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第十九話


 

 人間ってのは不思議な生き物で、あまりに食事をとらないと空腹であることを忘れちゃうみたいです。  最近の運動量からすると、明らかにカップ麺だけでは摂取不足なはずなのに。昨日食事をしたのは、夜の九時ぐらいだったっけ? もう十二時間以上経ってるのに全然お腹空かないや。  見上げると、そこには雲一つない八月の青空。

「昨日の嵐が嘘みたい」

 台風一過とはまさにこの事です。あっ、台風一家ってどんだけ気性の激しい家族なんだろうとか言いませんよ? そういうのは小学生で卒業してますから!  うーん、それにしてもカラっとした空気。  台風の後の涼しい風が、連日の暑さを湿気ごと連れていったかのようです。寝不足と空腹、そして精神的にもあまりよろしくない状態である私には、この気温はちょっぴりありがたいです。

 ハイビスカスの植えられたプランターを校舎の前に並べ終えた私は、手についた土を払いながらしゃがみこみます。  赤と青のハイビスカスはすでに花を咲かせていて、昨日の夜のしおれた姿と同じとは思えません。……あ、そっか、昨日の花と今日咲いてる花は違うんでしたね。

「……君たちは元気だね」

 羨ましいな。  こんな風に、夜を越えて次の日にまた花を咲かせるハイビスカスが。  私の心の中はまだ曇り空。灰色のままなのに。  そして、多分凛ちゃんも。

「走ろうかな」

 誰もいないグラウンドに、セミの鳴き声がオーケストラのように響いていました。  その虫たちの奏でるメロディーを聞きながら私は走り始めます。  走ってる間は夢中になれるから。  それこそ何もかも忘れられて。

「はぁはぁ……」

 ってあれ?  今って何周走ったんだっけ?  ふと気がつくと、息も切れぎれで重くなった足を引きずるように走っていました。  走れば不安も消えるかなと思ってたんですが、どうやら予想以上の効果。  ただ、それ以上に――

「し、しんどい」

 さすがに限界を越えていたのか、倒れこむようにグラウンドに寝転がりました。  ま、まずは息を整えなきゃ。

「はぁ、はぁはぁ……ふぅ……」

 照りつける太陽のおかげで、台風でびしょびしょだった地面はもう乾いていました。ですが土の表面はまだひんやりとしていて、その感触はまるで自然の作るウォーターベッドのよう。ウォーターベッドに寝た事ありませんけど。

「……走れるようになったなぁ、私」

 思えば月海にきて随分と体力もつきました。  初日なんか、凛ちゃんに周回遅れにされましたもんね。今思うともうちょっと手加減してくれてもよかったのにとか考えちゃいますが……。  うん。さっきよりは随分思考がクリアになりました。  寝転がったまま首だけを動かし校舎を眺めます。6ー1の教室はまだカーテンが締め切ってあります。凛ちゃんまだ寝てるのかな……? そのまま視線を動かし時計をを見るともう十一時を回っています。  一時間以上も走ってたんだ。  どうりで疲れてるはず。ろくに食事もとってなかったし。

 グゥ~~。

 と、まるでタイミングを見計らっていたかのように、お腹が大きく鳴りました。  ああ、食欲が帰ってきてくれたみたい。これならお昼は食べられそう。

「凛ちゃんは……っと」

 やっぱりカーテンは閉まったまま。これなら家庭科室ではち会うことなさそうです。今のうちにご飯作っちゃいましょう。  寝心地のいい自然のベッドに別れを告げ、私は家庭科室へと向かいました。

「ん、いい味」

 簡単に作ったお豆腐の味噌汁。その味見を終えると、今度はレンジで暖めるパックご飯を使い鮭フレークのおにぎりを作っていきます。保存を考えると梅干しが最適なのですが、生憎と冷蔵庫にはストックがなくって。そんなわけで皆口さんのご飯のお供である鮭瓶を、ちょっとばかり拝借させてもらいました。あとで買い足しておきますから今日のところは見逃してください。

「うーん」

 さすがに鮭おにぎりだけじゃ量が少ないですよね。あ、そうだ「ゆかり」があるんだった! これまた皆口さんの大好きなふりかけを使い追加のおにぎりを握っていきます。  凛ちゃん、ああみえて結構食べるし、塩だけのおにぎりも一応作っておこうかな?

