、鏡がないからちゃんと落ちてるのかわかんない……」
「大丈夫、全部落ちてるから」

 

 いつの間に隣にいた凛ちゃんがそう言いますが。

 

「本当に?」
「ほんと、ほんと」
「ほぉぉんとおぉにぃぃ?」
「うわ、信用失くしちゃってるね、私」

 

 笑いながらそう答える凛ちゃんをジト目で見る私。
 まさか凛ちゃんがこんないたずらするなんて。やっぱり、なんか最初と随分印象が違うというか。ううん、ひょっとしてこれが本当の凛ちゃんなのかな?

 

「お、綺麗になったじゃない響子ちゃん」

 

 おばさんは大根の葉っぱを切りながら、そう言ってきます。
 さっきはさっきで可愛いって言ったくせに、ほんとみんな調子いいんだから。

 

「おかげさまで……。あ、手伝いましょうか?」
「いいっていいって、いつものことだし」

 

 大根は収穫後、できるだけ早く葉っぱの部分を切ると美味しさが持続するとかなんとか。確か前にお母さんに聞いた事あるんだけど、本当にそうするんですね。

 

「さて、大根は三本ぐらい持って行くかい?」
「あ、そんな、一本で十分ですよ!」
「まぁ、そう言わないで、持って行きなよ」

 

 おばさんは大根のオマケにと、さらにビニール袋を渡してくれます。中を覗き込むと、なんと大きな玉ねぎが五個も入っていました、
 

「え、いいんですか?」
「どうせいつも余って近所にお裾分けするぐらいだから、持って行ってよ」
「あ、ありがとうございます! 凛ちゃん凛ちゃん、タダで大根三本と、玉ねぎ五個ももらっちゃったよ!」
「いや、タダじゃないでしょ。ちゃんとした報酬だって」

 

 苦笑いする凛ちゃんでしたが、浮かれた私はお野菜を抱きしめその場でくるりと一回転したのでした。

 

 

 

 

「う、この車は……」

 

 凛ちゃんの呻くような声。
 学校へ戻った私たちが最初に目にしたもの。それは校門の脇に無造作に駐車された、とってもレトロな車でした。

 

「うあぁ、大きい。あとすごく古いですね」

 

 見た事もないような古めかしい形に興味が湧いた私は、その真っ白な車へと近づきます。これも外車なのかな? 346の人ってなんだか外車好きが多いイメージだし、多分これも関係者の方のものですよね。
 私の良く知っている車とは随分違ってて、全体的に角ばったデザイン。開けっ放しにされている窓から中を覗き込むと、ごつごつとした計器類やレバーなんかがいっぱいあって、これもさっきの凛ちゃんと同じく映画の世界から飛び出してきたような雰囲気。これは心惹かれてしまいます。

 

「古い車みたいですけど、なんだか綺麗ですね、これ」
「……そうだね」

 

 後から凛ちゃんがそっけなく答えます。
 その言葉には「その通りだ」という感情と、「その通りだけど認めたくない」という感情の両方が乗っているようで。つまり、なんだか不機嫌?

 

「いい車じゃないかな。傍目で見る分にはね」

 

 凛ちゃんは会話は打ち切り、校舎へと歩き始めます。って違います、合宿所でした。中々慣れませんね。もう校舎って言っちゃってもいいんじゃないかな?
 先を歩く凛ちゃんに小走りで追いつくと、横顔をチラリと拝見。う、やっぱり不機嫌っぽい。凛ちゃん顔に出過ぎじゃないでしょうか。
 さっきあんなに楽しそうだったのに、どうしたんだろ。
 ……あっ。

 

「凛ちゃん、ひょっとしてあの車の持ち主を知ってるんですか?」
「知ってる」
「ああ、やっぱり」

 

 なるほど、わかりました。これが例のスキンシップってやつですね。
 私は、後ろを振り返ると、レトロな車を見て呟きました。

 

「中村プロデューサー、何か用でもできたのかな?」
「さぁね。でもどうせ、ろくでもないことだよ」

 

 どことなく棘を含ませた物言いの凛ちゃん。でも何故か安心しているような? そんな雰囲気も感じられるんですよね。
 そう思えるのは、きっと皆口さんから二人の関係性を聞いていたから。そうじゃなきゃ、凛ちゃんが本気で嫌がってるように見えちゃうところですよ。
 ただ二人がトップアイドルを目指す為に信頼して手を組んでいるって事を知ってから、アイドルとプロデューサーには色んな関係があるんだということも知りました。
 こうやって悪態はつくものの、多分凛ちゃんは中村プロデューサーとこれからも歩んでいくのだろうと思います。彼と彼女の目的のためにも。
 ただまぁ、凛ちゃん、中村プロデューサーのことを信用はしてなさそう……。