「ああ、もうすぐ十二時だっ」

 なんとなく凛ちゃんが起きてくる気配を感じ、慌てて完成したおにぎりを三つほどラップで包むとピンクの小さな弁当箱に詰めます。  さらに凛ちゃんのぶんのおにぎりが載ったお皿にもラップをかけると、お味噌汁の入ったお鍋と一緒に、目立つよう机の上に置きます。うん、これならわかってもらえるはず。  軽く洗い物を済まし、ゴミ箱を開けるとそこには食べ終わったカップ麺の器がありました。  ……良かった、凛ちゃん食べてくれてたんだ。  それが確認できただけで、私の重荷は一つ減った感じがしました。

「おっと、早く行かなきゃ」

 最後に水筒に冷たいお茶を入れると、私は保健室に向かいます。汗だくになってしまったジャージを月海のセーラー服へと着替える為です。シャワーを浴びないまま着替えるのはちょっと気持ち悪いんですが、うっかりシャワー室で凛ちゃんと出会っちゃう可能性もあるので。多少のことは我慢我慢。

「よしっ」

 すっかり着慣れた月海高校のセーラー服に着替えた私。  弁当箱とタオルと水筒を手さげ袋に入れ、スカートポケットにはスマートフォンとお財布。完全装備ですね。  急いで昇降口からグラウンドに出ると「ひゅう」っと気持ちのいい風が私の頬を撫でるように吹きました。私はその風に誘われるように歩き出しました。  グラウンドを横切り、校門から外に出た私は辺りを見渡します。そこは昨日までとはまるで別世界のように静まり返っていました。  ちょうどお昼時だからでしょうか。もともと人通りが少ない月海町ですが、なんだか今は無人の町みたい。でもちっとも寂しくは感じません。私にとってこの静寂は「今は落ち着きなさい」と皆口さんがたしなめてくれてるように思えたから。

「そうだよね、次に凛ちゃんに会う時はもっと落ち着いて話せるようにしなきゃ……」

 昨日は感情のままに、凛ちゃんとぶつかってしまいました。  だってこればかりはしょうがないですよ。凛ちゃんが楓さんの事を大切に想う気持ちが、私の事を想ってくれる気持ちより強いってのをあらためて知ってしまったら、やっぱり悔しいですよ。  嫉妬深い?  うん。それは十分わかっています。  私自身、ここまで自分が嫉妬深いなんて思っていなかったんです。  だけど今の私にできることは、こうして待つことだけ。  凛ちゃんが答えを出してくれるって事を信じるだけ。

 ……でもね?  予感があるんです。  今日、凛ちゃんは答えを見つけてくれるって。  今晩、その答えを持った凛ちゃんと、私向き合ってくれるって。  だからそれまでは一人でいたいんです。  今、凛ちゃんの前に立ったら、また言い争いになっちゃうかもしれない。  そんなのイヤだから。

『答えを出したその先に、どんな未来が続いても』

 真夏の空の下。私は小声で歌います、  口ずさむのは『ビードロ模様』。  食尽祭ライブで歌ったこの歌は、私にとって特別な歌。  ここから全てが始まり、そしてこの歌にすべてが詰まっているような気がして。

『好きだと言いたい、あなたを好きと言いたい』

 そして歌いながら気付いたんです。

 ――私っていつから、こんなにも凛ちゃんのことを好きになったんだっけ?

 まるで歌に問いかけるかのように私の心が疑問を呟きます。

「……とりあえず、どこかご飯が食べれる場所を探さなきゃ」

 疑問はとりあえず保留です。  まずはご飯を食べないと。いい加減お腹の虫も限界が近づいたようで、さっきから鳴きっぱなし。  でもどこがいいだろう? 天文台公園は……却下です。あそこって日陰が全然ないんですよ。おかげで夜は満天の星空が見えるんですけどね。  公共の場で、できるだけ人が少なく静かな所。あと日陰があるところがいいなぁ。  さっきまでは涼しかったけど、午後になって暑さが戻ってきてるし、熱中症になったら大変です。

「となると、やっぱここかな」

 私が足を止めた場所。生い茂る木々の入り口に建てられた鳥居と、その向こうにはそんな木々たち縫うように作られた長い石階段。  そう、結局ここに来ちゃうんです。

 ……思い出ありすぎるもんね。

 頬を両手で軽く叩き気合を入れると、一歩二歩と、私は階段を上り始めます。  始めて上った時はちょっとしんどかったですけど、体力のついた今の私にとってはこの階段の上り下りもすでに日常の一コマにすぎないのかもしれません。  まぁ、食甚祭の時は、永久に上まで辿り着けないと思ったんですけどね……。  あの日は体調不良で、途中でギブアップしちゃったんですよね。工藤さんが助けてくれなければ、ずっと途中でうずくまってたはず。  そんな苦い思い出がある中腹をなんなくクリアした私は、あっという間に階段を登り切っていました。  目の前の大きく開けた広場。  どうやら今日はゆうくんたちはいないみたい。あ、そっか今お昼時なんだもん、いるわけないよね。  目指すは本殿。  本殿の隣には石畳の通路があって、そこは境内と木々の影になってるんですよ。なおかつ風の通り道なのか、すごく気持ちのいい風が吹いてくれるんです。  食甚祭の夜、巫女装束に着替えた後に実行委員会のテントに向かう時、凛ちゃんとこの道を通ったんですよ。その時も今と同じような風が吹いていたっけ。