 

「あ、渋谷さん! 五十嵐さん! おつかれさまです!」
 

 と、私のとりとめのない思考をかき消す元気のある挨拶。
 校舎から履きかけの靴で、転びそうなりながら走ってくるのは――

 

「あ、金元さん! おつかれさまー!」

 

 手を振る金元さんに、私も負けずと大きな声で挨拶を返しました。
 凛ちゃんも軽く手をパタパタと振り挨拶をします。さすがに毎日のように顔を合わせているので、挨拶も慣れたものになってきていますね。
 どうにか転ばないで私たちのところまでやってきた金元さん。その顔はいつにも増して活力にありふれていて、アイドルである私たちのほうが圧倒されてしまいます。

 

「ふふふ、今日は私、お二人にとっておきのブツを持ってきたんですよ!」
「? そうなんですか?」
「はい! えと、中村プロデューサーに頼まれて!」

 

 満面の笑みの金元さんとは真逆に、顔を手で隠し溜息をつく凛ちゃん。
 凛ちゃんの思っていた通り、何やらまた水面下で悪だくみが始まってるようですね……。でもさすがに私も慣れてきてますよ。どーんとこいです。

 

「じゃ、さっそく行きましょうか!」

 

 金元さんは踵を返し、再び小走りで校舎へと走っていきます。
 本当に彼女はパワフルです。あの元気さは見習いたいですね。

 

「それじゃこっちも行きましょうか、凛ちゃん」
「行きたくない……のが本音だけど」
「仕方ないですよね」
「仕方ないね」

 

 私たちも小走りになると、金元さんの後を追いかけ校舎の中へと入っていきます。
 凛ちゃんは未だに不機嫌な感じですけど、何故か私は「そんなに悪い事は起きないのでは?」という予感があります。
 実は私の予感って当たるんですよ? 
 悪い予感だけではなく、良い予感だってちゃんと当たるんです。ただ普段は、悪い予感のほうが圧倒的に多く押し寄せてくるだけで……はっ、いけないいけない。今回は良い予感なんだから、それを信じましょう。ネガティブ思考禁止!

 

「ささ、中に入ってください!」

 

 金元さんは、とある教室の前で立ち止まると私たちを招き入れます。

 

「ありがとうございます」
「ありがと」

 

 彼女に挨拶をして教室の中へと入っていくと、そこには当然のごとく皆口さんと中村プロデューサーがパイプ椅子に座っていました。

 

「よぉ、凛。相変わらず不機嫌な面してんなぁ」
「どーも。プロデューサーも相変わらずの胡散臭さだね」

 

 やれやれと大げさに肩を上げる中村さん。その姿が妙に様になってるの何故?

 

「たく、相変わらずだなぁ凛は。響子ちゃんはコイツの口の悪さにはもう慣れた?」
「え? 別に凛ちゃんは口悪くないですよ?」

 

 そう答えた私に中村さんは目をパチクリとさせました。
 あれ? 私なんか変な事言ったかな?

 

「裕子姉さん、どんな魔法を使ったんだ? たったの一週間で凛の事をちゃん付けできるようになるもんなの?」
「ふふん、企業秘密よ」

 

 小声っぽく話してるけど、丸聞こえな中村プロデューサーから皆口さんへの耳打ち。

 

「し、失礼だね。私は別にちゃん付けで呼ばれたって構わないんだけど」
「馬鹿、お前は構わなくても、他の奴らがびびって中々そう呼べないんだよ」

 

 その言葉にムッとして黙り込む凛ちゃん。
 なるほど、私が最初に凛ちゃんにイメージしていた、トップアイドル「渋谷凛」という存在は、確かに尻込みするには十分すぎました。だからむくれる凛ちゃんには申し訳ないけど、中村プロデューサーの言葉はスッと胸に入ってきます。なかなか、凛ちゃんを名前で呼ぶのは難しいですよね。
 あれ? でもそうすると、私っていつから凛ちゃんのことを、渋谷さんって呼ばなくなったんだっけ?