「よいしょっと」

 境内の横にある石畳の上に腰を降ろすと、水筒のお茶で喉を潤します。  凛ちゃん、そろそろ起きたかな? ちゃんとご飯に気付いてくれるといいんだけど。

「さて、私も食べちゃいましょうか」

 先ほど作ったおにぎりを食べ始めます。  うん、パックのご飯でもそこそこ美味しいじゃないですか。  一口食べるとお腹が空いていた事に今度は脳も追いついてきたみたいで、おにぎりを食べ続けます。……悩みがあっても結構食べられちゃうなんて、私って案外図太いのかなぁ。  気づくと、持ってきた三つのおにぎりはあっという間になくなっていました。しまったなぁ、ちょっと食べ足りない。せめてあと一つ余分に持ってきてても良かったかも。  再びお茶を飲みながら、私はぼんやりと広場の方を眺めます。  この日陰と日の当たる広場ではきっと気温差が二度ぐらいあるかも。確か二度差って、体感だと四度ぐらいあるらしいですね。しばらくここでのんびりと……。

「あれ?」

 広場の石畳みが、陽炎のようにゆらゆらと景色を揺らし、あるはずのないものが浮かび上がらせていました。  それは、ゆうくんたちと鬼ごっこをする凛ちゃんの姿。  ゴシゴシと目をこすると、勿論そんな光景があるはずもなく。やっぱり今のは幻?  ……でも、なんだろう、このモヤっとした感じは。

「こんにちは、今日は一人?」 「ふえっ!?」

 唐突にかけらえた声に素っ頓狂な声を出してしました。

「あらあら、ごめんなさい、驚かせちゃったかしら?」

 穏やかな笑顔を浮かべた老婦人。

「あ、小山さん!」

 私は慌てて立ち上がると頭を下げます。

「す、すいません、勝手にご飯食べちゃってて……」 「いいのよいいのよ。子供たちもしょっちゅうここでお菓子とか食べてるしね」 「あ、はい……でも、その」

 一応私は子供ではないので……と言おうとしましたが、小山さんが見たら、ゆうくんも私もそれほど変わりませんよね。

「それよりどうしたの? 今日は渋谷さんはいらっしゃらないの?」 「え? え、ええと、ちょっと今は別行動をしていまして」 「あら、そうなの?」

 優しく答えてくれた小山さんは、私の食べ終わったお弁当箱の隣に腰を降ろします。私もそれに習い座りなおしました。

「今日は空気が乾いているから日陰だと涼しいわね。おばあちゃんには助かるわ」 「あ、あはは、湿気が少ないと過ごしやすいですもんね」 「そうね」 「……」

 そこで会話は途切れてしまいました。他愛のない会話は私得意なはずなんだけど。  せっかく小山さんと話しかけてくれたのに。

「えと……」 「何かあったの?」 「……」

 ああ、やっぱりすぐに分かってしまうんですね。  皆口さんといい、中村プロデューサーといい。どうしてこうも皆さん察しがいいんでしょうか。私も大人になれば、こうやって色んな事に気付けるようになるのかな……?