 

「まぁ、その辺の話はあとでゆっくりすればいいさ。まったく、オレが二人を驚かすためにやってきたのに、こっちが驚かされるとはざまぁねぁな」
「中村くんのその顔、貴重だわ。響子、良かったら写真で撮っておきなさい?」
「いやいや、さすがにそれは」

 

 私は皆口さんの案をやんわりと拒否すると、彼女はつまんないと口を膨らませます。これじゃどっちが子供なんだかわからないですよ。

 

「んじゃ本題行くか。おーい、金元ちゃーん」
「はいはーい! 例のブツですね!」

 

 教室の入り口に置いてあった紙袋を持って、金元さんはピョンピョンと飛び跳ねる小動物のように中村プロデューサーへと近づくとそれを手渡します。

 

「ご苦労さん、あとでジュースを奢ってやろう」
「わーい!」

 

 わーいって金元さん……。さすがにジュースでそこまで喜ばなくても。
 でもそう思っちゃう私のほうが冷めているのかな? なんて一瞬思いましたが、隣の凛ちゃんも同じような表情をしていたので、ちょっとだけ安心しました。

 

「さて……と」

 

 中村プロデューサーは紙袋の中を確認すると、こっちへ来いと手招きします。
 金元さんとは違い、私はまるで捕食者を起こさないように近づく小動物のようにそろりと彼に近づきます。いや、本当、中村プロデューサーってどことなく怖いんですって。

 

「はい、整列!」
「は、はい!」
 

 私は彼の言葉に含まれている得体のしれないオーラに負けて大きく返事をしてしまいました。凛ちゃんは「はぁ」と、気の抜けた声を出していますけど。
 

「それでは、これを渋谷凛くんに。こっちを五十嵐響子くんにプレゼントしよう」

 

 彼は紙袋から取り出した透明でパリっとしたビニールに包まれたそれを、私たちに手渡ししてきました。
 え、これって?

 

「あのさぁ、プロデューサー……」
「え、あの、まさか、これがステージ衣装?」

 

 私たちの手のひらには、それぞれ新品のセーラー服。

 

「あはは、さすがにそれはないでしょう!」
「はははっ、ねーよ!」

 

 笑いだす二人のプロデューサーに私と凛ちゃんは顔を見合わせるばかり。
 え? じゃ、これって……。

 

「ほらほら、見てください! 月海高校の制服ですよ!」

 

 私たちの疑問に答えたのはまさかの金元さん。
 あ、そうだ、この服って!

 

「これ、金元さんの学校の制服なんですか!?」
「そうです! お揃いです!」

 

 私の問いにニコニコと返事をしてくれる金元さん。
 あ、なんとなく分かってきましたよ。

 

「ああ、つまりこれは……」

 

 凛ちゃんもピンときたようです。多分私と同じ答えのはずです。だから凛ちゃんの言葉に続くように私が続きを答えました。

 

「PV用に、私たちが同級生になるための服なんですね?」
「正解!」

 

 中村プロデューサーは大きな声と共に両手の親指を立てました。
 ああ、蓋を開けてみれば大したことじゃなかったというか、やっぱり良い予感で正解だったじゃないですか!

 

 だって私、一度でいいから、セーラー服着てみたかったんですよね!

 

 

 

 

 夕暮れ時。
 中村プロデューサーも遊びに……いえ、私たちの様子を見に来ているということで、今日はスタッフの皆さんと一緒に夕食ということになりました。勿論、調理するのは私と凛ちゃん。
 せっかくなので桑島のおばさんから頂いたお野菜を使っちゃいます。
 まずは玉ねぎ。定番と言えば定番なのですがカレーライスに使っちゃいましょう。みんなで食べるにはもってこいですからね。
 あと、大根はサラダにしておけばこれも問題ないでしょう。大正義です。
 とにかく大勢で食べる時は、あまり凝った料理にしないこと。これに限りますね。

 

「あのさぁ、響子……。凝った料理は作らないって言ったよね?」

 

 凛ちゃんはフライパンで大量の玉ねぎを炒めながら私を恨めしそうに見てきます。

 

「え、でもカレーって簡単じゃないですか?」
「いや、玉ねぎここまで炒める必要あるのかな……って」
「ありますよ~! やだなぁ、凛ちゃん、基本じゃないですか!」
「あ、そうなんだ……ごめん」

 

 私はニンジンを細切りにしながらそう答えます。カレーはどれだけ玉ねぎの甘さを出せるかで味が大きく変わるので、やっぱり飴色になるまでゆっくりと炒めてこそです。

 

「えーと、ニンジンはこれでよし、と」

 

 大きなボウルに張った冷水にニンジンを漬け込むと、今度はきゅうりを千切りに。うん、大根は最後にしましょう。

 

「~♪」

 

 鼻歌交じりできゅうりを切りはじめる私。
 ふと食器棚を見ると、ガラスにはセーラー服の上に赤いエプロンを着込んだ私の姿が映っていました。

 

「えへへ、これ可愛いなぁ」

 

 包丁をまな板に上に一旦おき、私はその場で軽くアイドルらしくポーズをつけてみます。食器棚には嬉しそうに笑う赤いエプロンの女の子が一人。そしてその後ろには、どんよりした空気の青いエプロンの女の子が一人。
 って、あれれ? 凛ちゃんお疲れかな?

 

「凛ちゃん、疲れてるなら変わりましょうか?」
「大丈夫だよ。疲れてはいるけど」
「疲れてるじゃないですか」
「……せっかくここまでやったんだし、最後までやりきりたい」

 

 凛ちゃん、変なところで頑固ですね。
 あ、でも私もレッスンの時ってそういう気持ちでやってますもんね。凛ちゃんも料理してる時は「負けたくない」って感じなのかも。
 そう思うと、やっぱりやってもらった方がいいのかな。

 

「うん、わかった。じゃ私はサラダの準備しちゃうね」

 

 ここは凛ちゃんに任せよう。私はまず、きゅうりをやっつけて。
 と、私がきゅうりを手にした時、ガラリッと引き戸が開く音がしました。

 

「やってるねー」
「あ、皆口さん。何かありました?」
「別にー? たんに響子たちの応援にきただけー」

 

 突然やってきた皆口さん。両の手を腰に当て入口で立つその姿は、手伝う気は毛頭ないわよって言っているかのよう。まぁ、こっちも彼女が料理をまったく作れない事を知っているので期待値はゼロなんですけどね。
 その皆口さんの後ろから現れたのはカメラマンのお兄さん。

 

「お、本当にセーラー服着てる」
「あ、ひょっとして撮影ですか?」
「おう。中村さんに言われてな。せっかくだから撮っておけって」

 

 カメラマンさんは、そういうと皆口さんの横をすり抜け厨房へと入ってきます。

 

「どう? 五十嵐さんは順調?」

 

 そういうカメラマンさんに私は笑顔でピースサインをします。
 そいつは良かった、とカメラマンさんも器用に片手でカメラを持ったまま親指を立ててくれました。

 

「もう鳥の腿肉もバッチリ用意済みなんで、凛ちゃんの玉ねぎが完了次第、投下開始です!」
「チキンカレーなんだ。いいね、俺も大好き」

 

 カメラマンさんが同意してくれたので、私も「ですよねー」と答えます。ちょっと離れたところで皆口さんが「カレーは牛だろう、牛」って言っていますが、聞かなかったことにしておきましょう。だって私、鶏肉の方が好きなんだもん。

 

「さて、それじゃ玉ねぎ班の渋谷さんの調子はどうかな?」
「……もういいんじゃないかなぁ、と思う」

 

 そう言いながら私に目配せする凛ちゃん。どれどれ、とのぞき込んでみると。

 

「うん、確かに大丈夫ですね。凛ちゃん、おつかれさま。んじゃ変わるね」
「ホッ、やっとお役御免か」
 

 凛ちゃんから大きなフライパンを受け取ると、そこに用意してあったしょうがとニンニクを投入。ジュワーっとより一層大きな音がして、一気に香りが増しました。

 

「しかし、こりゃ量が多いな」

 

 カメラマンさんの言葉に「てへへ」と愛想笑いが出てしまいました。

 私もちょっと作り過ぎたかな? とは思っていたので。
 スタッフさん全員分だからと張り切って作ってみたものの、よくよく考えたらこんなに必要なかったかも。
 隣に立つ凛ちゃんもげっそりとした顔でフライパンの中を見つめます。

 

「やっぱり量多いよね? 玉ねぎ五個分、炒めるのすごく疲れたんだけど」

 

 さらに凛ちゃんの後ろから覗き込んできた皆口さんもまゆ毛をハの字にしています。

 

「まさか響子。この給食で使うような馬鹿でかい鍋で作るつもりなの?」
「ダ、ダメですかね?」
「ダメってことはないけど……食べきれないわよ?」

 

 うーん。
 確かに、私たちだけじゃこれ食べきれないかも。明日また温めてもいいけど、さすがに真夏の冷房もない部屋で、カレーを一晩置きっぱなしってのも怖いですし……あ、そうだ!