「凛ちゃんとは、ちょっと意見が合わないことがあって」

 私はアハハと笑います。  本当はそんな気持ちではなかったけれど、少しでも深刻な雰囲気を和らげることができたらいいなって。

「そうなの……」 「……はい」

 再び訪れる沈黙。  うう、小山さんに申し訳ないですがなんと話していいものやら。相談のしようもないことですし。

「五十嵐さんがどうして悩んでるか私にはわからないわ」

 ウジウジとしている私に、小山さんのほうが話しかけてくれました。

「ただ、あなた達なら大丈夫。私はそう思うわよ?」 「……え」 「ふふっ、根拠はないのだけれど、あなた達なら何があっても大丈夫よ。これからずっとね」

 小山さんの言葉に、私の心の奥の奥にあった一つの想いが膨れ上がり、そして――

「はい……。私、凛ちゃんと一緒にいたいです。これからもずっと」

 ハッっとしました。  自分のその言葉に。  だってそれは、あまりに単純なことで。

「あ、す、すいません。急にわけわからない事言っちゃって」 「ふふ、それが五十嵐さんの望み?」 「……みたいです」

 凛ちゃんの為を思って、それが私のやるべきことだと思って。  それがみんなの為だと思って、それが一番私にとって嬉しい事だって思って。  思ってたのに。

「小山さん、話を聞いてくれますか?」 「いいわよ? こんなおばあちゃんでよければいくらでも聞いてあげるわ」 「……は、はい!」

 私は話しはじめます。  私と凛ちゃんのこれまでと、私と凛ちゃんのこれからを。 

『楽しみなさい。あなたにとってこんなに楽しい夏はないはずだから』

 七月七日。  凛ちゃんと始めて出会う前、皆口さんがかけてくれた言葉。  それは紛れもない真実で、私にとってこの夏は生まれて一番楽しい時間になりました。悲しい事や辛い事もありました。でもやっぱり楽しかった想い出の方が強いんです。  今だってそうです。  こんなに悩んでいて、こんなのも胸が苦しいのに。  それでも、今ここいる私はなんて幸せなんだろうって思えてしまうほどに。  だから、こんな楽しい夏休みはもうないって。  私はそう思いました。この先の人生でこれより楽しいことなんてもう起きないんじゃないだろうかって?

 この時間を止めたかった。  こんな楽しい時間は永遠に続けばいいと思った。  でも、違うんですよ。  皆口さん、違ってましたよ。  ねぇ、凛ちゃん。  あなたもそろそろ気付くころじゃないですか?

「……私、凛ちゃんと一緒にいたいんです。この夏だけじゃない。これからもずっと」

 なんてことのない答え。  最初からわかりきっていた答え。  それでも、それを口に出さなかったのは 

 ――その願いが叶わなかったらどうしよう。

 そう思ってしまったから。  双子の巫女の伝承を思い出します。  太陽の巫女と月の巫女は、食甚祭の時に一度だけ出会うことができました。  でも、伝承だとそのあと二人もう二度と……。  だけど!

「私は、今年だけなんて思いたくなかったんです!」

 小山さんの目を真っすぐに見ます。  私は月の巫女と自分を重ね合わせていました。  歌えなくなったしまった彼女を助けてくれた太陽の巫女。  そんな二人に、自分と凛ちゃんを重ねていたんです。  多分凛ちゃんも同じ気持ちだったはず。  だから、私を導くように振る舞ってくれてたんだよね?

「そう……。ごめんなさいね。双子の巫女伝承はあなた達の足枷になってしまっていたのね」 「え!? そ、そんな事はないですよ!? 私と凛ちゃんを結んでくれたものも双子の巫女のおかげなんですから!」

 頭を下げる小山さんに、私は首を大きく横に振りその言葉を否定します。

「むしろ、感謝してるんです! 今、私はやっと凛ちゃんの答えに、私の答えで返せそうなんです!」 「答えを答えで返す?」

 小山さんが小首をかしげます。

「はい、私……。凛ちゃんに答えを求めるだけで、私の答えを凛ちゃんに言っていませんでした」 「その答えは見つかったのかしら?」

 私は力強く頷きます。  そう、私の答えは――

「凛ちゃんがどんな答えを出しても、私は来年もここで、月海町で凛ちゃんを待っています」

 私と凛ちゃんは、もう友達なんですよ?  だったら、別にアイドルとしてじゃなくても、またここで会えるじゃないですか。

「私は、それを凛ちゃんに伝えてなかったんです」

 小山さんは嬉しそうに微笑み、優しく頭を撫でてくれました。

「じゃ、五十嵐さん。来年もここで私とも会ってくれるかしら?」 「あ……。も、勿論です!」

 彼女に優しさに、涙が零れそうになりました。  でも、まだその時じゃない。泣くにはまだ早い。  泣き虫な私だからこそ、今はまだ泣いちゃダメ。

「そうだ、五十嵐さん。今のあなたにはもう一つだけ伝えたいことあるの」 「え?」 「今のあなたなら、この話はきっと力になってくれると思うから」

 小山さんは語り始めます。  私の想い描いていた物語がひっくり返る、もう一つの物語を。  穂含月神社とつがいの神社。  太陽の巫女の祀られた、睦び月神社(むつびつき)に伝わる伝承を。

 小山さんは語り始めます。  もう一つの双子の巫女伝承を。

「はぁはぁ……」

 やっぱり日陰から出ると暑かったなぁ。  セーラー服も汗まみれになっちゃった。うう、シャワー浴びたいなぁ。

「……でも、ダンスは完璧だったよね」

 小山さんと別れたあと、私はダンスレッスンを始めていました。  彼女が話してくれた物語は、本当に私に力を与えてくれたんです。それを聞いた私は居ても立っても居られなくなり、小山さんに神社の広場を借してほしいと申し出て、今まで通し稽古をしていたんです。  皮肉な話ですが、一昨日徹夜で練習した成果もあってか、今の私は完全に十曲もあるダンスを完璧にマスターしていました。

「ふぅ、お茶飲もうっと」

 再び日陰に戻り、お茶をごくごくと飲み干します。  うー、なんかすごくスッキリした気分。

「さて……どうしようかな」

 石畳の上に寝転がり、空を見上げます。  先ほど小山さんとお話ししたことで、私の心の問題は決着が付きました。  でも凛ちゃんはどうでしょうか?  何か……何かきっかけがあれば。

 ブブブッ。

 スカートの中のスマホが振動します。

「ま、まさか凛ちゃん!?」

 勢いよく起き上がった私は、急いでスマホを取り出してLINKのメッセ―ジを確認します。  ですが――

「え、ええ……」

 メッセージは奈緒ちゃんから。しかも。

「ゲームの友達紹介申請って……」

 あまりにも能天気なメッセージにガクリと項垂れます。空気読んでよ、奈緒ちゃん……。

〈アイテム欲しいんだよ! 頼むよ!〉

 引き続き受信したメッセージを見て、大きなため息が出ます。  ああ、これは「ポップンステーション」のお誘いですね。周子さんや笑美ちゃんもハマってましたもんね。とうとう、私にもやってきたわけですか。  はぁ、しょうがないなぁ。

〈登録するだけでいいなら〉

 そう打つと、すぐさま返事がきます。

〈連れない事言うなよ~。せっかくだから一緒にやろうよ~〉

「もう、今はそれどころじゃないんだけどなぁ……」

〈今レッスンの休憩中だから、とりあえずアプリは入れるだけ入れてみます。でも期待はしないでね〉

 そう打ち返すと「絶対にハマるって!」とだけ返ってきました。  どうだかなぁ……。  しぶしぶ奈緒ちゃんのメッセージにあるURLからアプリストアにジャンプすると、「ポプステ」のダウンロードを始めます。

「興味がなかったわけじゃないんですが、タイミング悪すぎでしょう」

 ぼーっとダウンロードの画面を見続けます。  そういえば、凛ちゃんとはこういうゲームとかしたことないなぁ。……違いますね。普通に凛ちゃんと遊んだことってまだないんだ。  そりゃまぁ、海水浴とか花火とか夏祭りとか、遊びまくったといえばそうなんですが、こう会社の中でのイベントとしてではなく、もっとこうプライベートな。

「あ、終わってる」

 友達らしいこと、もっとしたいな。なんて思いを巡らせていると、ダウンロードとインストールも終了していました。  アプリを起動すると、奈緒ちゃんがよく遊んでいたのを横目で見ていたお馴染みのタイトル画面。それをタップしてゲ―ムを始めると練習モードみたいなものが始まります。どうやら基本的な操作をレクチャーしてくれるみたい。  でもその説明は、これまで奈緒ちゃんからさんざん聞かされてたことばかりで、今さら言われてもって感じ……。  実際にプレイするのは初めてですが、どんなゲームなのかを知っていればこんなのお茶の子さいさいです。さくっとすべての課題を終わらせるとロード画面が入りそして――

「名前登録?」

 あ、そっか。プレイヤーネームかぁ。

「どうしようかな。オムライスレディーとか?」

 ……さすがにそれはないですね。ネーミングセンスがないことが恨めしいです。  それじゃまぁ、これかなぁ。

「つ、き、の、み、こ……と」

 そこまで入力して確定ボタンを押そうとして、私の手は止まります。  ダメダメ、何を入れようとしてるんですか、私は。  この名前からはもう卒業しなきゃいけないんでしょ?

「ダメだなぁ。無意識だとまだこの名前を出しちゃうなんて」

 苦笑いをしながら、私はその文字を全部消去します。  どうせ奈緒ちゃんの招待アイテムの為だけのアカウントじゃないですか。もっと適当な名前でいいのでは?

「……!」

 そうだ。  凛ちゃん、このゲームやってくれないかな?  もし、凛ちゃんと一緒に遊べたら、私たちが初めてアイドルとしてのお仕事関係なく、一緒に遊んだ記念になるのに。  もしそうだとしたら、変な名前は付けれませんよ?  凛ちゃんが私だってすぐにわかるような名前。それでいて、凛ちゃんにしかピンとこない名前。  ……そんなの一つしかないじゃないですか。

「お、り、ひ、め……。確定っと!」

 初級、中級を終わらせて、なんとか上級であるプロモードをクリアしたところで「なんだこんなもんかー」って思っていたら……マスター難しいっ! 全然歯がたちませんが……。

「でも、これ面白いっ」

 奈緒ちゃんの策略にまんまと引っかかってしまったようですが、面白いものは面白いので仕方がないです。  にしても、私ってこんなにリズム感よかったですっけ?

 ピコン♪

「あ、着信音で音がズレちゃった!」

 フルコンボ目前というところで、メッセージ着信音で一瞬画面が止まったかと思ったらその後微妙に画面と音がズレていって。

「うう、惜しかったなぁ……」

 ちょっとだけショックな気持ちを抑え込み、メッセージを見ると。

〈どう? 面白いだろ?〉

 もう! 奈緒ちゃんがメッセージ送ってこなければもっと面白かったのに!