 

「あの、このタマネギと大根を譲ってくれた近所の方が居るんですが」
「ああ、その方達にお裾分けする?」

 

 さすが皆口さん、こういう時は彼女の勘の良さは助かります。
 そうですと答えると彼女は「いいんじゃない?」と軽く言ってくれました。
 壁掛け時計を確認するとまだ十六時半。ちょっと煮込み時間が欲しかったから早めに作りはじめて正解でした。普通の家ならまだ晩御飯の支度前のはず。

 

「凛ちゃん、ここは私に任せてくれていいから、桑島さんのお家に行ってくれません?」
「え、私が?」
「うん。晩御飯一緒にどうですか?って聞いてきてほしいの。十人分ぐらいなら余裕あるから、誘える人達がいたら誘ってもらっちゃって」
「で、でも私が?」

 

 モジモジする凛ちゃん。
 さっきも思ったけど、凛ちゃんはきっと私とは違う理由で色々と戦ってるんだと思う。だからこそ、こういうチャンスを凛ちゃんにも活かして欲しいなって。
 いつも凛ちゃんが私に言ってくれること。
 今後は私が言わなきゃ。

 

「大丈夫、凛ちゃんならみんなを呼んでこれるよ!」
「……うん、わかった」 
 

 さっきまで神妙な顔つきだった凛ちゃんでしたが、そう答えた凛ちゃんはすごく晴れやかな表情になっていました。
 がんばれ! 凛ちゃんなら出来るよ!

 

 


 

 

「美味しかったよ! ご馳走様!」
「喜んでいただけて嬉しいです♪」
「まさか、お裾分けしたつもりが逆に返されちゃうとは。響子ちゃん、ありがとね」

 

 桑島さんのおばさんがぎこちなくウインクをしました。その姿がとってもキュートで私も思わず笑顔で返してしまいます。

 

「確かに美味かった。店で食うカレーみたいだったぜ。凛が作ったとは思えねぇ」
「ちょっと、プロデューサー?」

 

 凛ちゃんが大根とレタスをフォークに刺したまま、中村さんをギロリと睨みます。中々にホラーな絵面ですね。
 そんな二人の様子を見ていると、私のエプロンの裾が軽く引っ張られていることに気付きます。その手の先には、三日前に神社で出会った男の子の姿がありました。

 

「きょうこおねーちゃん、ぼくもうちょっとおかわりいいかな?」
「ん? まだ残ってるから食べられるだけ食べちゃっていいよ」
「やった!」

 

 目を輝かせながら、男の子は大きな鍋へと走っていきました。
 凛ちゃんが呼んできたのは、桑島家の皆さんとその両隣に住む方達。驚いたのは、その内の一人が神社で鬼ごっこをした子達の一人だった事です。こういうのって本当に不思議な縁ですよね。

 

「しかし、こうやって月を見ながら食べるってのもオツなものね~」

 

 缶ビールを飲みながら皆口さんはおつまみのスルメを口にしています。うあぁ、いかにも生活能力不足の女って感じが……。見た目は本当に美人さんなのに勿体ないなぁ、
 でも皆口さんの言う通りお月様が綺麗ってのは本当にその通りだと思います。
 今、私たちはスタッフさんや近所に住む方々と野外でプチキャンプをしています。せっかくこんなに人が集まったんだからと、机や椅子を校舎から持ち出し、こうして月見をしながら夕食を終えたところなんです。

 

「ちくしょう、まだ食えるな。おう、坊主。まだカレー残ってるか?」
「のこってたよー、あといっぱいぶんぐらい」
「何? そりゃいかん。誰かが食う前にオレがかっさらう」

 

 中村プロデューサーがお皿を持って駆けていきます。あれって四杯目なんじゃ……。

 

「響子、なんだかすごく楽しそうだね」
「え?」

 

 凛ちゃんが隣の椅子に座ると、手にしたヤカンから空になっていた私のコップにお茶を注いでくれました。

 

「楽しそうって、そんなに顔に出てますか?」
「ものすごくね」
「そっかぁ」

 

 笑う門には福来る。
 私は普段からできるだけ笑うようにしています。
 それは、私が笑っていればきっと相手も笑ってくれるって信じているから。
 でも今は。

 