〈面白いですけど、今のメッセージ着信でフルコンボを取り損ねました〉 〈お、おう。それは悪かった……〉

 奈緒ちゃんの謝罪にクスっとしました。本気で謝ってそう。

〈でも、いい気晴らしになりました。ありがとうございます♪〉

 これは本当のこと。  凛ちゃんとどうやって話すきっかけを見つければいいか悩んで行き詰っていた私にとって、こういう息抜きサプライズはとってもありがたい事だったんです。

〈じゃあさ、せっかくだし、あたしたちともプレイしてみない? 今、周子と笑美も一緒にやってんだよね〉

 昼間からレッスンもしないで遊んでるプレイアデスのメンバーに若干不安を覚えます。川島さーん、それでいいんですか?  とはいえ、私も今はもうやるべきことはやってしまい、ただ凛ちゃんを待つだけだし。うん、もうちょっと遊んでみようかな。

〈今ヒマですし、いいですよー〉 〈お、本当にいいのか? レッスン大丈夫か? 凛に怒られないか?〉

 ……何故私のほうが心配されてしまうのだろう。

〈大丈夫ですよ、今は休憩中ですから〉 〈ふーん、それじゃみんなで遊べるようにルーム作るからちょっと待っててくれ〉

 そう言うと奈緒ちゃんとのLINKは途切れました。多分メンバーを集めてるんでしょうね。一旦スマホをポケットにいれ、両手の指を絡めたまま大き腕を伸ばし背伸びをします。  凛ちゃんがいない私の日常ですか。  私の日常の中に凛ちゃんがいないことの方が、すでに非日常的なことに感じてしまいます。

〈よし、準備できたから呼ぶぞー〉

 奈緒ちゃんから再びメッセージが届き、操作を教えてもらいチャットルームへと入室すると、そこには参加者アバターになるキャラクターがいました。

『やっほー』 『ひさしぶりやな!』 『よし、きたなー』

 そのアバターからマンガのような吹き出しが出ます。なるほど、こうしてチャットをする感じなんですね。  とりあえず挨拶しなきゃ『こんにちはっ!』と入力します。  う、うーん、仕組みはわかったんだけど、それにしても……。

「み、みんな個性的だなぁ」

 NAOという捻りもなんにもない奈緒ちゃんのアバターは、もらったレアアイテムをとにかくつけてる感じ。なんだろう、これ食甚祭の時にこんなことあったような……。  とんぱちは多分周子さん。だってアバターが男の子なんだもん。何故か周子さんってゲームやるときは男の子の姿を選ぶんですよね。  くいだおれ太郎に関しては、もう見た目がくいだおれ太郎のまんまです。すごい再現度。さすがは笑美ちゃん。  でもこれじゃ、普通に可愛らしい女の子のアバターを選んでしまった私のほうがちょっと痛い子みたい。名前も「おりひめ」だし……。

「ん?」

 そんな三人の個性溢れるアバターとは別に、見知らぬアバターが一人いることに気づきます。  えーっと、名前は……なんて読むんだろう?  というか誰?  LINKに画面を切り替えると、再び奈緒ちゃんにメッセージを送ります。

〈Altairさんってどなた?〉

 星空組の誰かって感じが全然しないんですよね。私の直感にすぎませんか、別の部署の人とか?

〈ああ、その子はあたしの学校の友達〉 〈なんーだ、そうなのね〉

 ニアピンでした。星空組の子じゃないというまではわかったんだけどなぁ。  でもいくら友達とはいえ、奈緒ちゃんだけじゃなく他のアイドルのアカウントまで教えちゃっていいのかなぁ……。まぁ、周子さんも笑美ちゃんも、そういうところ大雑把だしいいっか。  んじゃ続けて質問しちゃえ。

〈それじゃもう一つ、Altairさんって、どう発音するの?〉 〈おお、それなアルタイルって読むんだってさ〉

 へー。アルタイルって読むんだ。

「……あれ?」

 アルタイル。  そのワードを私は知っています。ううん、ものすごく知っています!  だ、だって、私と凛ちゃんユニットソングの歌詞にも同じ言葉がありましたもん!  というか、確かアルタイルの和名って!?

「え? え? ひょっとして凛ちゃん!?」

 素っ気ないコーディネイトをした黒髪の女の子の姿をしたアバター。それをじっと見つめます。  だけど――

「さすがにそんなわけないっか……」

 やっぱりちょっとしたことでも凛ちゃんに結び付けちゃうぐらい、精神が過敏になっているのかな?  アルタイルって名前だって、よくよく考えたらそんな特別な意味があるわけでもないし。そんな時、黒髪の女の子アバターから吹き出しチャットが飛び出しました。

『おりひめさん、よろしくね』

 そうだよね。  私ったら何を考えていたんだろう。こんな偶然あるわけないのに。  でも、アルタイルという名前の人に出会えたことで、ちょっぴり勇気がもらえたみたい。  だから私は感謝の気持ちこめてチャット打ち込みます。

『奈緒ちゃんのお友達の方ですねっ、よろしくお願いします』

 うん、ちょっとの間だけどよろしくね、アルタイルさん。

「ちょ、ちょっと奈緒ちゃんも周子さんも上手すぎじゃない!?」

 いつも奈緒ちゃんが「私は結構上手い方だよ」なんて不敵に笑っていたけれど、結構どころか本当に上手い。おかしいなぁ。ここで実は大して上手くない方が奈緒ちゃんっぽいのに。なのにそれより上手い周子さんって一体。さっきからフルコンボばかりですよ?

「むぅ……」

 リザルト画面の最下位には「おりひめ」の文字。ほとんどが最下位じゃないですか! さっきまで余裕余裕って思ってた自分が滑稽に思えてしまう……。

「笑美ちゃんも、結構うまいんだよなぁ」

 そりゃそうですよね。みんなかれこれ半年以上はプレイしてるはずだし。というか、この力関係がそのままプレイアデスまんまじゃないですか!  ……よし、今度かな子ちゃんにも薦めよう。

「ああ、アルタイルさんは私よりちょっと上手いぐらいで助かります。心のオアシスですよ」

 しかもミスるポイントが私とほとんど一緒だったりするのも、親近感を覚えちゃいます。うんうん、やっぱり初心者同士でやると盛り上がりますよね。といっても、さっきからの選曲は難しいものが多かったですし、初心者同士だと結構ギリギリでゲームオーバーになっちゃうかもですね。ふふ、そう思うと奈緒ちゃんたちのおかげでいっぱい遊べちゃったなぁ。

『さーて、結構やったし次でお開きにするかー』

 ルームで雑談していると、奈緒ちゃんがそう発言します。ああ、確かにそろそろスマホのバッテリー残量も危ない感じですしね。

『最後の曲、Altairが選んでくれよ。ビシッと決まったやつな!』

 おお、最後はアルタイルさんが選ぶんだ。  どんな曲を選ぶんだろう? やっぱりアップテンポの曲かな。さっきから早いテンポの曲のほうがミスが少なくプレイしてたみたいだし。

 ピコン。

 電子音と共に、セットされた楽曲の名前は「evergreen」。  アルバムジャケットに描かれたアーティストは……。

「高垣、楓……さん」

 純白のドレスを身に纏った伝説の白雪姫。  写真でさえわかるその圧倒的なカリスマ感。  そう、この美しい歌姫を凛ちゃんは追い続けているんだ。  すごいよ、凛ちゃん。私には絶対無理だもん。

「こういうのが雲泥の差っていうんだっけ……」

 それに比べて私ときたら。  汗と土でところどころ汚れてしまったセーラー服。汗ではりついてる前髪。肌だって楓さんみたいに真っ白じゃない。同じ「姫」を名乗っても、この織姫はありえませんね。うーん、自分のことながら、中々この差を埋めるのは難しいんじゃないかなぁ。

「ふふ、でもここまで違うと、さすがに諦めもつきますけどね」

 蔑むわけでもなく、自然に零れる笑み。  だって、私は私だもん。楓さんになれるわけじゃないですし。

『おっ、いいセンスだねー。あたしも好きだわ、楓さん』

 周子さんのアバターであるとんぱちがそう発言します。ああ、周子さんも楓さん好きだもんね。というか、今の346で楓さん嫌いな人なんかいないような気がします。  そう思うと、アルタイルさんの選択はナイスですよ。誰もが最後に気持ちよくプレイできますしもんね。  どれどれ……。

『好きなんですか? 高垣楓さんの曲』

 アルタイルさんに向けて文章を打ち込みます。

『うん。ファンなんだ、楓さんの』

 返って来た言葉に私はウンウンと頷きます。  これでこそ凛ちゃんが追いかける歌姫。楓さんにはみんなの憧れでいてほしいですね。

『よし、それじゃプレイ開始だ!』

 奈緒ちゃんの言葉でローディング画面に入ります。  プライベートな私たち五人のライブ。その最後の一曲です。気合いれていきましょう!  楽曲名と共に、クレジットされた作曲と作詞。  作詞「高垣楓」に私は驚きます。  楓さん、作詞もするんだ!  何から何まですごい。

 流れ始めたのは、爽やかな夏を感じさせるギターの音。  ああ、なんて綺麗なメロディーラインなんだろう。  楓さんの歌って、ちゃんと聞くの初めてだけど、これって……。