「なんででしょうね。私、今心の底から楽しいなぁって思ってるんです」
「そうなんだ?」

 

 優しく聞き返してくれる凛ちゃん。その透き通った声に、私はつい油断をしてしまいました。だから普段は心の奥底にしまってある言葉が出てしまったんです。

 

「私が笑うのって、実は私の為なんですよ。誰かが私に笑いかけてくれることが嬉しいから……だから私から笑うんです。私が笑いかけてほしいから」

 

 私は誰かの為に何かをするのが好きです。
 でも、それは誰かから優しくして欲しいっていう裏返しの部分でもあるんです。

 

「ずっと弟と妹のお世話をしつつ、両親のお手伝いもして忙しい日々を送ってきました。それが苦しいと思ったことは一度もないんですよ? ただ、それが当たり前になりすぎて、私がただその当たり前の存在になっちゃうのは……なんだかイヤだなぁって」

 

 私の言葉を凛ちゃんは黙って聞いてくれています。その沈黙が心地よくって、私の心の箱はどんどん開いていって。

 

「私は誰かの為にいるわけじゃない。私を見てほしいって」

 

 ああ、そういうことなんだ。
 案外簡単な事だったんだって今気づきました。

 

「……皆口さんが私のことをスカウトしてくれた時、アイドルをやってみようって思ったのは、きっとそういう事だったんですね」

 

 凛ちゃんに言われた、どうしてアイドルをしているのか?
 その答えはこんなにも簡単なものだったんだ。

 

「そっか。響子は誰かに笑いかけてほしかったんだ」

 

 咎めるわけでもなく、軽蔑するわけでもなく。凛ちゃんはそう言うと月を見上げます。
 ああ、またそうやって映画の世界に私を引き込むんだ。ズルいよ。
 でも、今の私は映画監督じゃない。
 一人の役者として、この物語の登場人物なんです。
 だから今のこの気持ち、ちゃんと伝えなきゃ。


「うん。でもね、今の私は何も考えていないのに不思議と笑顔になっているんです」

 

 私も月を上げます。
 凛ちゃんと同じものを見つめることが、今はとても楽しくって。
 

「私、多分、アイドルにならなくてもよかったんです。ただ誰かが私に笑いかけてくれれば幸せだった。私がアイドルにこだわる理由、なかったんです」

 

 アイドルになった理由は考えても出てくるはずがなかったんです。

 私の望みはアイドルじゃなければ叶えられるものじゃなかったんだから。

 

「だけど……今は違うんです。凛ちゃんと一緒にレッスンしてきて、楽しそうに歌ったり踊ったりする凛ちゃんを見てると、私もなんだか楽しくなっちゃって」
「楽しくなっちゃって?」

 

 凛ちゃんはいつの間にか私を見つめていました。
 ああ、そんな瞳で見つめられたら……。

 

「楽しくなっちゃってね……」

 

 私はアイドルじゃなければ見つけられない大事なものを知ってしまったのかも。
 ただ、まだそれを言うには早い気がして。
 言ってしまったら、もう戻れなくなりそうで。

 

「ごめんね、凛ちゃん、私、まだよくわからない」
「……そっか。でも大丈夫だよ、まだライブまで時間はたくさんあるからさ」

 

 ――最後まで聞いてくれてありがとう。

 

 そう心の中で感謝の言葉を告げ、私は再びを月を見上げました。

 

「ねぇねぇ! りんねえちゃん!」
「ん? どうした?」

 

 気が付くと、あの男の子が今度は凛ちゃんのエプロンを引っ張っていました。

 

「おかあさんが花火もってきたんだって! いっしょにやらない!?」
「ああ、いいね。みんなでやろうか」
「うん! きょうこおねーちゃんも!」

 

 私は静かにウンと頷きました。

 

 

 

 

 その晩、みんなで遊んだ花火。
 一瞬煌めきすぐさま消えていく情景は、まるで光と影が交差するかのようでした。
 私はそれを見ながら思ったんです。

 

 私の優しさは、私の為の優しさ。
 そんな情けない私の身の上話を最後まで聞いてくれた凛ちゃん。

 

 ねぇ、それじゃ私を見守ってくれる凛ちゃんの優しさはどこから来ているの?
 私はその理由が知りたくて。でもそれを聞くだけの勇気は、私にはまだなくって。

 

 ああ、今が過去になる前に、この夏が終わる前に――
 私はそれを聞かなくっちゃ。

第六話 了

 

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