『水まきしてた 季節が過ぎて 風の香り 変わりはじめてた』

 胸の奥、ひび割れてしまった心に沁み込むような歌声。

『緑はやがて 褪せてゆくけど 幹は今も嵐に耐えてる そこに立ってる』

 凛ちゃんの背中を押してくれる歌声とは違う。  それはまるで背中から優しく包み込んでくれるような。

『誰もが痛み抱いて 迷いも消えなくて この地球(ほし)は淋しさ溢れていて 何を求めてる』

 だんだんと指が動かなくなっていきます。  楓さんの歌声に魅了され、楓さんの紡いだ歌詞に全てを赦されるような気持ちになって。

『枯れ葉落ちてく 木枯らしが吹いてく 長い冬を超えて 自分の中 春が訪れて 夏は来る』

 あぁ、そっか……。  楓さんのこの歌は、私が凛ちゃんに言いたかったことなんだ。  どうやって伝えればいいのか、わからなかった想い。  でもそれが歌になっただけで、こんなにも簡単に、こんなにも透き通った想いとなって、相手に届けることができるんだ。  だから、こんなにも。こんなにもたくさんの。

「……涙が止まらないんだ」

 私は滲み続ける視界の中、楓さんの歌に耳を傾けます、  それはとっても暖かくって。  凛ちゃん、あなたが楓さんを目指すのは……。

『永遠の緑は 心に広がってる そう信じていたい いつの日にも どんな時でも evergreen with you』

 気付けば、私はもうリズムアイコンを叩いていませんでした。  そして、もう一人。  私と同じく、すでにプレイを放棄したかのようにスコアが上がらない人がいました。

「アルタイルさん……」

 やっぱり凛ちゃんなんでしょ?  だから指が止まっちゃったんでしょ?   だってこの曲、「evergreen」はそういう歌だもんね。

 ねぇ、凛ちゃん。  これから私たち、どんな選択肢を選んだとしても大丈夫だよ。  小山さんだってそう言ってくれたじゃないですか。  どんな未来だって――

「全部受け止めて、楽しんでいこうよ」

 ゲームが終わり、解散の時。  みんなが次々とルームを去る中、最後に残った黒髪の女の子に、私はチャットをうちます。

『またね』

 今だけじゃない。  それがこれからの私たちを繋ぐ、私たちだけの魔法の言葉になるって信じて。  だから彼女も受け取ってくれたんだと思います。この魔法を。

『またね』

 そうだよ。  これが私たちが、友達である証。  別れても、離れても、いつも一緒にいられなくたって。  この言葉一つで、私たちは繋がっていける。

 アプリを終了して顔を上げます。  もう涙は止まっていました。  目の前には穂含月神社の広場。そしてあの場所が、見えたんです。

 ――私っていつから、こんなにも凛ちゃんのことを好きになったんだっけ? 

 その答えは、こんなにも近くにあったんだ。   どうして忘れていたんだろう。  視界に入る賽銭箱。  あの鬼ごっこをした日。

「ああ、そうだ。あの時、はじめて」

 私は、あなたを名前で呼んだんだ。

 もうあの時から、あなたは私の大切な友達になっていたんだね。  そしてあの時から、あなたは私にとって……。

 LINKを立ち上げます。  きっとアルタイルさんが、凛ちゃんだって信じて。  あなたの友達の五十嵐響子として、今のあなたの全てを受け止めるために。  私はたった一言だけメッセージを送ります。  この場所からすべてが始まりました。  だから再出発も、ここから。  そう信じて。

<今夜二十四時、私と凛ちゃんが友達になった場所で待っています>

 約束の時間が近づきます。  きっと凛ちゃんは来てくれる。  私を見つけてくれる。

 夏の夜空に輝く星は光となって降り注ぎ、もう日付も変わろうとしているにも関わらず、神社の広場を優しく照らしてくれています。

 食甚祭から始まった、私たちの終わらなかった夜。  今が一番だと思ってしまった間違い。  進む世界に取り残されててでも、しがみつこうとした小さな幸せ。

 でも。

 今の私たちには、もっともっと先の光が見えるはずだから。  だから、今こそ世界と共にこの夜を――。

 境内に座っていた私は立ち上がると、ゆっくりと歩き始めます。  私に向かって歩いてきてくれる、あの人の元へ。

「ごめん、待たせたかな」 「ううん、時間ちょうどだよ」 「そっか」 「うん」 「……出したよ、結論」 「うん……」

 大丈夫。  あなたがどんな答えを出しても。  あなたがどんな場所に行ってしまったとしても。  あなたが望めば、私はいつだって、ここにいるから。

 ね? 凛ちゃん。

 

第十九話 了

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